オダ・ノブナガ

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

「わが魂は不滅じゃ!!思う存分、暴れようぞ!!俺は何でもやってしまうぞ。」
~ オダ・ノブナガ について、織田信長
古式携帯電話で撮られたオダ・ノブナガの写真。いや、ベンジャミン・ディズレーリではない。単に写真の出来が悪いのだ。でも、どっかのバラエティ番組の主役じゃ?

オダ・ノブナガ(日本語で織田 信長(おだ のぶなが)、別名:「ジークフリート・フォン・ノーガストラテン語インペラトル・ガイウス・ノブナグス・カエサル・アウグストゥス・ヤパヌス・オドゥス、西暦1534年 - 2000年)は、日本出身でサイボーグのローマ皇帝である。精力的で慈悲深い統治者である彼は、地方の大名から始り、やがて日本の天皇制を転覆させた。後に永遠の生命と伝説の神武天皇の力を手に入れ、宣教師ルイス・フロイスとともにヨーロッパに渡航し、ローマ元老院から権力を奪って自ら全ローマ帝国の皇帝を宣言した。日本に置かれたオダ幕府は3世紀にわたって支配を続けた。「危険であることを忘れないうちは安全である」や「アラマタ」と言う思想や、ゼロニウムコロシウムオワタナカソキウムと言ったネオ元素を普及させた事でも有名である。

関ヶ原の戦いではノブナガはガラス瓶の中に捕らえられた。この戦いでは、ジャン・レノが暴君ノブナガを倒すために独力で51万の幻魔と戦った。今日までノブナガは瓶に閉じ込められており、誰かがそれを開けて全ての力を取り戻す日を待っていると言われる。

23世紀の日本に存在する「日本人民共和国連邦」の1万円札にはノブナガの肖像が刻印されている。また、同連邦の宇宙軍第一艦隊の旗艦名は「ノブナガ」である。

また、NEVADA将軍が彼の隠し子であるという噂もある。

目次

[編集] 誕生~日本征服

戦国時代に北日本の甲斐地方の貧しい小作農として生まれたオダ・ノブナガは、7歳のときに人々を煽動して反乱を起こし、その地の君主を滅ぼした。

ノブナガは織田信長の影武者として、本能寺における織田の家臣ミツヒデによる反逆行為の身代わりとなった。ミツヒデによって暗殺されたと考えられていたノブナガは、実はシンガポールに渡っていた。光秀は城に火をつけたが、彼には永遠の生命があるため無傷のまま裸で脱出した。獅子島と知られていた島に出発する前に、彼は一夜のあいだ村人の助けを得た。

彼はしばらく、スルタンであるサムトゥー・イサーク(当時シンガポールに滞在していたマレーシア国王)の下で働いた。彼はココトロ・ココワテ皇后と情事を働き、その後、彼女と国王を共に暗殺する計画を立てた。企ては成功し、彼は軍を手に入れ、光秀に復讐せんと、さらなる同盟国を求めてポルトガルに出帆した。

ポルトガルの巨大な帆船に乗って故郷に戻ってきたノブナガは彼は小さな拠点である名古屋城を新たに築き、そこから甲斐全土の征服を始める。ラジオを通じて日本国民に話しかけて国家的な知名度を獲得したとされるが、当時はまだラジオは発明されていない。学者の中にはここで使われたのはテレパシーであったと推測する者もいるが、博物学者はそのような迷信めいた意見には反対している。 この、ラジオもしくはテレパシーを用いた政治戦術は後世のアドルフ・ヒトラーなど著名な政治家に影響を与えたといわれている。

ともあれ、この衝撃的な成功は戦国大名のイマガワ・ヨシモト(日本語で武田信玄(たけだしんげん)、別名、吉本義元(よしもとよしもと))の注意を引いた。剣聖ノブナガは喜んで挑戦を受け、ヨシモトと巌流島で33日と33夜の間戦い続けたが、両者とも譲らず勝負はつかなかった。

最後には、苦しみに耐えかねたノブナガはある機械を取り出した。目撃者によると、それは古式携帯電話に似ていたという。そして有名な言葉「ナウィス、来て!」と叫んだ。これは奇妙なフレーズであるが、学者たちは「船よ、来たれ」を意味すると信じている。たちまち装甲軍艦が現れ、イマガワ・ヨシモトを砲撃して蒸発させてしまった。この神秘的な軍艦は有名な大安宅船であると信じられている。これは後にノブナガが乗船し、トラファルガーの海戦ギリシア海軍を破った。

ヨシモトを倒した後、ノブナガは甲斐に戻ってラジオ(またはテレパシー)を使って勝利宣言をした。これに反発した大名はノブナガを討つ為、連合を組み、交戦。しかしノブナガの前に敗北した。ヨシモトの旧家臣はすぐにノブナガに降状した。ノブナガは本拠地を富士山に移し、美しく強固な城を建設した。これが大阪城である。この地で、富士の力を秘めた強力な「火山の指輪」を支配し、敵対者に炎や溶岩を雨のように降り注がせることとなる。この恐ろしい力のために、彼は「指輪の魔王」と呼ばれることとなった。

歴史ある首都の京都を攻略した後、ノブナガは本拠地を日本の中心地に移し、海外からの多くの外交官を受け入れた。その一人が、ユダヤ教の教えを広めるためにやって来たイギリス宣教師ルイス・フロイスである。ノブナガを見た彼は、その瞬間にひらめきを得た。フロイスはノブナガに世界帝国を打ち立てるよう説得した。ノブナガは遠征軍を西方に派遣し、あらゆる地域を征服していった。

