せんだみつお

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せんだ みつお(1947年(昭和22年)7月29日 - )は、日本のタレント、フリーター、コメディアンである。

生い立ち[編集]

1947年に、樺太にて生まれる。出生地が樺太なのはせんだとタロとジロと間宮林蔵くらい。私もすごい男だ。と本人が語っている。小学校3年の時に新宿の伊勢丹前を歩いていた所、児童劇団にスカウトされ、子役になる。イプセンの「人形の家」に主演女優の長男役で出演したり、雑誌のモデルをしていた。本人いわく「せんだ、相当可愛かった」。法政一高に進学し、法政大学へ進学が確定かと思われたところ、せんだが団塊世代のため、人数が多すぎたので無試験で全員法政大学へ進学という訳にいかず、上位6割が法大へ進学、下の4割は他校受験という形式に変更され、4割の方に入る。父親に報告したところ「狭き門の4割の方に入ったから、まあいいだろう。」と訳わからない事を言われて許しをもらう。やむを得ず、駒沢大学を受験して合格し、2年で中退する。

芸能界デビュー[編集]

ビリーバンバンというバンドのメンバーとしてコンガの叩き役で活動をしていたせんだであったが、ビリーバンバンがメジャーデビューする事となり兄弟デュオの方が良いというレコード会社の意向でメンバーをクビになり、22歳でリストラの憂き目に遭う。やがて司会者を務めるうちに、実績を認められてメインの番組をあのでかい女と持つこととなったのである。この番組はすぐに終了したが、次々とラジオの番組の依頼が入ってくるようになったのである。この後、どうなるかを知らずに…。

黄金期[編集]

きっかけは1972年10月であった。「ぎんざNOW!」という番組をキャシー中島と始めたせんだ。当時は夕方のせいか視聴率が悪く、苦労したが、せんだのギャグであっという間に視聴率急上昇!!瞬く間に視聴率は2桁に行き、せんだの快進撃が始まったのである。その番組には、今ではとんでもなく考えられないゲストが多数出演しているのであった。矢沢永吉関根勤竹中直人といった後にスーパースターになる人物が招かれていたのであった。当時のゲストは勿論、無名である。矢沢永吉がその番組に出演した時には、あの矢沢永吉が「せんださん、よろしくお願いします。」とせんだに挨拶し「おう、わかった!!」と返事をするせんだの姿があった。矢沢が番組出演のため、ポマードを楽屋で頭につけていた所、楽屋があまりにも臭いので我慢できなくなったせんだが「悪いけど、臭いから下のトイレでポマードつけてくれる???」と文句を言い、あの矢沢永吉がせんだの言うことを素直に聞くほどの黄金期であった。一時期は週に10本のレギュラー番組を持つことになったのである。

転換期[編集]

転換期は1978年の12月であった。ハードスケジュールがたたり、せんだが31歳の時に倒れてしまい、1979年の3月まで4月間入院する事になったのである。せんだがすっかり休んでいる間に主に大阪民国周辺出身のお笑いタレントがテレビを席巻していたのである。北野武といった多少の例外はあったが。気が付くと、せんだはとっくに「氷河期」に入っていたのである。

氷河期[編集]

氷河期に入ったせんだは、結婚式の司会者やスナックや焼肉屋の一日店長、といった仕事をこなしていくのであった。また黄金期に培った人脈を生かし、ビートたけしや明石屋さんまといった大物タレントに小判鮫のようにくっついて、話のネタにしてもらったりして話題を振りまいて忘れ去られないようにしていたのである。色んな人がせんだネタを作り、話題になっていた。

それが功を奏し、伊集院光伊集院静という大作家にもネタにしてもらった事もある。「せんだには芸能界に、沢山の悪友がいて、派手好きだった友人の葬式に赤いネクタイをして出席した。」と大作家にネタにされたのである。それを読んだせんだは、マネージャーと「葬式に赤いネクタイなんかして出たことないよな」と話をしていた所、1週間ほどして偶然にも伊集院静と、ばったり出会ったのである。せんだが「先生、初めまして。ところで先生が書かれた本の中に…」と言いかけた所、伊集院先生が立ち上がり「せんださん、嘘を書いて申し訳ございません!」と頭を下げて謝罪をしたのである。せんだ本人も、これには驚いたと語っている。

