コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー

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コンスタンチン・E・ツィオルコフスキーとは、ロシアにおける科学者数学者。きわめて頭がよく、現在に至るまでの多くのロケット宇宙開発に関するアイデアを考案したほか、地球上に生まれた人類がまるで宇宙に出て行くことは宿命であるかのように、人々を錯覚させた事でも有名。

人物概要[編集]

経歴[編集]

ツィオルコフスキーは難聴をわずらっていたが、古くから様々な書を読み、食料の金を惜しんでも本を購入していた。そんな中、人類が大砲の弾で月に向かうという有名な『月世界旅行』を読み、彼はいつしか宇宙へ行くことに陶酔するようにもなっていった。

そして数学教師になったのちも、宇宙へどうやったら人類を送れるかということについて考察を続けた。その結果、多段式ロケット宇宙ステーションジェットエンジンのアイデアなどを発案するに至ったのである。

しかしロシア帝国は財政等で逼迫しており、彼の理論に注目を寄せることはなかった。ツィオルコフスキーはその原因の一つは、多くの人に「宇宙へ行く」という願望がまだ植えつけられていないからだと見ており、そのため人類が宇宙空間に出ることをまるで必然であるかのごとく錯覚させるような、キャッチコピーを広める必要があるのではないかと考えるようになった。そして生まれたのが以下の二つのコピーである。

  • 地球は人類のゆりかごだが、ゆりかごに人類がとどまり続けることはないだろう
  • 今日の不可能は、明日は可能になる

このうち前者は特に重要で、「地球という母親から独り立ちしてこそ、初めて人類は生物的に一人前ではないか」と人々(主に科学者)に錯覚させることに成功した。実際には別に地球上の生物が地球から外へ出て行く必要性などないのだが、この言葉に惑わされた人々は宇宙開発に陶酔するようになっていった。

彼はのち、ソビエト連邦のアカデミー会員に選ばれる。ここで、ソ連の戦後における宇宙開発を担ったセルゲイ・コロリョフと会ったりもしているが、最終的にツィオルコフスキーは実際にロケットの発射実験をすることは1度もないまま、逝去した。

彼の言葉による影響[編集]

さて、理論と言葉だけを残してこの世を去ってしまったツィオルコフスキーであるが、この世に残ったその理論と言葉はその後も、この世にいる人々を惑わし続けた。

彼の影響を特に受けたのはドイツである。その魔術のような言葉に惑わされた人々は、やがて理論だけでなく実験を試み、いつしか本気で実際にを目指す人々が現れるようになっていった。そしてヘルマン・オーベルトの宇宙旅行協会、フォン・ブラウンによるV2号とアポロ計画に繋がっていったのである。

そして、1962年に開始されたアメリカジェミニ計画・アポロ計画により、1969年にツィオルコフスキーの願望は見事成就した。しかしソ連への対抗という背景はあったにせよ、このアポロ計画(現在価値で予算はおよそ14兆円)によって、ベトナム戦争の長期化でただでも赤字がかさんでいたアメリカの国力は疲弊してしまった。かくしてアメリカは1971年のニクソン・ショックに始まる低迷時代を迎えることとなった。宇宙への進出という成果の代償はあまりに大きかった。

現在ではこのツィオルコフスキーの錯覚に気づき、宇宙開発の必要性に疑問を投げかける人々も少なくなくなっているが、それでもアメリカ合衆国中華人民共和国は再び月に人類を送る構想を立てており、惑わされた人々が未だ多くいることを伺わせている。