アンドレアモーダ

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アンドレアモーダ(Andrea Moda)とは、1992年に9レースだけ参戦したF1の超弱小チームである。オーナーが逮捕されたため、チームごとF1から追放された伝説のチーム。F1の最大の黒歴史の一つである。ちなみにマシンのカラーも黒だった。

チームのオーナー[編集]

オーナーは、名前からしてワイセツなイタリア人のアンドレア・サセッティというイタリアの靴屋であった。彼は成金のくせにベネトンの真似をしてF3000(F1の下部カテゴリ)のマシンを買い取ってF1に参戦するという野望を抱いた。そして、チームを継続させるためにカネが必要だったのか、詐欺事件を起こし、ピット内で逮捕された。これにより彼のチームはシーズン途中でF1からあぼーんされた。

チームのドライバー・戦績[編集]

こんなどうしようもないチームだったのに関わらず、なんとファーストドライバーは、1990年の鈴鹿で2位になった実績を持ち、後にアメリカのインディーカーレースでも活躍したロベルト・モレノであった。この時代は怪しげな弱小チームが乱立していた時代で、F1の決勝は26台,予選は30台までしか出られないため、その30台を絞る込むために予備予選が行われていた。当然ながらアンドレアモーダはほとんどこの予備予選を突破することができなかった。そんな中、ドライバーの腕がモノをいうモナコで、モレノが予備予選を突破し、予選でも26位に入り、本戦に出場した。これが、チームにとって最初で最後の決勝進出となった。

ちなみに、各種ホームページなどでアンドレアモーダの戦績を調べると、「DNQ」「DNPQ」という文字が並んでいるが、これは「ドキュン」という意味ではなく「ディッド・ノット・クオリファイド=予選落ち」「ディッド・ノット・プレ・クオリファイド=予備予選落ち」という意味である。

セカンドドライバーは、ペリー・マッカーシーという新人のくせに頭が禿げ上がった英国人であったが、こんなドライバーの顔を覚えている奴はほとんど病気である。彼は快晴の予備予選でレインタイヤを履かされていたことがある。チームからのいじめに違いない。うん。

ちなみに両ドライバーとも禿げである。

チームが消滅した二年後、マシンを作っていたシムテックが、「アンドレアモーダがダメだったのは俺たちのせいじゃない」と一念発起、チームを立ち上げ参入したが、結果はほんのちょっとだけマシだった程度であり、やっぱりな、と周囲を納得させた。


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