しかし、当時ノブナガは遠征軍を関東、中国、九州といった地方に派遣し、交戦中だった為に毛利輝元と組んでいた港を支配していた商人たちは、ノブナガやイギリス宣教師の商売仲間たちに良い感情を抱いていなかった。イギリス宣教師の商売仲間たちに良い感情を抱いていなかった。彼らはノブナガの藩の家臣や総督たちを買収するために巨額の資産を費やした。ノブナガは数年間にわたり、この果てしない抵抗と戦った。これは後に信長包囲網と呼ばれるが、フロイスは「ノブナガのポケベル呼び出し時代」と訳している。1587年、ノブナガは家臣である猿武神に堺衆の殲滅を命じ、虎波辺理砂印を設立させた。何年もの陰湿で冷酷なビジネス戦の末、神羅(コナミ)という名のこの会社は完全に堺を買収して、ついに日本統一をもたらした。

続いてノブナガは日本の天皇制を廃止して正親町天皇を退位させ、フロイスの提案に従って日本帝国を成立し帝王に即位。そして彼は永遠の生命と神武天皇の力の秘密を手に入れ、残る地方を征圧。1589年、全国統一を果たしたノブナガは世界征服を開始し、日本には息子達をジャパニーズスクール塾長、征夷大将軍等の要人として残し、ヨーロッパに渡航した。

[編集] ヨーロッパでの経歴

ノブナガは古式テレポート能力を使って自分と軍隊をヨーロッパに送り、カレーに上陸した。その地に展開していたイギリス軍に電光石火戦術をしかけ、海峡の向こうに退却させた。ノブナガ軍は日に夜を次いでローマへ進軍し、その行軍はヨーロッパ人を震撼させた。最終的に、北ダキアで全ローマ陸軍とノブナガの精鋭隊が対峙した。ここにすさまじいワーテルローの戦いが始まったのである。ワーテルロー(Waterloo)という名前は、ノブナガが呪文を唱えてローマ兵たちを大量の水(Water)で押し流したという史実にもとづくものである。彼らは戦場にいたためトイレ(loo)がなかった。そこで誰もが川の中に放尿していた。そして、その場所は水洗トイレ(Waterloo)として知られるようになったのである。

もちろん、ノブナガは放尿するのにかまけていたローマ軍を容易に打ち負かし、あっという間にローマを占領し、自らをカエサル・アウグストゥス、全ローマ領の皇帝であると宣言した。

しかしノブナガに反発する勢力がスペインの下に同盟を結び、反ノブナガ連合を結成する。1591年、連合軍はノブナガ軍と開戦、ヨーロッパ史上未曾有の大戦が巻き起こった。(これを「欧州大戦」と言う)1601年9月、多大な犠牲を払いつつもノブナガ軍が勝利。これにより、ヨーロッパ全土を征服した。

ヨーロッパ全土を制圧したノブナガは、1601年11月、ベルギーのブリュッセルにて欧州帝国の成立を宣言、初代帝王に即位。同時に帝都や暦、国歌を制定する。翌1602年、憲法や官位を制定し、軍備を統一させた。更にホリ=ゾン教カズ教を普及させたり、日本を直轄地として統括し、各地区ごとに首長を置いて統括させたりする等、領地の安定的な支配体制を築いた。

その後起こったことを正確に知る者は誰もいない。うわさによれば、フロドという名前の巨人が密かに富士山へと向かい火山の指輪を滅ぼした。こうしてノブナガの永遠の生命の源は失われ、命が絶たれたという。もっとも、ノブナガは単に引退して後継者に後を譲ったのだと強く主張する人たちもいる。とは言え、真実は永遠に闇の中である。

[編集] アジアでの経歴

帝国の体制を安定させたノブナガは1610年6月、アジアへの侵攻を開始する。7月にムガル帝国へ進軍し、ムガル軍と交戦。ガイロイドの力により、1ヶ月で制圧。続いてへ進軍。ピカティニーラグナロスを積極的に活用し、明を制圧。これにより、ノブナガは世界の大半を掌中に治めた。

ムガルや明と言ったアジアの大国を制圧したノブナガは1611年、ロシアへ宣戦布告を行い、欧露大戦を勃発させる。当初はノブナガ軍が優勢だったが、しかしロシア軍はDQNレッドストーンテラホークスを観賞し、脳内強化を施したり、OTAKU改造手術をしたりする等、戦力増強を図って対抗し、戦況を逆転させる。次第にノブナガ軍は窮地に追い詰められ、大量破壊兵器を投入し、反撃するも、全滅寸前まで追い込まれるが、1615年、突如ロシアはノブナガと和睦を結び、戦争は終結した。

[編集] 南アメリカでの経歴

ノブナガは実際には南米に行っていないが、彼の南米訪問のうわさは後を絶たない。とは言え彼が毎朝、最高級のコロンビア・コーヒーを楽しんでいたのは確かである。しばしばノブナガはコーヒーをブラックで飲んだと言われるが、より確かな記録によればミルクと蜂蜜を入れていたらしい。一部のブラジルのサッカー選手たちは、オダ・ノブナガが「ペレPele」というブラジル式フットボールチームに所属していたと主張している。もっとも彼らは酔っぱらい揃いで、この話が事実であるかつまらない妄想であるかを確かめる手段は無い。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

他の言語