コンサート

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コンサートとは、人間の不可解な行動とそれに起因する芸術の一種。

ルール[編集]

この星には音楽という芸術があり、太古よりその芸術は狭く、音のしない空間に大勢の人を押し込んで演奏するという方法で鑑賞されてきた。音楽はによる芸術であるため、演奏者以外が音を出す状態では存分に干渉できなかったためである。結論から言えばこれがコンサートである。このような方法で多くの音楽が消費されてきたが、現在になって少しずつそれは変わってきた。 音を記録する媒体であるオルゴールCDMDの台頭である。 これらを使用することで何度でも、繰り返し、好きなだけ同じクォリティの音楽を鑑賞することができる。これにより、コンサートはどんどん本来の目的を失っていく。 しかし、物好きというものはどこの世界にもいるもので、この一見無意味であるコンサートを好む人たちがいた。彼らによって現在のコンサートの根幹が形作られてきた。

何をするのか[編集]

前述のとおり、音楽を聴きたければCDを買うなり、youtubeニコニコ動画で好きに鑑賞すれば良い。それなのに現代でもコンサートが公然と開かれているのはなぜであろうか。コンサートを開くということはつまり遠方から演奏家を呼ぶということであり、それはつまり

  • 演奏家にギャラを払わなければならない
  • 会場を用意しなければならない

という二つの金銭的負担が発生する。このような大きな出費を何故するのであろうか。このような大枚をはたくくらいならTSUTAYAなり、タワーレコードなりへ足を運び、音源を入手したほうが早いであろう。 現在コンサートに足を運ぶ人たちに何故来たのか問うと、以下のような答えが返ってくる。

  • 演奏家の発する生音を聞きたい

生だろうが、記録だろうが、その演奏家が発している音には違いないのに、どうしてこう人間というものは高い金を払ってまで生に拘るのだろうか。不可解極まりないがここには人間の持つ何らかの心理が働いているものと思われる。

  • その演奏家のパトロンである人たち

彼らがいるからその演奏家が食っていけるというところの存在である。パトロンは演奏家と広告の契約のようなものを結び、演奏家には何らかの形で自身に対する広告を出してもらい、自分はサクラとしてコンサートに赴き、演奏家は広告収入をパトロンから受け取る。そのような仕組みで音楽業界は動いているのである。

ゲームとしてのコンサート[編集]

日本においてのみコンサートはしばしばゲームの一種として実行されることがある。このゲームは海外には存在しない。ゲームとしてのコンサートは「如何にその場にいる全員が整然と会場で立ち回れるか」という単純なものである。 何をするかといえば非常に簡単なことで、

  1. 演奏家が来たら拍手をし、
  2. 黙って演奏を聴き、
  3. 終わったら拍手をし、
  4. 演奏家が退場したら盛大な拍手をしてアンコールを求め、
  5. 黙ってアンコールを聴く。

この工程を公演終了まで延々繰り返すというものである。ポイントは拍手のタイミングである。特に演奏が終わらない前から拍手をしてはいけない。演奏家の出す音が聴き取れないからである。初心者ほど気が早く早い時期に拍手をしてしまうため、海外の人々の間では「何故に日本人は公演中に拍手をしているのだろう。」と不審がるがゲームとしてのコンサートに不慣れな初心者がいるからだ。当然、海外にはそのような競技が存在しないからだということもできるわけだが。 また、このゲームにはもうひとつボーナス点というものが存在する。それは「演奏家が何か素晴らしいことを言ったら拍手する。」というものである。何を言っているのか理解できなくても良いのでとにかく拍手するのだ。このようなゲームの上級プレイヤーが多くいることによって日本人のコンサート鑑賞態度は「礼儀正しい」と世界中で評価されるにいたっている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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