カラカラ鉄道

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カラカラ鉄道(-てつどう,英名Caracalla railway)とは、キノコ王国でカラカラ砂漠線を運行する鉄道の一つである。本社はピーチ城内に在するが、首都が危機に陥った際にはカラカラタウンに臨時的な本社を置くこともある。ここでは会社沿革のほか、唯一の保有路線カラカラ砂漠線の解説も行う。

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ウィキペディア専門家気取りたちも「カラカラ鉄道」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

会社概要[編集]

カラカラ鉄道は当時首都のキノコタウンに通ずる交通機関がなかったカラカラタウンに向けて鉄道を敷設しようという動きに対し、キノコタウンの資本家の出資により設立された企業である。現在はカラカラタウンの名士サンデール氏が経営を行っている。

沿革[編集]

すべて西暦。

  • 1993年7月14日 - キノコ人資本家の資金援助のもとカラカラ敷鉄道会社設立。当時の社長には資金援助を行ったキノコ人資本家が就任。
  • 1995年11月10日 - カラカラ鉄道さばく線キノコタウン駅 - ゴツゴツ山駅間開業。これにより社名をカラカラ鉄道会社と改める。
  • 1998年1月4日 - カラカラ鉄道さばく線で最大の難関とされたゴツゴツ山トンネル全通。
  • 1998年6月14日 - カラカラ鉄道さばく線ゴツゴツ山駅 - カラカラタウン駅間開業。これで計画上全通を達成。
  • 2000年4月1日 - カラカラ鉄道さばく線をカラカラ鉄道砂漠線に改名する。
  • 2002年6月1日 - キノコ人資本家が社長を辞任。次期社長としてゴツゴツ山トンネル開通にあたった開発部長メットペディー氏が就任する。
  • 2015年7月11日 - メットペディー氏が逝去。次期社長にサンデール氏が就任する。

カラカラ砂漠線[編集]

カラカラ砂漠線は前述の通り1995年に開業、1998年に全通したカラカラ鉄道の保有路線である。全長61.87km、非電化の路線である。現在も車輌には蒸気機関車・客車を用いた経営を行っている。駅はキノコタウン・ゴツゴツ山・カラカラタウンの三つである。現在ではカラカラ砂漠の観光路線になっているほか、国民的人気スポーツのマリオカートでも舞台として用いられている。収益はカラカラタウン全通後は全線黒字を達成している。

路線の敷設[編集]

ゴツゴツ山までの開業[編集]

1993年に会社が設立されてから、カラカラ鉄道はキノコ王国にキノコタウン~カラカラタウンの間の交通免許の取得を申請した。鉄道敷設はキノコ王国でも初の事例であったため、免許交付に難航した。しかも国有の道路で便宜が図れないかという結果で免許交付を却下した。そこでカラカラ鉄道側は実地調査により砂漠の砂流入による道路の風化、また近年問題となった狂暴化したサンボへの対策が整っていないことを指摘、そのうえで石柵の設置やバラスト設置などの対策を盛りこんで再提出、二回の申請により鉄道免許の取得に至った。

工事が着工し、直線的な線路の建設が開始された。途中で軌条に用いる鉄不足が深刻となり、カラカラ鉄道はカラカラタウンまでの軌条にクッパ帝国から購入した鉄資源を使用することで難を凌いだ。だが後年クッパ帝国からの購入が問題となり、キノコ人資本家が問責を受けることに繋がった。ともあれゴツゴツ山までの線路を敷設後、カラカラ鉄道は蒸気機関車の製造を任天堂に依頼、第640号製造物としてK64号蒸気機関車の名前が付与される。

かくして1995年11月10日にゴツゴツ山駅間までの路線を前途開業させる。当時は乗客の需要が見込まれなかったため、乗客は汽車内に乗せるという今では考えられない方法を用いてた。

難工事[編集]

ゴツゴツ山までの開通後、悲願のカラカラタウン駅までの工事に着工することとなった。しかし、ここで壁となったのがゴツゴツ山トンネルであった。全長1560mのトンネルは事前のボーリング調査などで難航が予想されており、ゴツゴツ山トンネル開削チームとカラカラタウン~ゴツゴツ山トンネル敷設チームに分かれて作業を開始した。

トンネルは予想以上に難航した。岩盤となり堆積した岩は崩すと土がその場を覆い被せるという前代未聞の状況が起き、開削100mで7人の死者を出した。仕方なくトンネル上部に新たな穴を掘り、岩肌を露出させてからトンネル本体を掘るという慎重な作業が行われた。だが上部の作業途中に岩がトンネル側に陥没、負傷者・死者は出さずに済んだものの迂回策まで用意される始末となり、陥没後は現場にも士気の低下がみられていた。

そこで陣頭に立って指揮をしたのがメットペディーであった。メットペディーはゴツゴツ山の真ん中でなく、横の端側を垂直に掘り、切通のような形でトンネルを造成することを提案した。上層部にも許可が下り、実際にその作業が開始された。何百回にも及ぶメットペディーの視察は現場士気の向上につながり、最新の凝固剤を用いながら作業が進められた。工事は1年に及ぶものとなったが、なんとかカラカラタウン側の線路と繋げることに成功した。現在でもゴツゴツ山真ん中には初期の採掘の跡が残されていたりする。またこのトンネルの指揮にあたったメットペディーはその手腕を評価され、後々社長に就任するのである。

そして、全通[編集]

カラカラタウンからゴツゴツ山は直線の線路が引かれた。一日800mという敷設スピードは並ではなく、「旅人が作業員が敷設している鉄道のそばにテントを張って寝ていたら、翌日には作業員たちがいなくなっていたという」(カラカラタウン繁栄期 民明書房、2004年、51Pの一節)とあるほどの敷設スピードであった。そして難工事を終えたゴツゴツ山トンネルと線路を繋げ、ここにカラカラタウンまでの線路が引かれたのである。

それにともない機関庫をゴツゴツ山に移転、カラカラタウンまで全通させたのである。

利用状況[編集]

現在の主な利用は朝夕の通勤、またカラカラ遺跡の観光である。首都のキノコタウンには多くの人が通勤に来るようになり、そのような通勤客の輸送に使用されている。また休日にはカラカラ遺跡の探検が人気であり、キノコタウンから沢山の客がゴツゴツ山へと向かっている。一方で砂漠線は貨物輸送も行い、カラカラ砂漠でとれる石油を運搬している。

車輌[編集]

  • K64号機関車
開業当時から現在まで用いられている蒸気機関車。全て任天堂製であり、デザインは出資したキノコ人資本家のものである。この機関車は赤い煙突がシンボルで、これは蒸気機関車の車体だけでなく上部に強い色を与えることで警戒色になるというキノコ人資本家の設計上の考えによるものである。任天堂製あってか製造から20年を越えても未だ持ち続ける車体は任天堂製の誇り高さを表しているとも言われている。
  • 汎用客車
カラカラタウン開業時に連結された客車車輌。カラカラタウン駅までの全通にともない需要の増加が見込まれたため、4両の客車が増結された。ただしマリオカート開催時には踏切所要時間を減らすため一時的に1両・および連結しないこともある。

関連項目[編集]