オノレ・ド・バルザック

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オノレ・ド・バルザックは、フランス小説家である。常に何かに飢えていた。

生涯[編集]

少年時代[編集]

少年時代のバルザック。このころはママンの愛に飢えていた。

1799年5月20日、フランス中部のトゥールでオノレ・バルザックは生まれた。翌1800年に生まれた妹とともに里子に出されたため、ママのおっぱいを思う存分味わうことができなかった。思えばこのとき、すでにバルザックの飢えた運命は決まっていたのかもしれない。

1807年から1813年まで、ヴァンドームの寄宿学校で生活する。その間、ママが2回しか会いに来てくれなかったことへの不満が、バルザックの空腹をさらに大きなものにしていった。

ところで頭の固い方にはバルザックがママに愛されていなかったなんて書かれているが、もちろんママだってオノレのことが好きじゃなかったわけじゃない。実はバルザックが生まれる前の年に長男を生後1か月で亡くしていたので、赤ちゃんのうちに自分で育てるとまた失敗するんじゃないかと怖かっただけだった。実際、1804年の4月にはバルザックを実家に戻している。 寄宿学校の6年間でママが面会に訪れたのが2回だけだったことについても、トゥールからヴァンドームまで車なら1時間だが、歩けば1日かかる。しかも今のように舗装された道も途中のコンビニもない時代である。バルザックの下に生まれた妹と弟の世話もしなければならない弟の父親が違うんじゃないかなんてことは誰も気にしない。会いに行くのは言うほど簡単ではなかった。むしろ、バルザックの方が6年間で1度も実家に帰ろうとしなかったために、ママとは2回しか会えなかったのである。

バルザックの良くないところは、ママにも事情があるんだとは考えようともしないで、僕はママに愛されてないんだ、と思い込んでしまったところであった。もしバルザックがママの気持ちを想像できていたら、あるいは彼の空腹は収まっていたかもしれない。

しかし、そんな彼も、坂口安吾と比べたら、よっぽど善良だった。安吾は、母親がヒステリー起こして「お前は私が生んだ子供じゃない」と、つい狂言を吐いてしまったのを言質に取って、後々自作の中でこれを暴露して、「この鬼婆ァの実の子ではないと分かって私は嬉しくてたまらなかった」などと書いているのだ。勿論、安吾のママにも、バルザックのママ同様、事情があった。

その坂口安吾がバルザックを評して「人生への、人の悲しき十字架への全き肯定から生れてくる尊き悪魔の温かさ」と述べているのだから、よくよく似たもの同士ではある。

作家としての人間喜劇[編集]

マダムを悩殺中

ママに愛されていないという飢えを抱いたまま大きくなったバルザックはママへの恨みと憧れをいくつもの作品中にぶちまけている。『谷間の百合』では子どもを愛さない冷酷な母親を描き、一方で理想の母親も描いている。さらに彼は、文学をやりたいと宣言した際にパパに大反対され、ぎゃあぎゃあ泣き喚いて抵抗した末にママと妹に諫めてもらうという屈辱を味わったことから、あらゆる父性的なものに対して凄まじい憎悪をたぎらせて筆を走らせた。ママだけでなくパパが、いやむしろパパのほうがずっと嫌いだった。

『不老長寿の秘薬』を例にとると分かりやすい。ドン・ジュアンの伝説にひねりを加えたこの短編では、ドン・ジュアンは遺産が欲しくて父親の死を心待ちにする息子である。父親は自分の死後に体じゅうにつけてほしい、と言って、小瓶に入った秘薬を息子に渡す。体中に塗れる量ではないのでせめて一部だけでも、と思って片目に塗ってやると、他のところは死んでいるのにその目だけがカッと見開いてドン・ジュアンを見るのでキモイな~と思ってつい潰してしまう。やがてドン・ジュアンにも死期が迫り、かねてから良い子に育てておいた息子に秘薬を託す。この子は優しいのでパパの目だけと言わず顔全体に、あと片腕にも塗ってやったら、生き返った腕に首を絞められる。アホな修道院長がそれを見て感激し、顔と片腕だけ生きているドン・ジュアンを聖人として祀りあげようとする。しかしドン・ジュアンは列聖式が行われている最中に修道院長を食い殺して「これでも神がいると思う?」と言い捨てるのである。

