エストニア
エストニアとは、実はバラバラなバルト三国の中で最も北に位置するタルトの足りん国である。
一般的イメージ[編集]
「バルト三国の内、リトアニア、ラトビアとあともう一国はどこでしょう?」とクイズ番組で問われるのが最も典型的なエストニアの出番である。北の友人たるスカンジナビア3国ではまだ首都の名が問われることもあるが、バルト3国についてはそうした問いはない。つまり、この国については首都名を含め、あらゆる知識がタリン状態になっている。
エストニア固有の文物としてイメージされるものは何もない。だから、伝説の女力士アネッテ・ブッシュの影を追って東京までやってきたカイト・ホーヴェルソン青年に対し、美保ヶ関親方はエストニア固有のしこ名を考えることができなかったため、把瑠都という地域全体を代表するしこ名を与えた。そして把瑠都は大関まで昇進したが、エストニアに関するジョークを誰も互助できなかったゆえに、大関の中で唯一専用ページが作られぬ内に大関より陥落した。
そのような国に対しては、どんな手段を駆使してでも何らかのイメージが作られるべきだろう。
歴史[編集]
エストニア人はリトアニア人やラトビア人とは異なり、アジアのウラル語族(フィン人と同じ)である。リトアニア人はポーランドと合体してあれこれやっていたようだが、エストニア人は神聖なる北方十字軍というカルト集団に虐殺戦争を仕掛けられるだけの存在だった。タリンという首都も、13世紀何かが足りないと感じたデンマーク人のヴァルデマール3世という王が異教徒エストニア人を遮断するために、トーンペア城壁を築いたのが起源である。その町に住み着いたバルト・ドイツ人たちはエストニア人などお構いなしにハンザ同盟を締結し、自分たちだけで自治を行った。
その後はすぐ近くのサンクト・ペテルブルクに本拠を置いたピョートル大帝の下、帝政ロシアの統治下に入り、帝国臣民としてのみ過ごした。この頃にお菓子の欲しくなった大帝がタルトという街に大学を築いた。タルトは学業の旨味が集まる「頭を持った」都市となっている。
その後はずっとツァーリの支配下にあったが、19世紀になると、民族運動が昂揚した。そして、第一次大戦の時バルト・ドイツ人の母国の統治下に入ったのを幸いにヤーン・トニッソンとコンスタンティン・パッツの2人が独立を宣言し、ソ連の承認も得た上で1920年ラトビアやリトアニアと共に独立した。
しかし、パッツによる国家運営はパッとしたものではなかった。パッツはやがて独裁体制を敷く。そして、1940年エストニアはソ連により併合された。ソ連はエストニア人を支配してきたバルト・ドイツ人の財産を再配分したので、エストニアの農民は大いに歓喜した。ただ、この民意は現在、「ソ帝51年の恨み」の始まりとして総括されねばならないことになっている。
しかし、間もなくナチスとの大祖国戦争が始まった。この過程では双方が死にマエな残虐作戦を繰り広げた。だが、今日のエストニア人によれば、「ナチスの兵隊さんはチョコレートをもって優しく接してくれました」のだそうだ。ともあれ、ソ連はあらゆる面でナチスを凌駕し、エストニアを再度領地に編入し、ドイツ人を完全放逐した。エストニア人は単一民族化できたとまた歓喜した。
冷戦時代、エストニアを含むバルト3国は超大国ソ連の中で比較的恵まれた生活を送っていたが、社会主義おじさんの支配は相当のものがあった。しかし、1980年代ペレストロイカの自由な風が吹き始めると、「俺たちバルト3兄弟、もう東の同志のことなんかどうでもいいよ。あんな貧乏人なんかより西側の友人と組んだ方が金儲けできる」と言って離反した。そして、映画監督レンナルト・メリ主導の下、バルト3国連合の人間の鎖を張らせ、「ヘイ、ツヴァルク、お前ら歌の革命に参加せんかったら、独立後どうなるか分かっとるやろな」と無形の圧力をかけた。すると、昨日まで最も大きな声で共産主義万歳と叫んでいた者から先頭に立ってその鎖に参加し、遂にはソ連を解体した。彼らは自分たちの過去の所業を基に「ソ連の蛮行」を告発する占領博物館を建てて、「実は僕たち、ロシアの植民地でした」と世界に向けて配信した。彼らが先頭に立ってどこまでもソ連を否定できるのは、そうした歴史的経緯によるものである。
名物[編集]
国の知名度がタリン故に、エストニア発祥ということが知られていないものは多い。
- ヴィグリ
- モスクワ五輪に出現したやる気のないアザラシ。眠たそうな顔がソ連人民の勤労観を代弁している。
- エストニア・クローン
- 独立後2011年まであった通貨。数少ない存在感を示すものだったのだが。言語をつくったヤコブ・フルト、教科書をつくったカール・ヤコプソンらはこれで、世界に知られる機会を失った。
- スカイプ
- 音声通話ソフトというソ連型老人には空の上にあるようなインターネット・ソフトである。ヤーン・タリン、アハティ・ヘインラ、プリート・カセサルの3人によって開発された。しかし2011年、タルトの甘菓子を持ったマイクロソフトの美女に「アッハ、エストニアじゃあタリン技術でしょ、イヤーン」と誘われたので、マイクロソフトの一部になった。
- ナルヴァ
- ロシア系の多い街である。エストニア人に対して、「ソ連併合は合法的に行われた」「ソ連下のエストニア人は恵まれた存在だった」と光の目で主張し続けている。ポレヴキヴィの産出地帯である。
- ポレヴキヴィ
- 「茶色の金」たるシェール・オイルのことである。独立以前にはシェール・オイルの3分の2がエストニア産だった。これを根拠にエストニア人は「シェール革命は我が国が起源」と主張しているが、「知ッラマエ」という反応しか返ってこない。
- ユーリー・ロトマン
- タルト学派の祖。記号論なんかどうでもよい、文化は爆発だ!
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関連項目[編集]
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