べらぼう

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べらぼう(遍良坊、篦棒、便乱坊)とは、江戸時代の僧侶である。

概要[編集]

一般に「べらぼう」とは「(へら)を(ぼう)のように使う馬鹿」の意味として解釈されている[要出典]。確かによく撓ってすぐに折れてしまう篦を棒(例えば閂、物干し竿)のように使えば役に立たない事から、それなりの信憑性があると思われるが、実は「べらぼう」の語源は別のところに存在していたのである。

遍良僧正[編集]

遍良僧正(へんりょうそうじょう、慶長2(1597)年生 - 寛文6(1666)年没)は下野国巴波郷(現小山市)の出身で寛永5(1628)年、恋女房の病死を機に出家し、江戸にある済海寺(さいかいじ)に入山、念無上人(ねんむしょうにん)に弟子入りした。その後数年は真面目に修行していたものの、一度師匠の代講に立たされて檀家さんに説教をしてみたところ、これが大うけ。あることないこと広げた風呂敷八百八町、高尚な仏教講釈を下世話な喩えに風刺するなど、平和な江戸っ子たちの知る権利知識欲を刺激し、一躍人気者となった。

……まではよかったのだが、これが町の講釈師ならいざ知らず、ありがたいお坊様がそんな下品な話を大っぴらにされてはかなわない、{{極端すぎる皮肉}}であると頭の固い檀家の一人が遍良を奉行所に訴え、みごと遍良は江戸払いとされてしまったのであった。これが転じて「ろくでもない」物事や話およびそれをする人を「べらぼう(遍良坊)」と言い習わすようになったと言われている

ちなみに、遍良の僧位は伝燈住位(でんとうじゅうい、凡僧に与えられる位の一つ)に過ぎず、「僧正」の位は放逐された後に自称したものであるが、田舎でなら案外バレないものである。あるいは嘘がバレて「便乱坊(べらんぼう気違いの異名)」と陰口されることも多かったとされているが、そんな評判など関係なく、飄々と生きたと言われている。

一方、べらぼう【便乱坊・可坊】は寛文年間(1661-1673)に見世物小屋で評判になった全身まっ黒で頭がとがり目は赤く丸く顎は猿のような姿の芸人であり、愚鈍なしぐさで客を笑わせた。この見世物から「べらぼう」が「ばか」「たわけ」の意になったという説もある。

べらんめえ[編集]

べらぼうな面ぁしてんじゃないよ、このべらんめえが。

これが更に転じて「遍良の前(べら-まえ、面)」が江戸訛りによって「べらんめえ」となった。遍良僧正のような厚顔無恥、鉄面皮を差してそう呼んだのが語源[要出典]である。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

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