イワン・パブロフ
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
イワン・ペトローヴィチ・パブロフ(Иван Петрович Павлов、Ivan Petrovich Pavlov、1849年9月14日 - 1936年2月27日)は帝政ロシア・ソビエト連邦の生理学における被実験体。行動主義学における「古典的条件付け」を立証すべく、飼い犬(名は未詳)に実験された。
[編集] 「パブロフの犬」の実験
飼い犬はまず、自らの食事前にパブロフがベルを鳴らすことに注目し、ベルを鳴らさないと食事を採らないという「条件付け」を行った。それを繰り返した結果、パブロフは食事前でなくとも飼い犬を見るとベルを鳴らすようになった。そのとき、飼い犬は立証の喜びのあまり、よだれを垂らしたと伝えられる。
その後もパブロフは犬を見るとベルを鳴らすことを続け、その功績により1904年にイグノーベル賞を受賞。世間の笑いものとなった。素晴らしい実験を行った犬は今でもはく製として大切に保管されている。一方パブロフのほうはロシアの凍てつく不毛な大地にほっぽり出されている。生前暴力をふるわれた妻のささやかな復讐である。
余談だが、「パブロフの犬」という実験名があまりに有名なためにパブロフ自身が犬であると誤解されやすいが、その場合「パブロフは犬」、「パブロフが犬」もしくは「パブロフも犬」という実験名になるので注意されたい。「パブロフの犬」という意味ならパブロフの奴隷、つまり暴力夫であったパブロフの妻ということになる。
また、唾液フェチとしても有名で「アダルトビデオで最も興奮するのはよだれをたらされるところ、次が獣姦」と『月刊wan(わん)』の1899年6月号で答えている。
[編集] 「パブロフの家」の実験
次に実験を試みたのは、ドイツ人に目標と手柄を与えると異常なほどの熱心さで物事に当たることに着目、単なるガレキの山に攻撃目標という「条件付け」を行った場合、ドイツ人、および狂いかけの総統はいったいどのような行動を行うか。そんな大変興味深い実験をパブロフは第二次大戦で行っている。なお、実際に実験を行う際、ドイツ人が好んで仕方がない困難および無理難題という二大要素も付け加えた結果、このバブロフの家の実験もノーベル賞クラスのとんでもない効果が立証される。
まず、単なる4階建てのアパートに25人ほどの生粋の軍人を配置し、壁をぶち破って手前の広場に入ってくるドイツ人を片っ端から撃ちまくるよう厳命。さらに、アパートの裏側にある川まで塹壕を掘ることで対岸からの補給線を保つという状況を作る。さらに、対戦車ライフルや機関銃も備え付けた状況で、いったいどれぐらいのドイツ人が単なるアパートと単なる広場というかなりどうでもいい目標を無視し、違う標的に向かうかを実験することにした。
最初、9月末にドイツ軍はこのアパートと広場に着目。すぐさま戦車と歩兵を向かわせるが、単なる広場という地理的状況の下では優秀なドイツ軍といえど対戦車ライフルと機関銃のエモノにしかすぎず、瞬く間に多くの戦力が失われてしまう。しかし、ほとんどの軍隊の性質がそうであるのだが、まず、少数の強敵を見つけるとそこに戦力を集中したくなるのが軍人の常、さらにドイツ軍は単なるアパートと単なる広場へ増援し続ける。そして、アパートからの反撃で戦力を減らす→増援→反撃→派兵→殲滅。10月半ばになってもまだ増援、派兵を繰り返し、結局、単なる広場が死体と戦車の残骸の山になってもまだドイツ人はこの単なるアパートと単なる広場にこだわり続けた。この段階で、理性的な多くの軍隊が、単なるアパートと単なる広場を諦めるのが普通なのであるが、そこは質実剛健なドイツ人、11月になって恐るべきロシアの冬将軍の足音が聞こえてきても、いつまでもいつまでもこの単なるアパートと単なる広場にこだわった。
ちなみに、最初に派遣された25人にはまったく増援されていない。
最終的に、11月末になって25人しかいなかったアパートにロシア軍の増援が来たことで、ドイツ人はこの単なるアパートと単なる広場の占領を諦め、この偉大な実験は終了する。「有利な地形において少数の兵力で立てこもり、敵軍から少数の増援を小出しにさせ続けることで、たった25人でも2ヶ月以上軍団の進撃を食い止めることが可能になる」。この偉大な実験結果から、ソ連軍はより一層「質を無視した物量攻撃」という必殺技を重視していくことになる。なお、ドイツ人の習性か、もしくは軍人としての本能のどちらかであるが、この単なるアパートと単なる広場は、ドイツ軍の地図に「要塞」として記載されている。
ちなみに、アパートの住民は、戦闘中も逃げ出すことなく、そこで暮らし続けていたりもする。