エラリー・クイーン

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「コンチクショー!」
エラリー・クイーン について、ヴァン・ダイン

エラリー・クイーン(Ellery Queen)は、アメリカの偉大な2人の探偵小説家の共同のペン・ネームである。

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エラリー・クイーン誕生[編集]

二人ともクイーン。

1905年、ニューヨークブルックリンに二人の男の子が生まれた。フレデリック・ダネイ(Frederic Dannay)とマンフレッド・ヴェニントン・リー(Manfred Bennington Lee)である。いとこ同士でかつ同い年の彼らはひじょうに仲が良く、いつも一緒に行動した。高校生活最後の夏に、一緒に遊んだあとはずみで一緒にシャワーを浴びてしまったことで二人は一時疎遠になるが、高校卒業後ダネイが働いていた広告代理店の近くの映画会社に大学を出たリーが宣伝係として就職したことによって、かつてのように頻繁に会うようになる。

ある日朝刊をめくっていたリーは、ある出版社によるミステリの懸賞の広告を目にする。そしてそのとたん、彼の頭に素晴らしいアイデアが浮かんだ。彼はヴァン・ダインの小説の熱心な読者だった。仕事が済んで一目散にダネイのところへ向かったリーだが、見ると彼も同じ広告を手にしている。二人は顔を突き合わせてニンマリ笑った。

「ねえ」
「なあに?」
「私たちひょっとして、同じこと考えてる?」
「多分ね」

机の端にファイロ・ヴァンス・シリーズを置き、お互い仕事柄使い慣れた原稿用紙の前で、理想の紳士像を叫びあった結果、銀色の目に黒髪を持ち、ハンサムで、運動家体型で、好事家で、デューセンバーグを乗り回し、鼻眼鏡をおしゃれにかけた犯罪研究家、エラリー・クイーンが誕生した。彼を主人公に書いた初めてのミステリは懸賞に当選したが、その直後に、金もないのに懸賞を出した間抜けな出版社はなんと倒産してしまった。二人の努力は水の泡となるかに思われたが、紆余曲折を経て1929年に別の出版社から『ローマ帽子の謎』として出版された。苦難を乗り越えたことで二人の絆はいっそう深まり、その後も共同執筆を続けていくこととなった。

『ローマ帽子』以降何作か続く「国名シリーズ」が売れ始めると、二人はそろって仕事をやめ、プロの作家となることを決意する。互いの家とは別に執筆用の部屋を設け、毎日のように議論を重ねるのだった。

「ねえリー、今度のはどんなのにする?」
「そうねえ、こんなのはどう?T字路のT字型の道標に、T字型に人間を磔にするの!」
「素敵!でも、人間はT字にはならないわ。首があるから、どうしたって十字よ」
「バカねえ、なんか邪魔だったら斬ればいいのよ!」
「そうね。エジプトの呪いと絡ませるのはどうかしら。一度使ってみたかったの」
「いいわね。あとどうせならチェイス・シーンも入れましょ。そのほうがスリリングだわ」

議論が一段落しプロットがまとまると、二人は軽く心地よい疲労感を覚える。スケッチブックにまとめられた関係図を見ながら一心にタイプするリーのために、ダネイがチャイコフスキーのレコードをかけてやる。日が傾き始めていた。いつしか二人は互いに手を取り、ゆっくりとステップを踏んでいた。書棚には表紙に美麗な画の施されたオスカー・ワイルドアンドレ・ジッドジャン・コクトーアルチュール・ランボー、そしてポール・ヴェルレーヌらの作品集が並び、マントルピースの上にはレイモン・ラディゲの小さなポートレートの置かれた部屋の中で、妻子持ちの二人の男の花のワルツはゆっくりと、いつまでも続いていた。

バーナビー・ロスの誕生と死[編集]

