エミリー・ディキンソン

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エミリー・ディキンソン(Emily Dickinson、1830 - 86年)はアメリカの詩人。1775篇の奇矯な短いを残したことと、16歳くらいのときに撮られた変な顔の写真により広く知られている。

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その写真。彼女の生前にその詩を評価していたある牧師は「鳩に似ている」と妻あての書簡で述べている。

前半生[編集]

エミリー・ディキンソンは3人兄弟の真ん中の子として、マサチューセッツ州アマーストに生まれた。アマーストは山奥にある森に囲まれた町で、冬は長く厳しく、人々は自然を憎み、原罪を犯した自分たちへの神からの罰と考えた。そして死後の救済を願い、イエス・キリストと聖霊に祈った。みんな昔ながらの、わりとガチガチのピューリタンだった。しかし森を抜けると、周りはユニテリアン派だらけだった。そこではイエスの神性は否定され、ただの髭の生えたおじさんになった。奇跡などなかった。だって理性的に見たらおかしいじゃん。偉いのは天にまします神様ただひとりであり、人間は誰もが同列、皆兄弟で、原罪などなく、我々はちゃんと教会へ行って、日々善くあろうと努力しさえすればいいのだ、という考え方だ。発祥の地であるハーヴァード大学では、学生たちが乱交にふけり、みんなで気持ち良くなっていた。

エミリー・ディキンソンの祖父たちはこの大負けのオセロみたいな状況を憂い、若者にピューリタン主義を叩きこむためにアマースト大学を創立した。エミリーの父は弁護士で、同大学の財務理事をさせられていた。祖父が財産をほぼ大学のために費やしたのでさほど裕福でもなかったが不自由もとくになく、父親は子供たちにわりと好きなようにさせていた。

エミリーは文学青年の兄や、父の法律事務所の若い助手ベンジャミン・ニュートンから文学の手引きを受けて色々読んだらしい。勉強がよくできて、アマースト・アカデミー(高校みたいなもの)卒業後アマーストを出てマウント・ホリヨーク女子大学に通い始める。

冒頭の変な顔の写真はこの時期に撮られたもので、長年、彼女が怪電波を受信していたことの証拠とされてきた。だが本当にそうか。ちょっと引きつった表情をしているのは緊張のせいかもしれない。写真撮影がそれほど気軽にできる時代ではなかったのだから。美人ではないが、動いてしゃべったらけっこうチャーミングだったかもしれない。というのも、手紙などから分かるが当時のエミリー・ディキンソンは知的かつお茶目で、なぞなぞや冗談を好み、大学ではなかなかの人気者だったらしい。「プラトン」というあだ名の親友がいて、エミリー自身は「ソクラテス」と呼ばれていた。

奇人への道[編集]

1848年、ソクラテスは突然大学を中退する。理由は諸説あるが、ひとつそれらしいのを書くと、ある日、大学側が学生を一か所に集めて座らせ、神を信じる者は起立するよう求めたところ、エミリーだけ立てなかった、ということがあったらしい。この時プラトンは立った。アマーストの父の家に帰ると、家族全員が信仰告白をしていた。アマーストの周りを固めるユニテリアン派に対抗すべく、自分たちが伝統にのっとった厳格なピューリタンであることを確認しようという運動が町全体で起こっていたのだった。日曜はみんながミサに行った。ディキンソン家も熱心に教会に通ったが、エミリーはやがて行かなくなった。こんなふうに実家で辛い日々を送っていたとき、かつて父の事務所で働いていたベンジャミンが、遠方からきれいな装丁の本を送ってきた。詩集。ラルフ・ワルド・エマーソン著。

ハーヴァード出のラルフ・ワルド・エマーソンはユニテリアン派教会の牧師でありながら「教会なんか行かなくていいんです、あなたの心の中にいる神と、大いなる自然が、真理への道を示してくれるのだから……」と説いたことで「じゃあお前も明日から来なくていいよ」とクビになり、以後あちこちで講演や自己啓発セミナーを開き、ダンディなカリスマ説教師(自称詩人)として人気を博していた。ボストン郊外のコンコードにある彼のアジトには、ヘンリー・デイヴィッド・ソローウォルト・ホイットマンら定職のないならず者が入れ替わり立ち替わりやってくるとの噂だった。そのエマーソンの魔の手に少女はかかってしまった。

やがてエミリーは妹とヴァーノン山に登ったり、汽車ポッポを見に行ったり、父の手伝いがてらフィラデルフィアに出かけたりするようになり、詩も書き始める。すっかりエマーソンにかぶれた彼女の前に、1857年、本人が登場する。アマーストでの講演の後で兄夫婦の家に立ち寄ったのである。地元の名士だし、いいカモだと思ったのかもしれない。「心を、あなたの心を理性の枠から、解き放つ、解き放つ解き放つ、その時あなたはそう、神に限りなく近づき、そして神とひとつに……」エマーソンの美声に家族が恍惚となる中、エミリーは途中でどこかに身を隠した。