他にも、「センダ、ミツオ、ナハナハ」と本人が出演していないのにコマーシャルで勝手に名前が使われて謝礼で10万円をもらったり、ヒット曲「明日があるさ」をパロディー化して「明日がないさ」を発表したり、パチンコ屋のゲストとして招かれたりして仕事をこなしているのである。

エピソード[編集]

ドロボーに入られる[編集]

1985年、タレント専門狙いのドロボーに入られ、多数の貴金属を奪われる。家族と外出後に異変に気が付く。門や玄関が空いており様子がおかしかったので警察に110番してみてもらうと時計やネックレスなどの貴金属が盗まれていることが判明。警官にニュースにならないように依頼した所、翌日にタモリが「笑っていいとも」で「せんださんの家、ドロボーが入ったらしいぜ。」と暴露してしまう。被害額40万円でタレントのドロボー被害としては、最少記録を更新し、未だにその被害額の最少記録は破られず。

「せんださんの家に入ったドロボー、せんださんにとってはだな。だって久しぶりのテレビ出演だぜ。ヤラセじゃねぇのか??」
せんだみつお について、北野武
「せんださんの家じゃあさ、画鋲(がびょう)や釘を貴金属って言うらしいぜ。」
せんだみつお について、北野武

バイクに追いかけられ事故を起こす[編集]

1994年、せんだが都内某所を車を運転していた所、せんだが運転する車の[7878]のナンバーに気づいた2人組のバイクがひょっとして「せんだみつお」が乗ってるんじゃないかとギャグで確認したところ、何とせんだ本人が運転しているのを確認!!!からかって、せんだの車を追いかけ回し、せんだが車のハンドル操作を誤り、民家の塀に激突。2人組のバイクは激突シーンを目撃して未だに逃走中とか。マスゴミの報道の大きさに「まだタレント活動が出来る」とせんだは大きな勘違いをする。

せんだみつおゲームがCMで流される[編集]

1998年、サラ金のコマーシャルで「せんだみつおゲーム」が使用され、大流行したとかしなかったとか。宇宙人が「センダ、ミツオ、ナハナハ」と喋ってナハナハをする内容のコマーシャルであった。謝礼で10万円をもらう。

にせんだみつおに改名を決意[編集]

2000年、ミレニアムを記念して改名を決意。「にせんだみつお」に改名しようとしたが、周りから猛反対され顰蹙を買う。そして断念する。

飲酒運転で当て逃げ事故を起こす[編集]

2000年9月、飲酒運転して、当て逃げ事故を起こす。都内を運転中、前の車がハザードを出して動かないので追い越した所その車が追いかけてきて、せんだの車の前に割り込んで停止する。「後ろからぶつかりましたよね」と声をかけられ、酒気帯び運転で留置所に留置される。6日間の留置所生活を過ごした後、釈放されて、半年間の自宅謹慎をする。もともと少なかった仕事が更に少なくなる。

「せんださん、せんださん、ナハナハやってくださいよ。」
せんだみつお について、留置所の看守
「せんださん、せんださん、久しぶりのテレビ出演!!しかもNHKの夜7時と9時のニュース。やったね!!」
せんだみつお について、留置所のおじさん
「せんださん、裁判官がせんださんの目の前で、両手をふってナハナハやってたの気づきました??」
せんだみつお について、留置所の看守
「ねぇねぇ、あれ、せんだみつお、せんだみつお。ほら、スカートの中を盗撮して「ミニにタコ」って記者会見で言い訳してた人
せんだみつお について、ワイドショー好きのおばちゃん


関連項目[編集]

外部リンク[編集]


この項目「せんだみつお」は、執筆者自身は結構気に入っていますが、どう見てもクソの山です、本当にありがとうございました。ダチョウ倶楽部に訴えられないうちにとっとととりかえることをお勧めします。 (Portal:スタブ)