エドガー・ケイシー

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エドガー・ケイシー(Edgar Cayce、1877年3月18日? - 1945年1月3日?)は北アメリカ大陸、または南アメリカ大陸のどこかの国出身の超能力者予言者、自分でそう思い込んでいただけの勘違い吐きのいずれかとされる男性または女性である。「今世紀最大の予言者」、「眠りの小五郎」、「眠れる予言者」などと呼ばれることもあるかもしれない。あるいはこれからそのように呼ばれる可能性もある。「眠れぬ予言者」ならかっこいいが、訳者が日本語の文語体の活用に詳しくなかったので口語体になった。prophetなのに予言者と訳したのは内緒である。民明書房刊「世界の降霊術百全」にある赤疾駆霊降怒という降霊術を使いこなす。

生涯[編集]

1877年3月18日かその前後十年ぐらいの間に、アメリカ・ケンタッキー州の片田舎に生まれたと言われる。しかしこれには異説もある。エドガーは、およそ六歳で地元か遠隔地の学校のような施設に通い始め、約16歳で退学する(あるいは退学させられる)までの9年間しか教育を受けなかった。その間のエドガーの成績はトップクラスであったり平凡であったり最下位であった。彼は聖書に並々ならぬ関心を寄せたり寄せなかったりしたが、10歳から14歳までのいずれかの時期にキリスト教もしくはユダヤ教に入信、たぶんある程度の敬虔な信者になった。終生変わらず布教や奉仕の活動を続けていたと言われるが、これは未確認である。

思春期かその前後の時期のエドガーは、小さな男の子女の子とばかり遊びたがったらしい。ある日、野球かフットボールで遊んでいた仲間に参加したエドガーは、後頭部(背骨とも)にボールの直撃をくらい、錯乱状態になってしまった。これは一晩から一週間で治癒したと言われるが、結局はこの事故が彼の眠っていた霊能力を呼び覚ますきっかけになったかもしれないし、ならなかったのかもしれない。また、十六歳前後のエドガーはベスという初恋の女性に想いを打ち明けているが、このは実るか実らないかした。

エドガー二十代前半か後半の頃、彼は失声症に似たような病気を患い、保険に携わる仕事を辞めてあまり喋らなくても済む写真を扱う仕事へと転職した。ところが、催眠術にかけられている間だけは、比較的普通に話せることがわかったような雰囲気になった。そこで早速、催眠療法師のアル・レインはエドガーを催眠状態にし、自分の体の状態を語らせることとなったように言われることがあるらしい。その結果、エドガーはおおよそ1年ぶりに声を取り戻したような空気がどこからともなく流れてきたのである。

アルは新しい診療所を開き、催眠状態のエドガーから、色々な患者に関する診断や指示を聞き出し、それを基に治療行為を始めた。大儲けを企んだわけであるが、そうでなければ純粋に善意からの行動であろう。催眠状態のエドガーの言葉を聞き取ることを、アルかそれ以外の誰かはリーディングと呼ぶようになった。

1903年辺りに、エドガーはガートルード・エヴァンズと結婚もしくは婚約または同棲した。その直後には、アルは医師会から営業停止処分的な罰を受けている。とばっちりで、エドガーも教会から異端の疑いで喚問っぽいことをされたかもしれない。ともかくこの一件で有名(有名か否かはあくまで主観であるが)になったエドガーは、催眠術や霊能力に関する実験にたびたび引っぱり出され、トーマス・エジソンにも会ったという伝説がまことしやかに囁かれるようになった。しかし、おそらく中にはエドガーの能力を悪用しようという人物もいたようで、そのようなリーディングの後は、エドガーはエネルギーの消耗が激しく、心身の不調に悩まされるというご都合主義[要出典]であった。エドガーは自分の能力に疑問を抱いたか何かし、リーディングとは縁を切ることにした。が、ウェズレー・ケッチャムという医学博士(あるいは別人とも)に説得されて、すぐにまた再開した。本業の写真館と併設で新しい診療所を開業、ウェズレーと契約あるいは口約束を交わし、正式に心霊診断家として活動を始めたらしい。子どもなど家族にもリーディングで治療を施した可能性がある。