エマーソンの他の被害者たちがどうなったかというと、どちらもエミリーが本格的に詩作を始める前に起きたことだが、まずソローがエマーソンの教えを実践し、奴隷制と戦争を支持する州に抗議するため納税を拒否して投獄された。エマーソンは普通に税金を払っていた。次に、もとは勤勉な印刷工だったホイットマンが、36歳にして将来が見えず発狂し、以下のような怪文書を自費出版した。あまりにおぞましいので一部だけ引用する。

Walt Whitman, a kosmos, of Manhattan the son, ウォルト・ホイットマン、宇宙にして、マンハッタンの子、
Turbulent, fleshy, sensual, eating, drinking and breeding, 荒々しく、肉づきよく、精力絶倫、喰って、飲んで、家畜みたいに子作りし、
No sentimentalist, no stander above men and women or apart from them,  ウジウジせず、男の上にも女の上にも立たず、彼らから距離をおかず、
No more modest than immodest. 下品じゃないが上品でもない。
Unscrew the locks from the doors! ドアのカギなんかもぎ取っちまえ!
Unscrew the doors themselves from their jambs! 枠からドアごともいじまえ!
Whoever degrades another degrades me, 誰かをバカにすることはオレをバカにすることで、
And whatever is done or said returns at last to me. あらゆる言動はやがてオレのところに還ってくるんだ。


ホイットマンがでかい声を張り上げ、ひとの家のドアを次々ぶっ壊して気持ち悪い自己拡大を続ける一方で、ディキンソンは静かに自分の家のドアを閉めた。

290番(部分)
OF Bronze - and Blaze - ブロンズ色で―燃えるよう―
The North - Tonight -     北方に―今夜―
So adequate - its forms - とても適切に―形づくられていて―
So preconcerted with itself, 前もって決まっていたみたいにぴったりで、
So distant - to alarms — 畏れようにも―遠すぎる―
An Unconcern so sovereign このうえなく無関心だ
To Universe, or me -     宇宙にも、そして私にも―


アマーストはかなり北方にあるので時々オーロラが見える。エミリー・ディキンソンは、それをこのように書いた。オーロラは確かに美しい。畏敬の念を覚えずにいられない。しかしそれははるか遠くに、ただ在るのだということを彼女は分かっている。宇宙とオーロラと「私」が、ここには適切な距離をおいて並んでいる。くらえホイットマン。しかしこれは別にエマーソンやホイットマンへのあてつけではなく、ただオーロラを見たから書いただけなのである。それもたぶん自室の窓から。

エミリー・ディキンソンは父親のわりと広い屋敷の敷地内での体験をもとに多くの詩を書いた。時々パーティーや地元のイベントに出席した。パンのコンテストの審査員を務めたこともある。しかしある時期から屋敷の外にほとんど出なくなり、そのせいで引きこもりの電波おばさんのイメージがついてしまった。

それほどでもなかったのではないか。自分の部屋は2階にあったが、そこへ完全に引きこもったわけではなく、しばしば降りてきて家族と団欒したし、料理をよくした。パンやプディングを作るのが得意で、父親は彼女が焼くトウモロコシ粉のパンがお気に入りだったらしい。近所におすそ分けするときはカードに書いた詩や花を添えた。屋敷から出ないので教会にも行かなかったが、いくつかの教会の牧師と文通をしていた。文通の相手は友人や家族以外にも多く、作家や詩人、出版関係の知己があり、10篇ほどの詩を雑誌に匿名で発表し、それなりの反響があった。しかし出版社側が手を入れているのがイヤですぐにやめた。甥っ子や、両親の事故死で孤児になった縁戚の子をとてもかわいがった。紐をつけた籠を持っていて、近所の子供が窓辺に来るとその中にお菓子を入れて下ろしていた。飼い犬を溺愛していた。恋も何度かしたらしい。対象は文通相手の牧師だとか、高校時代の教師だとか、ひょっとしたら友人の女性だったかもとか色々言われているがそれは世界中にたくさんいるスケベな研究者に任せておこう。父の友人だった弁護士ロードとかなり親密な関係だったことは確かで、彼がエミリーの屋敷を訪れたこともあり、一時は婚約している。そして、屋敷の庭にいる生き物や草花、自室の窓辺に来る小鳥、窓から見える外の様子などをよく観察して詩にした。時には電波、じゃない意識を屋敷の垣根の外に飛ばして、海のことや神のこと、天国のことなどを書いた。充実した生活である。

作品から[編集]