最初に言い出したのはダネイだった。

「ねえ、あたし達もだいぶ有名になってきたことだし、ライバルが出てきてもいいんじゃない?」

事実エラリー・クイーンとしてデビューして以来、新人作家で彼らとしのぎを削るに値する者は現れていないとされていた。どうやらリーには期待の新人の登場を待つ気はさらさらなかったと見えて、ダネイのこの発言を受けると早速新しい作家を自分で作ってしまったのである。名前はバーナビー・ロス。彼の書く探偵小説の主人公は聴力を失い引退したシェークスピア俳優ドルリー・レーンだが、ニューヨーク郊外の「ハムレット荘」に住む、ヒロイズムあふれる紳士、という彼のディティールは、全てリーの趣味だった。バーナビー・ロスの名による初めての作品『Xの悲劇』が発表されると、世間はクイーンにライバルが現れた、ともてはやした。二人の思惑通りだった。二人はそれぞれ仮面をかぶりクイーンとロスになりきって記者会見に臨み、講演会の壇上で議論を戦わしたが、同一の作家によるトリックと気づく者は誰もおらず、バーナビー・ロスはクイーンとは別の作家として、米国ミステリ界に居付いてしまった。

二人は世間を欺くことにより、かつて隠れて会っていたころのようなつかの間のスリルを味わったが、それによって困ったのは他ならぬ彼ら自身であった。それまで執筆を担当していなかったダネイが、ロス役のリーに代わりクイーンとしてペンを執る羽目になったのである。書きながら考えをまとめることのできない彼は困窮し、代筆係を雇ったが、その執筆スタイルもすぐに限界が見えてきた。そしてとうとうダネイはリーに泣きついた。

「あんなこと言って悪かったわ。あたし結局あんたがいなけりゃ何もできないって、やっと分かったの。」
「レーンのことは気に入ってたんだけど、あんたが嫌だって言うならやめたげるわ」

こうしてロス名義の小説は四部作をもって終了し、後に二人はロスとクイーンが同一人物であると公表した。スリルは失われたものの、かつての平穏な日々が戻ってきた。二人はすぐにまた机に向かい、お互いに意見を出し合いながらの執筆作業に戻るのだった。

あこがれの町ライツヴィル[編集]

探偵小説の執筆は、空気のすさんだニューヨークの町で、望まぬ結婚により生じた家庭に縛り付けられた二人の鬱憤晴らしでもあった。最初のうちはニューヨークの摩天楼に自分達の創った名探偵を歩き回らせているだけで満足だったし、それに飽きればハリウッドにでも行かせれば何とかなった。しかし、やがてそうも行かなくなった。ニューヨークという町に、もはや魅力を感じなくなったのである。二人には、もっと完璧な、二人だけのドリームランドが必要であった。こうしてできたのが架空の町ライツヴィルである。

「素晴らしいわ。絵本に出てきそう」
「きれいな丘と双子の山、円形の広場に人が集う。アイスクリームパーラー、昔ながらの街並み。古風な書店に、赤と黒の工場。木曜日には広場で演奏会、土曜日にはショッピング・・・」

理想の環境を作り上げた二人の作品世界はさらに広がり、物語はだんだんとメルヘンチックになっていった。時代が変わり積み木が崩れるように理想郷が失われていく様も、二人の乙女チックな感傷を刺激するのだった。もう好きにするがいい、というのが全ての読者の感想であった。二人のロマンティックを止められるものは誰もいなかった。

ヒロインたち[編集]

これら三人のニッキーは髪の色だけでなく性格も違う。共通しているのは謎解きにおいて何の役にも立たず、むしろ邪魔だという点のみである。
「見てよダネイ、名探偵エラリーへのファンレターがこんなに!」
「ほとんどからじゃない、捨てちゃいなさいよ、気持ち悪い。あんたが女性誌の仕事なんか請けるからだわ。」
「ハリウッドの脚本もやってるわよ。それはそうと、女性のレギュラーメンバーを出して欲しい、って書いてあるわ」
「マッピラ御免よ。毎回女なんか出せるもんですか。だからあたしはジューナを降ろすなとあれほど・・・」
「ファンサービスは大事よ。私だって嫌だけど仕方ないわ」