バルザックは勇猛果敢に書きまくるヒーローだった。決めゼリフは「書けないブタはただのブタだ!」

つまりバルザックの著作の原動力はニヒリズムだったので、どれだけ書いても心の中は真っ白で、満たされることはなかった。心のスキマを埋めようと、何人もの年上の人妻と情事を重ねてみたが、かえって愛情への飢えが深まるばかりだった。

そのころ、友達にジョルジュ・サンドという男装の女流作家がいて、ともに文学談義にふけったり宝探しごっこに興じたりするうちになんかちょっと彼女いいなあ、と思うことがあり、そこでバルザックは気付いた。別に女である必要はない。こうして『サラジーヌ』が生まれた。フランス人芸術家サラジーヌがローマの劇場にて美貌の歌手ラ・ザンビネッラにべた惚れし、見事な裸婦像を彫りあげて「彼女」に捧げるが、「イタリアの劇場では女は舞台に立たないんだよ」と人に言われて真っ青。ラ・ザンビネッラを誘拐して問い詰め、「騙しやがって、殺してやる」と発狂したあげく、歌手のパトロンである枢機卿の刺客に殺されるという、あらすじだけ書くとなんだか情けない話であるが、後世ロラン・バルトが「一文ごとに抜ける」と絶賛してゲイをほぼカミングアウトしてしまうほどの傑作である。バルトはせいぜい50ページくらいのテキストの間に己の妄想をカき連ねてじつに6倍以上の長さに膨らませた。このようにバルザックは書くぶんには何でもござれで、ゲイでなくとも尼さんだの、奥様と小姓だの、変わった題材でポルノめいたものを書くこともあれば、ごくふつうに見える夫婦の日常を異化して辛辣に描写することもあった。

なかなかバルザック自身にも理解できないほどにこんがらがっており、そのうちに何に飢えているのかよくわからなくなって、借金を重ねて投資をして大損してみたり、貴族を気取ってみようと名前の真ん中に「ド」を入れてみたりもしたが、どれもあんまり意味はなかった。

このように満たされない気分のとき、多くの人は酒に酔って気分を紛らわそうとするものである。だが、幸か不幸かバルザックにとって酒は水同然だったので、酔うために酒を飲む意味は皆無だった。

その代わりに、できる限り濃く入れた冷たいコーヒーを一気に腹の中に流し込んで、胃がキリキリするのを楽しんだ。そして、キリキリする胃を抱えながら一気に小説を書いて書いて書きまくった。彼の長大な小説はまさに印刷工を泣かすどころか殺すと言うにふさわしかった。書き終わると寝る間も惜しんで社交場に出かけ、胃痛の敵を取るかのように片っ端から腹に食い物を詰め込んだ。ママの愛に対する飢えが行き過ぎて、いつの間にか食への飢えに変わってしまったのだ。

しかし、やがては下から出ていくだけの食い物を腹に詰め込んだところで心の飢えが満たされるものではなく、結局いつも変わらぬ空腹を抱えたまま、バルザックの肉体だけがぶよぶよと肥大化していったのであった。

ゴリオな晩年[編集]

大食いが祟って激太り。

やがて、大食いを繰り返してきたつけがバルザックに訪れる。

ぶくぶくと醜く太り、糖尿病で目は潰れ、顔も体も青ざめて、食い意地が張りすぎて左右に大きく裂けた口からは長い舌を垂らし、重い体を支えるためか太いこん棒のようなものを手に持った晩年のバルザックは、もはや人間とは思えない姿に変貌していた。なぜか「偉大なる錬金術師」を自称していたとの報告もある。頭の方も相当にきてしまっていたようである。

それでもなお口から凍える吹雪をまき散らし、食えるものは何でも食おうとしていたバルザックであったが、1850年8月18日、ついに勇者ご一行様の手にかかり命が潰えたのであった。

関連項目[編集]