お花茶屋

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お花茶屋(おはなぢゃや)は、東京都葛飾区中部にある地名である。英語名では”Flower tea shop"のため英米人はすてきなティールームやサロンが並び立つ小洒落た街区だと思い、中国人は「茉莉花茶(ジャスミン茶)」を飲ませてくれる茶館がある繁華街と思っている。しかし実際は、どうみても純粋な葛飾です。本当にありがとうございました

吉宗とお花の純愛物語[編集]

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そもそも「お花茶屋」の地名は江戸時代に遡る古式ゆかしい知名なのである。そんじょそこらの昭和時代につけられた、安直で、ボキャブラリーが貧困な、とってつけたような「~丘」とか「~野」とか「~町」と一緒にしないで欲しいと、プライドの高いお花茶屋住民は思っているらしい。しかも徳川時代の中興の祖「暴れん坊将軍」こと徳川吉宗が関係していると言うのだからたいしたもんである。

暴れん坊将軍吉宗の好き好んだ趣味は鷹狩りである。紀州藩にあったときは本職の力士を投げ飛ばしたと言う怪力で健脚の吉宗である。江戸城からついて来たお供が半死人になるような行軍を続け、みなが青色吐息になっていたにもかかわらず、無理して鷹を飛ばしてこの葛飾の地にまでやって来たのである。そしてお昼になると、吉宗は食う。あらん限りむさぼるように食う。傍から見てると気持ち悪いぐらい食う。まるでギャル曽根である。しかし毒見役もいないのに、調子こいてバクバク食ったもんだから、不二家の菓子とかミートホープの肉製品あるいは赤福もちを食った訳ではないだろうが、急に腹がぴーぴーぴーひゃら、どんどこどーんと鳴り出して、一転顔面蒼白のた打ち回り始めたのである。これは将軍様の一大事。家臣たちはパニクッて見ているが、一部は生暖かいまなざしで見つめている。もしかすると鷹狩りのお供がイヤな連中が毒を仕込んだものかもしれない。

そうこうするうちに近在の農民たちがこれ一大事と駆けつけてきた。吉宗は田舎の土にまみれた汗臭くむさくるしいおっさんおやじが面白がって見に来るのがイヤで不愉快そうに視線をはずしたが、連中の中に可憐な茶屋の娘「お花」を見つけた。まさに掃き溜めに鶴である。腹痛の将軍を見舞いにやって来たお花であったが、ことのほか上様が御気に召したようで、他の連中が下がることを命じられながら、お花だけは呼び止められて、吉宗への献身的な介護をしたという。「介護をした」、としか文献には書いていないのだが、「食いしん坊バンザイ」で有名な大食漢の吉宗である、現代人特有の邪推で「お花を食べてしまった」と考えたくもなるだろう。ただこの項目の執筆者はそうは思っていないが。

ともあれお花の看護に気をよくされた吉宗公は彼女の献身さと健気さに敬意を払い、この地を改めて「お花茶屋」と名づけたそうである。小梅太夫が看護したら間違いなく「小梅茶屋」になっていただろうし、森三中諸嬢が看護したら「森三中茶屋」になっていたことであろう。ちなみにお花の子孫は代々「花」の名を継ぐ習慣があるらしく、どうやら「サザエさん」の花沢さんあたりが子孫らしいのだが、これは世間の様々なしがらみで公表されていないようである。余計なことであるが、松平健そっくりの将軍吉宗と野の花のようなお花の純愛ランデブーを期待している向きもあるかもしれないが、水を差すようで申し訳ないが、吉宗は歴代将軍の中にあって名うての「ブス専」だったことを付け加えておきたい。お花は・・・・・だったのであろうか。

葛飾は京成族のふるさと[編集]

ところでお花茶屋を含むこの地域は京成電鉄の要衝である。関屋駅-堀切菖蒲園駅-お花茶屋駅-青砥駅-京成高砂駅と続いていくわけだが、この葛飾区中央部には京成電鉄と競合する鉄道が存在せず、この地域の住民にとって京成電鉄のあるなしは彼らの生き死にに関わるのである。そのため悪名高い「京成族」が群がるこの路線周辺でも、とりわけお花茶屋を中心とするこの地域の京成電鉄に対する信頼は、他の地域の者が理解できぬほど強固なものである。

生まれてこの方、鉄道と言えば「京成電鉄」しか考えられず、京成の列車が脇を通る景色は幼心に刻まれて以来色褪せることはない。家族を乗せて上野にも押上にも船橋にも成田にも行けるという夢のような鉄道が京成電鉄なのであり、彼らはこれがなくては日々の生活に事欠き、明日から路頭にさまようかもしれないと危惧している。まさに京成の存亡は死活問題であり、京成のために命を捨てられるのがお花茶屋周辺の葛飾区民の総意なのである。京成電鉄が「おまえら死ね」と言えば快く死ねるのが京成族の心意気である。

