アンサイクロペディア・ウィキペディア戦争

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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アンサイクロペディア・ウィキペディア戦争(あんさいくろぺでぃあ・うぃきぺでぃあせんそう)とは、インターネット上ではるか長くから繰り広げられている戦争である。おそらく100年戦争並みに長くなることは確実で、その規模はアメリカの本場ブラックジョークとロシアのアネクトードをあわせれば、世界大戦の規模にまで拡大する。現在、この戦いはこう着状態にあるとされているもの、世界の平和を祈るアンサイクロペディアでは、一般の人々にこの戦争の本質を伝えるとともに、決してウィキペディアを信用するようなことのない様、心から祈るものである。

概要[編集]

そもそも、ウィキペディアなどというカオスが真実を名乗ったことが全てである。真実の名の下に、世界中から知識と、それを伝える数十万人の奴隷を手に入れた単なる一サイトが、自分達は正しい、自分こそが知識の泉であるなどと宣言しやがった結果、そのよりアンサイクロペディアが生じ、自分達が嘘であり、自分たちこそが大法螺の泉であると、ウィキペディアのマネをしまくることで、実はウィキペディアなどというサイトは単なる掲示板に過ぎず、知識などというものは、それを信じるかどうかでしかないことを大衆に知らしめる。

その昔、を身につけたキチガイが、数多くの哲学者を論破した光景と似たようなものである。

両軍の特徴[編集]

ウィキペディア軍[編集]

  • 数で押しまくり、世界中で圧倒的な知名度をほこっている
  • 自分たちのほぼ全てが正しいと思っている。
  • 正しいことを書くサイトなので信用性が高いと思い込んでいる。
  • だが、実際は専門化気取りであるので正しくないことも多いけれど、そういった話はほぼ無視されている。
  • 日本語版のAV女優一覧が、世界中から視聴される大人気ページになったことが黒歴史。
  • なお、規約の時点で信用性についての責任保証はない。
  • 何か起きても絶対に責任は取らない。そもそも「個人」が作っているわけではないし「代表」もいないので、誰かが責任を取る筋合いもない。

アンサイクロペデイア軍[編集]

  • 数は圧倒的に少ないが、キチガイが多くても意味はない。つまり、量よりも質を重視し、何よりもタイミングが重要に為る。
  • 事実を笑いに変えるならまだしも、大法螺を事実にするなどということもある。
  • 知名度があがるとその分、弱体化する性質を持つ。なお、サーバーのせいなので、絶対に改善しない。
  • なによりも、世の中が知識だの常識だので不自由であるからこそ、生き延びている。
  • 質の悪いうそとデマも存在する。しかし、そういったものがないと何が質がいいのか分からなくなる。
  • 何度でも言う。重くなるから2ちゃんねるの記事をRSSに載せるな。
  • もちろん、世間から批判もあるけれど、無ければ無いでさびしがる。

両軍から見た敵の評価[編集]

サイトの転載だ。

ウィキペディア→アンサイクロペディア[編集]

アンサイクロペディアの非公式な目的はウィキ形式に則った事実を提供することにある。分かりやすく言うと、文章や構成をコピーできて、手抜きしながら良質な笑いを広めることのできるマイナーな記事を常時提供し続けることである。福本豊やしきたかじんといった、事実と知識だけでおなかがいっぱいになるような記事を、アンサイクロペディアでは常時待ち望んでいる。

しかしながらこの目的はしばしば見失われ、ウィキペディアではあらゆるトピックにおいて必ずしも風刺的ではない堅苦しいユーモアのかけらもない記事が大量に作成される傾向にある。しかし、その結果として利用者の文章力が上がるかというと決してそんなことはなく、単に面白みのない文章の人間が増産されていくだけである。とはいえ、ウィキペディアの一部利用者はそういった傾向に抗う性質を持ち、事実を事実として伝えながら、読み手を深く自分の世界にいざなう力量を持ち、最終的にはただの漫画の記事であっても、面白い記事に化けるなんて話が多々ある。

あるのだけれども、なぜだか、その後、スタークラフトのザーグラッシュのように無体な記事の更新が積み重ねられて、記事のバイト数だけがとりえの何の感動もない記事に成り果てることもよくある。

結局、ウィキペディアではユーモアの存在はほぼ禁忌となっており、記事が正確でもユーモアの存在があればそれは不真面目であるとみなされる。しかも管理者がその記事の知識を持たなければ、いくら笑える事実であったとしても、その記事とその項目は削除対象となる。またアンサイクロペディアと違い、センスのある短い記事などは言語道断で、作ってはならないとされている。また、未完成な記事を書いておいて、誰かが修正してくれるのを待つといった方針はよっぽどの緊急的な事象を除けば管理者からチェックされる行動に他ならず、死にたくなければある程度完成された内容であることが望まれる。

ウィキペディア←アンサイクロペディア[編集]

それとは逆、アンサイクロペディアからウィキペディアへ知識の流入が起こることはほとんどない。しかし、記事の対照に情熱を持つ書き手同士がウィキペディアとアンサイクロペディアで火花をぶつけるなどという話はいくつか確認できる。某声優の記事や某戦車破壊王、そして某アニメや某サッカーチーム、某大震災など、明らかにアンサイクロペディアに触発されて、もともとごくごく短い記事だったウィキペディアでも内容が増大し、あくまでもウィキペディアのスタイルに則って、アンサイクロペディアに対抗するなんて話がある。

無論、元がジョークであり冗談であるため、ウィキペディアの動きもまた良質なジョークであり、笑うしかない冗談になるのがオチだけれども、そういった表現同士のぶつかりあいが無いと、文章力も表現力も、何よりも記事を更新し続ける意欲も持たないため、この件については戦争ではなく協力関係にあるとみていい。    

戦況[編集]

しかし、そういった協力関係とは別に、ウィキペディアが常時ザーグラッシュのごとき画一化された表現をインターネットに増大させ続けているのは事実である。それに対するアンサイクロペディアは、一瞬、傍目には優勢に見えてもウィキペディアを倒せるほどの力はない。あるわけが無い。そもそも、影でしかない。実際、ジオン軍の某大将が語ったように、戦いは数である。

そして、ウィキペディア大衆を味方につけている。この差は小さいように見えて永遠である。

けれど、アンサイクロペディアはその影である。その差は大きいように見えるけれど、実際はべつにどうってこともない。

では、アンサイクロペディアがウィキペディアに勝つ方法はあるのかというと、答えは簡単かもしれない。「大衆を味方にすればいい。」ウィキペデイアが知識をもってしてそうしたように、アンサイクロペディアが即時性を持って、笑いとユーモアでアホな知識をあざ笑って、より具体的な真実を広めることは可能である。

問題は、それがしちめんどくさいという話である。

関連項目[編集]