うしのくそ
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
うしのくそ(牛の糞)とは、日本の昔話「猿蟹合戦」の登場人物の一人で、文字通り、牛の糞である。牛、ではなく、牛の糞である(大事なことなので2回言いました)。
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[編集] 概要
猿蟹合戦とは、狡猾な猿に騙された挙句に殺された蟹の子供達が、敵討ちを誓って猿の討伐を決意し、彼らの義侠に感銘を受けた蜂やイガグリ、大臼の協力もあって、見事猿を討伐して本懐を成し遂げる、という顛末のストーリーである。一部では、蟹はプロレタリアートを、サルはブルジョアジーを象徴しており、真赤な蟹(共産主義者)が腐敗したブルジョアジーに天誅を下す物語であると解釈されているが、この項目ではあえて言及しない。
この物語の中に、蜂やイガグリ、大臼らと共に、蟹の敵討ちを手伝い、お膳立てを行う協力者として登場するのが、うしのくそである。猿蟹合戦は各地に流布したものによって若干の差異があり、蜂、イガグリ、大臼は押し並べてどの猿蟹合戦にも登場するが、うしのくそだけは各々の猿蟹合戦によって登場したりしなかったりする。うしのくそは蟹達による敵討ちにさほど寄与しなかった、うんこというばっちい存在であるため子供向けの物語に登場させるのは望ましくないという身勝手な大人達(こういう連中とか)の配慮に基いてなかったことにされたなど、色々言われているが、うしのくそが登場しなくても物語は停滞することなく進行し、敵討ちは成就するのだから、いてもいなくてもどうでも良い存在であった事だけは疑いようも無いだろう。
このうしのくそはどのようなキャラクターをしていたのだろうか。うしのくそが登場する猿蟹合戦における彼の台詞を鑑みるに、敵討ちに協力した理由は、自分は神聖な存在である牛の排泄物なのに、サルのごとき下等動物にただうんこであるという理由だけで嘲笑されたので仕返しがしてやりたかった、とのことらしい。うんこの癖に、自分が神聖な牛の身体から排泄されたものであるという矜持だけは一人前に強かったらしく、なかなか狷介な性格を伺わせる。うしのくそが神聖であるか否かについては、いくら神聖な牛から排泄されたといっても所詮はうんこであり、ばっちい汚物である事に変わりは無い、という解釈と、ばっちいうんこであっても神聖な生物である牛から排泄されたのだから、ある程度の神聖さは確保されているだろう、という解釈、二通りの解釈ができる。サルは前者の解釈をし、うしのくそ自身は後者の解釈をした。それだけの話である。なお、一部のノイジーマイノリティは、そもそも牛自体がさほど神聖な生き物とは思えないなどと見当違いのたわごとをほざいているが、万物の事象を説明する君は牛を二頭持っているという格言に引用されている事からも判るとおり、牛の神聖さは絶対不変の真理である。
[編集] 劇中における活躍
サルの目の自由を奪った蜂や、サルにトドメを刺した臼と異なり、うしのくそは、サルに致命的なダメージは与えていない。しかし、小屋から出てくるサルの足を滑らせて転倒させ、臼がサルを押しつぶせる蓋然性が高くなる状況を作るお膳立てをした。この点で、間違いなく貢献したといえる。
なお、うしのくそ、大臼ともに、家の戸口の前で待ち構えており、蜂とイガグリに痛めつけられ家からほうほうのていで遁走してきたサルがまず牛の糞に足を滑らせて転倒し、転倒したところに大臼が落下してきてサルを押しつぶして止めを刺す…というのが物語の展開だが、明らかにうしのくそはサルもろとも大臼に潰されている。自分の身さえも顧みず、蟹達の仇討を成就させようとするうしのくその気概、義侠心には感心を通り越して涙さえ溢れてくる。口先ばかりで「義を貫く」などと言っているどこぞのイカ軍師も見習って欲しいものである。そのあまりのカッコよさは、読者にうしのくそがウンコであることを忘れさせる。うしのくそは世界一カッコイイうんこと言っても過言ではないだろう。サルごと大臼に押しつぶされ牛の息…いや虫の息であったうしのくそは、「俺が死んだら畑の肥料にしてくれ、神聖なうしのくそだから畑の作物もさぞやすこやかに育つだろう」と遺言を残したとか。
…もっとも、うんこには死の概念が無いので、押しつぶされたところで全然平気だったであろうが。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『猿蟹の賦』 (清水義範)