はっきり言うと小岩市川船橋の京成線利用者は同じ京成族の括りであっても、京成に「死ね」と言われても死ぬことはない。なんならJR線でも使って京成線を見捨てればいいだけのことである。しかし先に述べた関屋から京成高砂までの住人、なかんずくお花茶屋の住民にとって京成電鉄が存在しないという条件は理解しがたい想定のようである。急行や特急が停車しない駅で京成随一の乗降客を誇るお花茶屋駅周辺住民にとって、いわば京成電鉄は「ネ申」そのものなのである。隣接する堀切や青砥や高砂の住民ですらそうしたお花茶屋住民の原理主義的「京成イズム」はき○がいのようだと思っているらしく、その主張には一定の距離を空けているようである。

しかしこうした「京成イズム」を一方的に叩くのも品位に関わることなので、お花茶屋とその周辺の人々が夢見た「京成の楽園」をしばし再現してみよう。そもそも彼らにとって、この地をすっとばすスカイライナーは除くとしても、京成線はみな「夢の超特急」なのであり「幸せを運ぶ青い鳥」なのである。たとえオンボロでポンコツで廃車寸前の鈍行列車であってもみなすべて一様に光り輝いているのである。そしてお花茶屋から東にある高台には青砥大ステーションが見えるはずである。二層構造になった荘厳なる青砥駅を遠くに見るたび、映画「always 三丁目の夕日」で東京タワーに憧れを抱いた昭和三十年代の人々のような気持ちになっているお花茶屋住民を見い出すことは難しくない。

青砥駅には押上線が、その一つ先の京成高砂駅には金町線北総鉄道線が、それぞれからみあい、この世で最も美しい路線区になっている、みんな京成線にひざまづけ・・・・とまで思っているのはこの地域の住民だけであり、京成線に好意を持っている鉄オタですら、この域にまで達するものはそうは多くなさそうである

亀田道場がある地[編集]

2007年10月現在、「お花茶屋」周辺で最も話題になっているのは、ボクシング・ジム「亀田道場」を経営する亀田史郎氏と、彼の訓育の賜物である亀田興毅亀田大毅亀田和毅亀田三兄弟である。とりわけ10月11日に行われた二男の亀田大毅と水戸街道を挟んだ反対側、同じ葛飾区立石在住の内藤大助との息詰まる熱戦により、以前から評判であった亀田道場は一躍人々の注目の的となり、この道場の最寄り駅であるお花茶屋にはマスコミ諸氏やヤジ馬・近所のおばちゃん・面白半分で集まった小学生のガキめらがつめかけ、その足で亀田道場に殴り込みをかけるように向かい、よってたかって道場の前で大騒ぎし始めたのである。ここんとこ亀田道場の周囲は殺気立った群衆が取り囲んでおり、普段は穏やかなこの界隈も緊張感に満ちている。

ちなみに亀田史郎氏はもともと生まれこそ兵庫県姫路市であるが、大阪西成地区で育ったのであって、お花茶屋の出身ではない。西成でのやんちゃぶりは名高く、中学時代に喧嘩番長であった折には「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と公言していたと言う。それだけにコテコテの関西人であって、東京は葛飾になぜいるのかが疑問だが、氏曰く「勝つしかない」→「かつしかない」→「葛飾内」という縁起を担いでのことらしく、三人の息子とともに現在は東京都葛飾区に在住している。もしかすると「お花茶屋」にちなんで気立ての優しい「茶屋」の「お花」みたいな子供に育つようにと願ったのではないかと見る向きもあるが・・・・多分・・・それはありえないであろう。逆に言うと「蝶よ花よ」とおんば日傘で育てられたいたいけなお花茶屋住民にとっては、どこかしらヤンキー893のにおいのする亀田一家は、まだまだ理解しがたいものなのかもしれない。

そうした経緯から「葛飾内の亀田さんですね」と声をかけられると、ぶすくれた顔のごっついおっさんの亀田史郎氏も相好崩して微笑んで応対してくれるそうだが、「京成線のお花茶屋の亀田さんですね」と声をかけられると、いきなりそばにあったパイプ椅子を無言のまま振り回し「ブチ殺すぞゴルァ!」とドスのきいた声で脅すので、まかりまちがっても「お花茶屋」のことは口にしないほうがよさそうである。そもそも住民の方も「亀田道場のお花茶屋」のイメージが染み付いてしまうことを心配し、ここの選挙区をもつ平沢勝栄議員に目下陳情中だと伝えられている。

関連項目[編集]