エロゲ哲学

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

エロゲ哲学(-哲学)とは、エロゲーから世界の物事などを考える哲学の一種である。西洋哲学と同じくらい有名な哲学の一種であり、麻生太郎氏もエロゲ哲学の有力者と言われている。

目次

[編集] 概要

外に出すか、中に出すか…

エロゲによくある選択肢である。一般人なら何も気にせず中に出すを選択するだろう。いや、人によっては…そんなことはどうでもよい、エロゲ哲学はこのただの選択肢から果ては宇宙についてまで考えるという奥の深すぎる哲学である。例えば、中に出すならば精子は間違いなくに放射される。三次元ではおそらくアレができちゃうので、大抵馬鹿な男でなければしない。ところが二次元では中に出すのは当たり前である。これについて二次元の女性は妊娠しにくいという解釈もできるが、ここで二次元は互いを永遠に愛するのが普通なので作っても問題ないとする見方もできる。夫婦の半分が離婚するとされる今日、学生時代からの恋人と結婚して老後まで夫婦円満に過ごせるというのは脅威である。三次元での理想の姿であるが、なぜそんなに恋人同士やっていけるのか。二次元は思考回路が違うのか、瞳がでかいからか、エクストリーム・ミニスカートプレイヤーが多いからか。そもそも瞳がでかいというのはなぜ男からすると美しいのか。というか、男が同じ女を一生愛し続けることができるのは宇宙共通なのか。以下略

とまあこんな感じである。執筆者もゴチャゴチャになってしまってよくわからないが、哲学はそもそもわからないものなので仕方ない。

[編集] 歴史

この哲学は1600年ごろのエロゲが世界に大きく広まるきっかけとなったソレナンテ・エ・ロゲ氏の死後、エロゲ研究家は急激に増加した。それと同時にエロゲ哲学という物が登場したと言われている。エロゲ哲学はいままでにない斬新なジャンルであり、物珍しさからエロゲ哲学者になる物もいて、よりエロゲ文化の発達に貢献している。

その後、エロゲ哲学は一時の流行であり衰退した。それでもごく一部の哲学者が細々と研究などを続けていた。日本にエロゲは1980年ごろに上陸したが、猿真似根性のある日本人はエロゲを海外とは比べ物にならないほどに高レベルのものにし、エロゲ哲学の復興の兆しができつつあった。

1990年代にはエロゲはアニメと並んでオタクから絶大な人気を博すようになり、一部の哲学マニアの間でエロゲが哲学として語られるようになった。

2000年代になると君が望む永遠とかけよりなとかざまざまな神ゲーが登場すると同時に日本のオタク文化が世界に広まり、エロゲ哲学は世界中に知れ渡ることになる。このような簡単な哲学のようなものから、先述したような深すぎる哲学もある。

こうしてエロゲ哲学は哲学界の中心となる哲学へと進化した。ソレナンテ・エ・ロゲ氏が誕生してから丁度400年が経った時であった。彼もまさかエロゲが哲学になるとは思ってもいなかったことだろう。現在では彼の功績を評価され、改めて新しく墓も作られたとのことである。

[編集] エロゲ哲学の問題点

当然ながら、エロゲ哲学はエロゲを自分でプレイしなければならない。その為女性にはやりにくい哲学でもある。もちろん、中には客観的視線でエロゲをみる女性も稀にいるが、稀にであって、殆どそんな女性はいない。

他に、エロゲ哲学はエロゲを大量にプレイする必要があり、購入厨へと堕ちてしまう者が沢山いるものも事実である。これに付けこんだCIRCUSの曲芸商法は哲学者の間で批判されている。もっとも、哲学者の中には曲芸商法自体がエロゲーマーの「とりあえず買う、曲芸商法だろうがなんだろうが買う」という姿勢を顕著に表したものだとする意見もあり、結局のところお察し下さいとしか言いようが無い。

[編集] 関連事項


この項目「エロゲ哲学」は、執筆者がエロゲ哲学にあまり詳しく無いためにクソの山でしかありません。手抜きなこの記事をより面白いものにしてあげてください。 (Portal:スタブ)