エミリー・ディキンソンの詩は讃美歌の韻律で作られており、実際にいくつかの讃美歌、もしくはTVドラマ『ギリガン君SOS』のオープニングテーマのメロディに合わせて歌うことができる。『デビルマンのテーマ』でも試みたが、失敗に終わった。もうひとつの大きな特徴は、題名がなく、おそらくは書かれた順に、頭にただ番号がふられていることだ。これもまた讃美歌にならっているのかとも思われるが、これによって様々なテーマを扱った詩がごちゃまぜになり、訳詩集を編もうとする人を泣かせている。さらにディキンソンは、詩に描かれた対象をはっきりそれと書かないことがたまにある。先ほどのオーロラの詩のように、読んで行けばだいたい分かるのだが。つまり、いくつかの詩は「なぞなぞ」になっている。ということで、

★なぞなぞコーナー★[編集]

これはなんでしょう?こたえは↓の先を反転させてね!

986番
A narrow Fellow in the Grass     芝の中の細長いあいつ
Occasionally rides -         時々通りますよね―
You may have met him? Did you not   見たことありますか?ないならご注意
His notice instant is -        突然あいさつしてきますから―


The Grass divides as with a Comb,   芝が櫛ですくように分かれて、
A spotted Shaft is seen,        まだらの矢が見えたら、
And then it closes at your Feet    次には足元に来ていて
And opens further on -         口をガバッと開けるのです―


He likes a Boggy Acre -        やつは沼地が好き―
A Floor too cool for Corn -      穀物が傷むほど冷えた床の上も―
But when a Boy and Barefoot      でも裸足の少年の頃
I more than once at Noon       昼間に一度ならず感じました
Have passed I thought a Whip Lash   鞭みたいなのが通り過ぎるのを
Unbraiding in the Sun         おひさまの下でだらんとしてるのを
When stooping to secure it      取ろうとして立ち止まったら
It wrinkled And was gone -      身を縮こめて行ってしまった―


Several of Nature’s People     自然に生きるかたがたの
I know, and they know me      知り合いはいくらかいますし
I feel for them a transport     もう我を忘れるほどに
Of Cordiality            愛しく思っているんです


But never met this Fellow     でもね、こいつだけは
Attended or alone         数匹いようが一匹だろうが
Without a tighter Breathing    出会うとどうしても息が詰まって
And Zero at the Bone.       骨までゼロを感じます。


こたえ↓

ヘビさん

簡単すぎただろうか。ディキンソンは蜂、蜘蛛、コウモリなどの詩も残している。とくに蜂と蜘蛛の詩は多く、こいつらのことはけっこう好きだったらしい。蜘蛛の巣はとても美しいと書いている。ところで、上の詩でディキンソンはしれっと“But when a Boy”なんて書いているが、少年の視点で書かれた詩は他にもいくつかある。

では次はもっと難しいのを。

391番
A Visitor in Marl —           地面に降り立つ者―
Who influences Flowers —        彼は花々を促すもの―
Till they are orderly as Busts —    それらが胸像のごとく整然と―
And Elegant — as Glass —        ガラスのように優雅に並ぶまで―


Who visits in the Night —        彼は夜に訪れる者―       
And just before the Sun —        太陽が昇る前に―
Concludes his glistening interview —  きらめく面会をすませ―
Caresses — and is gone —        抱擁し―そして立ち去る―


But whom his fingers touched —     しかし彼の指が触れた者や―
And where his feet have run —      駆けた足が触れた場所や―
And whatsoever Mouth be kissed —    キスした口はみな―  
Is as it had not been —         存在しなかったかのようだ―

こたえ↓

次。

369番
She lay as if at play      その子はねている 遊んでいて
Her life had leaped away —   元気がどこかに行っちゃったみたいに―
Intending to return —      元に戻そうとしても―
But not so soon —        そうすぐにはできないだろう―


Her merry Arms, half dropt —  彼女の軽い腕は、落ちかかっている―
As if for lull of sport —    まるでおふざけの手を止めて―
An instant had forgot —     いたずらを始めるのを―
The Trick to start —      しばし忘れているみたいに―


Her dancing Eyes — ajar —    ふるえる目が―半ば開き―
As if their Owner were     まるで 持ち主のその子が
Still sparkling through     まだ からかいつづけている
For fun — at you —       みたいに―あなたのことを


Her Morning at the door —   彼女の朝はドアまで来ている― 
Devising, I am sure —     考えてみて、きっとそれが―
To force her sleep —      彼女の眠りを―
So light — so deep —      より浅くも―より深くも―することでしょう

答え↓

死にかけの子供

顔の様子まで描写するとはまったくどうかしているが、実際に見たわけではないと思う。それにしても冷静に書きすぎている。朝には結果が出ますわよ、と冗談めかしてさえいる。エミリー自身の晩年に近くなってから、彼女は自分の幼い甥の死に遭遇するのだが、この詩は番号からも分かるように、かなり初期のものだ。こういう想像を若い頃からするほど、彼女は「その瞬間」への並々ならぬ関心があった。特に自分自身の。

