さくら (列車)
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
さくらは、かつて東海道本線・山陽本線・鹿児島本線・長崎本線・佐世保線に設定されていた寝台特急列車の名称である。針小棒大を象徴する列車の一つに上げられている。
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[編集] 概要
特別急行列車「櫻」は1929年、公募により命名され、日本最初のネームドトレインとして登場したが、第二次世界大戦中のグダグダのさなかに忘れ去られ、一旦はひっそりその命脈を閉じた。
経済白書の「もはや戦後ではない」という記述が流行語となって3年後の1959年、もうこの辺で声だかに平和を叫ぶには及ばないだろうとのある筋からの策略によって、既存の特急「平和」をなんとなく改称して、ブルートレイン[1]として、固定編成客車を用いた列車「さくら」に生まれ変わった。牽引を担う主な機関車はC11であった。もちろん、運転区間は前記の「櫻」とはまったく異なり、両者の間には一切なんらの関係が無いことに注意を要する。
この列車は、日本でもひと言多いことでは有数の関西圏を敢えて深夜に通過する強硬な時間帯設定を伴っていた。このときの成功体験を長年ひきずったことが、後年の寝台特急列車の凋落傾向に拍車をかけたことは疑いない。
こんにちでは想像を絶するわずか55cmの寝台幅であるうえ、防犯上不利で、先進諸外国では考えられない開放式寝台[2]にもかかわらず「走るホテル」を自豪してきたこの列車は、カメラ[3]は買えても、全車寝台車というこの高飛車な列車には乗れない鉄道少年たちの間で、単なる被写体[4]として人気を博した。しかし、国鉄の度重なる運賃・料金のインフレスライド、連結器の緩衝装置の改悪[5]、使用車両のキハネフ14系[6]化、車掌補の廃止[7]、多くの企業の出張に空路利用が認められ始めたことなどにより、1970年代末から急速に退潮する。
国鉄の解体・株式会社化[8]以後、運行路線がJR東日本・JR東海・JR西日本・JR九州と4社に分断されてしまったことにより、「さくら」のプロモーションの責任の所在があいまいになった。また、そもそも国鉄解体は、九州の中央からの分断を目的にしたものだったが、それが失敗だったと見做されるのを恐れるというだけの理由で対東京の寝台特急を維持しなければならないことは、JR九州にとっては到底承服できないものであった。そのため、牽引機関車を下関と門司で交換するという所要時間の意図的な延長のみならず、2000年には、JR九州は、下りの「さくら」が九州島内では博多発の電車特急に何度も追い抜かされるというこれ見よがしなダイヤ構成を断行した。これにより、「さくら」の衰退は目論見どおり確実なものとなった。そして、2005年についに、「さくら」の歴史は終焉を迎えた。
[編集] 利用状況
「さくら」の乗客は、すべて終始サクラであったと巷間いい伝えられている。
[編集] 「さくら」復活計画
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どうか、せめて38.107.191.95さんだけでも、この記事のことをいつまでも憶えていて下さいますように。
2009年2月、突如JR九州は「さくら」を復活させると発表した。 国鉄解体が本州と九州の分断政策とされる中、それに対する九州人の抵抗の意思表示として2011年3月に新「さくら」を本州に乗り込ませるというものである。 しかし、JR東日本とJR東海はこの計画を見るや否や寝台特急時代のプロモーションの責任問題の再燃を恐れて逃げ出してしまい、結局JR西日本とのタイアップという形で実行される事となった。
[編集] 脚注
- ↑ 過酷なアパルトヘイト政策で知られていた南アフリカ共和国で運行されている看板列車の剽窃。
- ↑ ヨーロッパでは、簡易寝台と訳されるクシェットですら、施錠可能な扉つきの個室である。
- ↑ いくつかの銀塩フィルム会社では、わざわざこれらの列車に合わせてブランド名を変えたほどである。
- ↑ ヘッドマークは偶像崇拝の典型であったとする指摘も根強い。
- ↑ 毎回発車時に、心地よい目覚めを提供してくれるあのショックの元凶であった。
- ↑ 安眠をもたらす振動と煤煙(ばいえん)の源だった。
- ↑ このため、携帯電話のマナーモードのアラームなど無い時代には、早朝、乗り過ごさないよう自分で起きなければならないため、乗客は多大な精神的負担を要することとなった。
- ↑ 実態は民営化などではなく、特殊法人化であった。
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