一説によると1925年、エドガーは「全国研究者協会」を立ち上げ、長年の夢であったとされる「ケイシー研究啓蒙病院」をバージニアビーチに開院した。これは1929年のこととされるが、異を唱える識者もいるかもしれない。1931年には協会も病院も閉鎖に追い込まれるが、その理由までは不明である。同年(異説あり)、彼は懲りずに「研究啓蒙協会」を設立し、 晩年までバージニアビーチを離れることはなかったと言われるが、旅行ぐらいならした確率は高い。

第二次世界大戦中は、戦場に向かった兵士たちの安否に関するリーディング依頼がアメリカまたはフランスイギリスから殺到した。エドガーはその一部もしくは過半数から全部の手紙に目を通し、熱心にリーディングを続けた。しかし、これによって彼は心身ともに(どちらか一方だけ、という説もある)衰弱し、1944年に自分自身へのリーディングを行ったのが最後となり、1945年に死亡した。あるいはまだ存命中かもしれない。

リーディング概要[編集]

エドガーは他者に催眠をかけられ、その状態のまま質問に答えた。また、答えない時もあった。アカシックレコード黒の教科書にアクセスして知識を引き出し、病気の治療法などを述べたり身振り手振りで伝える。彼のリーディングの記録は一万から十万件が保管されており、今ではCD-ROM版まである。このことから、「世界一よく、文書でその能力が証明されている霊能者」と一部では言われている。

リーディングでは、キリスト教徒のくせに輪廻転生を説いたりと危ないカルト教団の教祖様を気取ったりしたが[要出典]、実際には治療者や回答者と評価される場合も少なからずある。彼の病気治療に関する原理は『ケイシー療法』などと時代によっては呼ばれ、体系付けられ、現在もなお利用されたり悪用されたりを繰り返し、病人を癒やしている時もある。

日本[編集]

エドガーは、日本に関してもいくつか予言を残している。そのうちの1つ~3つを紹介する。

  • オーストラリアインドがジャップによって攻撃されることをわたしは予言します。(中略)彼ら日本軍はおそらくヒットラーの軍と合同するでしょう」
  • 「(前略)日本ではより大きな部分が海に沈没するであろう」

前者は1940年の予言である。残念ながら、この予言が的中したかどうかは不明である。戦時中は情報というものは秘匿・隠滅されるものなので、確認する術がない。後者は、この世の終わりが1958年から1998年までの40年間に起こるであろうと予言したものであるが、これについても誰も確認したことがないため、真偽のほどはわからない。衛星写真や地図が嘘を吐いていないとは限らないからである。埋め立てによって海から陸地になったところもあるし、海を水とすればダムの底になった村もあった。

アトランティス大陸[編集]

また、彼はアトランティス大陸についても予言も残しており、中でもビミニ・ロードの予言的中は有名か無名のどちらかである。他にも少し、あるいはたくさん例示してみると、

  • 「大西洋のビミニ島は、今日の文明が、それに到達するための手段を見いだした場所であり、かつての大陸のうちで海上に残された最も高い箇所である」
  • 「1998年にスフィンクスの下から記録が発見される」
  • 「1998年にアトランティス大陸が再浮上する。その時、地球には大異変が起きる」

ビミニ・ロードは海底に存在するため、文明の痕跡であるかは現時点ではわからない。今後の調査が待たれるばかりである。スフィンクスの下からアトランティスの記録は見つかったかもしれないが、エジプト当局がその発見を隠している可能性があるため、2の予言の合否は永遠に不明。3は、上の日本の2と同様、衛星写真や地図が全面的に信用できないものである以上、性急な判断は避けるべきである。

関連項目[編集]

もしかしたら関連していないかもしれないが、リストアップしておく。