お江与

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お江与(おえよ または 「お江与の方」、1573年 - 1626年)は、浅井長政の末娘で、「ボンクラ公方徳川秀忠の恐ろしい三番目の嫁さんである。お母さんはお市の方織田信長の姪で、淀君(異父姉説あり)とお初の末妹である。崇源院とも呼ばれる。

お江与女史と秀忠…
周りを圧倒するお江与女史。

[編集] 概要

父親の長政を早く失い、姉たちとともに伯父さんの織田信長に引き取られた。その時に羽柴秀吉は、まだあどけない少女のお江与に惚れ、ストーカーと化した。

しかし、この秀吉こそ父長政を死に追い詰め、異母兄の万福丸を串刺しにした憎い敵なのである。しかし、立場が立場なので、はじめは無視したが、秀吉は執拗に来たので、ついにキレたお江与は毒舌を放ち、秀吉は薄笑いしながら脇差を抜き、舌を出して「ジュルリ…」と刃を舐めだした。

可憐な少女のお江与は奇ッ怪な秀吉を見て、表情が凍りつきながら泣き叫んだ。その時に秀吉の脇差から放たれた一太刀がお江与の頬と鼻の間に傷をつけてしまった。その時に信長が来て、秀吉に向かって織田鉄拳を放ち、退治した(後に本能寺の変の際に秀吉が黒幕となったのはこれが原因だとか)。

このため、お江与はトラウマとなり、次第にサディストに目覚める女性に成長した。もちろん、秀吉の脇差で出来た傷がいっそう迫力を増した。しかし秀吉の甥羽柴秀勝と結婚し、その間に羽柴完子という娘を儲けた。この秀勝は叔父の秀吉に似ず優しい男だった。それが面白くない秀吉は刺客を派遣し、甥の秀勝を毒殺したそうな。やがて、徳川家康の三男で「ボンクラ公方」の徳川秀忠に嫁いだ。しかしこの男は軟弱でヘタレだった。飽き足らない彼女はSMで、旦那を飼い慣らす女性に変貌した。その時、姉の淀君が、秀吉の側室にされた事に、激怒したお江与は豊臣家討伐を家康・秀忠父子に伝え、大阪城に攻めて豊臣氏を滅ぼさせたと言う(大坂の陣)。

あとは次男の徳川家光を嫌い、三男の徳川忠長を可愛がり、春日局(家光の実母の説あり)と対決したことを付け加えておく。

お江与(達子/小督)の凜とした雄姿。

[編集] 名言

  • 「この種無しハゲネズミがッ!私に近よんな!」
  • 「や…やめて~~~変態妖怪~~!!だ…誰か助けて~~」
  • 「お前ら、私の前ではひれ伏しなさいッ!」
  • 「弱き人に興味は無いッ!力有る者だけ私の所に来なさいッ!」
  • 「約束までに来ない者は容赦無く死刑ッ!」
  • 「私ね、萌えって生きる上で重要な事だと思うのよね」
  • 「これは私の趣味でやっているのよ」
  • 「これはデートじゃないのよ、遊んでたら殺すわよ!」
  • 「仲間だからに決まってるでしょ…!!」
  • 「目を閉じて世界を浮かべると何が見える?」
  • 「仲間が死ぬ事は世界が滅びる事と同じ」
  • 「敵わなくても、私は私の世界の為に」
  • 「私、負けないよ」
  • 「お前は私が必ず破壊する」
  • 「命を玩具感覚で扱う貴方達より、命の尊さを知っている夫の方が強いわよ!」
  • 「よくも、ホームを滅茶苦茶にしたわね」
  • 「もう戦っている仲間を見たくないよ」
  • 「戦えなくても、私は浅井家の娘なの…」
  • 「あんた!!なんとしても大坂城に攻めて、あの猿の子を葬りなさい」
  • 「姉はただ無残に殺されてないよ。貴方が姉の心を救ってくれた」

聖徳太子並の名言と迷言のギャップがお江与女史の高い実力を示している。


撲殺撲殺-02.jpg 何も変化しない「お江与」に私はもう飽き飽きしてるのね。だから、あなたに加筆させて涼宮ハルヒの出方を見る。 (Portal:スタブ)