その瞬間[編集]

465番
I heard a Fly buzz — when I died —   私が死ぬとき―蠅の羽音を私は聞いた―
The Stillness in the Room        部屋の静けさは
Was like the Stillness in the Air —   大気の静けさに似ていた―
Between the Heaves of Storm —      荒れ狂う嵐の合間の―


The Eyes around — had wrung them dry — 取り囲んだ目たち―涙はかれ―
And Breaths were gathering firm     そして息はかたくつめられていた
For that last Onset — when the King   最期のときの前ぶれに備えて―神が
Be witnessed — in the Room —      その部屋の中で―目撃される瞬間のために―


I willed my Keepsakes — Signed away   私は形見を遺言し―署名して
What portion of me be          譲ってやれるだけのものを
Assignable — and then it was      譲り―そしてそのとき
There interposed a Fly —        蠅が邪魔したのだ―


With Blue — uncertain stumbling Buzz —  陰気で―不確かでぎこちない羽音―
Between the light — and me —       その光と―私との間に割り込み―
And then the Windows failed — and then  そしてそのとき窓がかき消えて―次には
I could not see to see —         見ることを見られなくなった―

「私」の死に臨んで、周りの人々は神の出現を期待して息をつめて待っている。「私」は遺言を済ませ、さあ、あとは死ぬだけ、もう疲れたよパトラッシュ……と思っていたら輝く天使たちじゃなくてマヌケな一匹のが出てきて、神っぽい光が目の前に現れても羽音が気になって集中できない。しまいに目が見えなくなって終わりである。光もたんに目が霞んできただけだという気がしてくる。天国への扉はない。キリスト者が書いた詩とは思えないが、これもごく初期の作品だ。エマーソンとその仲間たちだって死後の救済を信じていたのに。

先に冒頭を引用したオーロラの詩だが、最後の一連はこんなふうだ。

My splendors are menagerie; 私の輝きはサーカスの動物園
But their competeless show でもその比類なきショーは
Will entertain the centuries 数世紀は楽しめるだろう
When I am, long ago,      その時私は、遠い昔に、
An island in dishonored grass, 不名誉な草地の孤立した丘になり果て、
Whom none but daisies know.   ヒナギクのみがそのことを知る。

永遠なる宇宙に比べたらほんの一瞬の栄光であり、やがて忘れ去られることを予期しているにしても、「数世紀はもつ」と言い切っている。すごい自信だ。彼女は自分の1700篇以上に及ぶ未発表の詩を全部きれいに清書して引出しにしまっていて、遺品を整理しに来た妹と、注釈版の編集にあたった研究者に金切り声をあげさせた。そして最終的には彼女の計画通りになった。今はその「ほんの数世紀」の途上である。

1884年の冬、エミリー・ディキンソンは自分で焼いたパンを食べて軽い胃炎を起し、それをこじらせてしまう。どうしてもエミリーが医者へ行かないので、心配した家族が医者を家の前に呼んで、彼女が窓から見えた瞬間にすばやく顔色を見させるなどアホな事をしていたら、翌年の夏に死んでしまった。苦しんだと思うが、どうだっただろうか。

241番
I like a look of Agony,            私は苦しむときの顔が好き
Because I know it's true --          真実だって分かるから
Men do not sham Convulsion,          人はひきつけのふりなどしない
Nor simulate, a Throe --            断末魔の苦しみのまねもしない


The eyes glaze once -- and that is Death --  目が霞んできたが最後―それはもう死だ―
Impossible to feign              まねようがないのだ
The Beads upon the Forehead          額に垂れるしずくは
By homely Anguish strung.           気取りのない苦痛のしるし。

苦痛を喜ぶなよ。怖いよ。

なぜピューリタンの人々はこうも自罰的なのだろうか。アマースト大学を出て同志社を作った新島襄は、朝礼で学生が言うことをきかなかった時に突如自らの手を杖で殴り始め、「みんな、静かにしないと先生が痛いですよ!」と叫んで周囲をドン引きさせる事件を起こしているが、ディキンソンはこういうタイプではなく、黙っていつまでも苦痛に耐えているタイプである。神の存在や死後の救済を信じられず、かなり若い頃から疑い続けたが、死と苦痛だけは真実であり、その真実に耐えることの喜びを感じ続けていた。そうなるともう、かなり純度の高いマゾヒズムである。このくそ長い記事を読んで、あなたが目覚めてしまったとしたら、本当に申し訳ない。

Upsidedownmainpage.jpg 執筆コンテスト
本項は第37回執筆コンテストに出品されました。