こうしてエラリー・クイーンシリーズ史上初めての女性の準主役、ポーラ・パリスが誕生したが、ダネイの「エラリーの恋人役なんてあたし許せない!」というクレームにより、わずか数話で消滅した。その次に創造された美人助手ニッキ―・ポーターは、ラジオドラマのみの登場をリーが約束したため、ダネイもしぶしぶ了承した。しかしリーもまたこの人物をいやいや書いていたためか、気づくといつの間にか

  1. ブロンドニッキー1号
  2. ブルネットニッキー2号
  3. 赤毛ニッキー3号

が存在していた。しかも、後にうっかりリーが彼女を中篇に登場させてしまったことにブチ切れたダネイにより、彼女の存在もまた闇に葬られてしまった。二人の中年男のドリームランドには女の出る幕などないのであった。

心地よく秘密めいた場所[編集]

「もう30篇も長編を書いたのに、何でまた一つ増やす必要があるのよ!」

1958年、『最後の一撃』を書き終えて疲労困憊したリーは唐突に筆を折ってしまう。永遠に続くかに思われたコンビはこれにより解散し、ひとり残されたダネイであったが、彼はどうしても『名探偵エラリー・クイーン』をあきらめきれなかった。なぜなら彼は、二人で創りあげたまさに「愛の結晶」であり、彼の活躍を止めることは、ダネイにとっては二人の関係の終わりを意味していたからである。ダネイはしぶとくアドバイザーとして『作家エラリー・クイーン』の座にとどまり、代わりの作家を見つけてコンビでの執筆を続けた。ただ、代わりの相棒としてシオドア・スタージョンを選んでしまったのは大失敗であった。ダネイと趣味の合わなかった彼に毎日のように「クズ、クズ」と罵られ続け、危うく趣味の領域をさらに広げてしまいそうになる。思い切ったダネイはついに、たった一人で書くことを決意するのだった。

1970年、久々にライツヴィルを舞台にした、『最後の女』が発表される。そこには二人のが詰まっていた。リーが心底驚き、感動の涙を流したのはいうまでもない。その翌年彼は、ダネイに見守られながら静かに息を引き取る。二人が机に向かい幸せな時間を過ごした、あの心地よく秘密めいた場所でのことだった。マントルピースの上には、米国探偵作家クラブから「本格推理小説の巨匠」へと送られた、二人の名前の入った二つのトロフィーが置かれていた。生涯覆面作家だった二人は、世間の白い目にもエイズの恐怖にも縁がなかった。二人は90年代の精神的に荒廃したアメリカにおける一番の幸せ者であったといえるだろう。

女性訴訟[編集]

原作者2人の死後、著作権は専門の財団に買い取られた。1990年代、ニッポン樫鳥から名誉棄損訴訟を起こすべきとの手紙が届いた。手紙には妃英理という女の弁護士が近年、「自分こそエラリー・クイーンの起源」と言い張って「法曹界のクイーン」などと嘯いている、その結果多くの日本人が「エラリー・クイーンは女性だった」と思い込むようになった、これは女性嫌いでならしたエラリー・クイーン探偵への冒涜だ、米国式に高額の謝罪と賠償訴訟を起こして知的所有権の偉大さを教え込んでやりましょう云々と説かれていた。

専門財団はこの訴えを受け入れる構えだったが、その時謎の精霊が冥界から降りてきた。「フレデリックだね」という財団職員の驚きの声が上がった。すると、その精霊はこう述べた。

「好きに言わせておきなさい、女か男かというその問いが、本当のミステリー通かどうかを識別するための一つの指標になる日を私はずっと望んでいたの」

その結果、訴訟話は立ち消えになり、「法曹界のクイーン」は無知なる観衆の前で名声を保つことができた。

関連項目[編集]