め組の半鐘
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
め組の半鐘(めぐみのはんしょう)とは、町奉行根岸鎮衛の機転によって、全くの無罪であるにも拘らずポルターガイストが取り付いた呪いの半鐘であるという烙印を押され、全ての責任を擦り付けられ島流しに処されてしまった気の毒な半鐘である。スケープゴートについて言及する際、類例として援用されることがある。なお、遠島された半鐘は明治時代になってから帰参を許され、今は芝大神宮で大事に保管されている。
[編集] 『め組の喧嘩』の顛末
この半鐘が島流しにされる経緯について詳述するには、まずは全ての発端であるめ組の喧嘩という騒動について言及しなければならない。とび職とRIKISHIの間で起こった些細などつき合いを端緒とし、喧嘩がヒートアップしてゆく最中、櫓に備えられていた半鐘が突如鳴り響き、町火消しまでもが駆けつけて喧嘩に介入して規模が拡大、江戸中が上へ下への大騒ぎとなった事件である。実際のところは、とび職側の誰かが、町火消しに加勢を求めるべく半鐘を鳴らした可能性が濃厚なのだが、これを裁決した根岸鎮衛は「半鐘が勝手に鳴った」として半鐘に全ての責任を擦りつけ、半鐘を島流しに処した。喧嘩を惹起したとび職数名にも追放などの厳重な処分が下されたものの、最も過酷な処分を申し付けられたのがこの半鐘であった。根岸曰く、半鐘には怨霊・亡霊が取り付いており、血なまぐさい喧嘩に共鳴して勝手に鳴り響いた。かかる半鐘を放置しておけば、今後も勝手に鳴り響く懸念があり、江戸を混乱に落としかねず、早急な追放が妥当であるとして、遠島を申し渡した。
[編集] 何故根岸は半鐘に罪を押し付けたか
半鐘をスケープゴートに仕立てることでとび職やRIKISHI達に及ぶ罪を出来る限り減らそうと根岸が思慮を巡らせた、とよく言われているが、この事件を担当した奉行の根岸鎮衛はオカルト話が大好きであり、存外、本当にポルターガイストの類が憑依して勝手に鳴った、と思い込んでいたのかもしれない。
[編集] その後
半鐘が遠島に処された後、新しい半鐘が建造されるまでしばしの時間を要した。その間にも火事と喧嘩は江戸の華とまで呼ばれた江戸には火災が絶えず、町火消し達は伝達手段である半鐘を欠いた状態で火消しの要請に呼応し、町人達の避難を誘導しなければならなかった。当然のことながら、危険を周知させ、集合を呼びかける警報装置が欠落した状態では円滑な火消し活動が行えず、町火消し達は半鐘に責任を擦りつけた奉行の根岸並びにとび職、RIKISHI達を非難したという。
一方半鐘は遠島先でのんびりと隠居生活を送っていた。