サイクリング
サイクリング(英:cycling)とは、この世の真理へ辿り着くための修行である。
サイクリングの思想は文明の黎明期に生み出されたとされるが、紀元前にローマ帝国が成立する頃には神秘性の大部分が失われている。さらに、19世紀後半から現代にかけて自転車が大衆に普及した結果、英単語のcyclingは自転車に乗ることそのものを指す言葉としてのみ認識され、本来の意味は完全に忘れ去られた。現代の日本でも単に自転車に乗ることそのものや、趣味やスポーツとしての利用のみをサイクリングと呼んでいる。
なお、自転車を利用した長距離走行はツーリングとして区別されることが多い。
歴史[編集]
人類史において、いつの時代からサイクリングと呼べるものが誕生したのかは謎に包まれている。車輪の発明が紀元前3000年以上前のことで、当時どのように車輪が用いられてきたのかについては遺跡や壁画などを調査するしかない。文明の黎明期に生きていた人々がどのような思想に基いて乗り物を使っていたのか、今となっては確かめる術はないのだ。一部には口伝や風習として残り、体系だった思想に取り込まれているものもあるが、それらは例外といえる。
しかし、文字による記録が残されるようになった時期以降のことは、豊富な資料による研究が可能である。最新の研究によれば、サイクリングに用いられた乗り物は2つあることが判明している。1つは現代でも馴染みが深い自転車、もう1つは古代世界で一世を風靡したチャリオットだ。
チャリオットの隆盛[編集]
チャリオットは紀元前2000年前後に発明された乗り物である。当然のことながら、この頃にはまだ自転車のように洗練された乗り物など望むべくもない。本来なら馬車と呼ばれるような代物である。だが、俊馬に車体を引かせて戦場を駆け抜けるさまは疾風怒濤と形容するに相応しく、サイクリングの先駆けとして申し分ないものといえる。
戦場の花形がチャリオットから騎兵に移り変わった後も、チャリオットは別の形で活躍し続けた。古代ギリシアやローマ帝国で盛んに行われたスポーツとしてのチャリオット競争がそれにあたる。チャリオット同士の競争自体はチャリオットの発明と同時期に行われていたとされるが、競技用にのみ使われるようになったのはこの時期である。
古代ギリシアでのチャリオット競争は古代オリンピックにおける競技の1つに数えられている。ギリシア神話の中でもチャリオット同士による競争が描かれている。古代ギリシアでのチャリオット競争は神々に捧げられる神聖なものだったのだ。しかし、ローマ帝国に入るとチャリオット競争は神秘性を失い、娯楽性の強いものへと変貌する。当時のチャリオットは一般人が所有するには高価過ぎる代物だったため、趣味として気軽にサイクリングを行うという概念はなかった。その代わり、チャリオット競争は剣闘士の試合に勝るとも劣らないほどローマ市民を熱狂させていた。現代人である我々が持つチャリオットのイメージには、この頃行われていた競技の様子が強く反映されている。そして、その様子こそがスポーツとしてのサイクリングの起源といえるだろう。現代日本で自転車のことを「チャリ」や「チャリンコ」と呼ぶのも、チャリオット競争への熱狂ぶりに由来するものである。
自転車の普及[編集]
サイクリング史にはチャリオット期と自転車期の間に長い断絶期間がある。騎乗の技術が発展したことで、チャリオットの動力源だった馬そのものを効率よく乗りこなせるようになったのがその理由である。チャリオットが廃れたあとも、馬が台車を引かせて長距離を移動する様子は多くの資料によって確認できる。だが、その速度は往年のチャリオットと比べればウサギとカメ以上の差が存在する。その用途も輸送手段が主たるもので、サイクリングだとは到底呼べないものだった。
このサイクリング暗黒時代に光をもたらしたのは、19世紀初頭に発明された自転車である。初期の自転車は地面を直接蹴って前進するものだったり、前後の車輪が明らかにアンバランスなものだったりと迷走を繰り返していたが、19世紀の終わり頃には我々現代人にもお馴染みの形状をした安全型自転車と呼ばれるものが出来上がった。この安全型自転車は扱いが簡単で、余程の運動音痴でなければ誰もが乗りこなせる。これによって、サイクリングは金持ちの独占物ではなくなり、一般大衆でも手が届く娯楽となった。その後、自転車の改良や環境の整備が進んだことにより、気軽に楽しめる趣味としてのサイクリングが成立したのである。
思想[編集]
現代ではサイクリングとは単に自転車に乗ることを意味する言葉となっている。
しかし、サイクリングの起源となったチャリオットは紀元前2000年以上前に発明され、各地へと伝播している。考古学による研究ではチャリオットはカスピ海とアラル海の北岸部辺りを発祥とし、世界各地へと広まっていったことが判明している。
古代文明における知識の伝播は重要な意味を持つ。発明品1つが伝わっていくだけに留まらず、言語や思想も含めて各地へと広まっていくのだ。このことから分かるように、サイクリングの根底には古くから続く深遠な思想が流れていても不思議ではない。事実、スポーツとしてのチャリオット競争が行われるようになる前は、チャリオット競争は神聖なものとして扱われていた。それ以前の古いチャリオット競争がさらに神秘的なものだったのは想像に難くない。
チャリオットと深遠なるサイクリングの思想はユーラシア大陸の中央辺りから東西へとそれぞれ伝播していった。その内の西洋に伝わったサイクリングの概念はほぼ消失している。現代に残るサイクリングの思想は東洋で根付いた仏教などの中にのみ現存している。
西洋の世界観[編集]
西洋においてのサイクリングの思想は古代ギリシアで発展した天文学の思想体系に取り込まれている。
古代ギリシアでは、しばしば真円が重要な役割を果たしている。古代ギリシアでは数学の研究が進んでいたため、真円についての考察も行われていた。建築や美術といった分野でも、数学を用いた幾何学は応用されている。そうした中、文化が発展していくうちに、「真円は完全なるものを表す」という考え方が芽生えていった。
「この完全なるもの表す」最たる例は我々の世界の在り方について――この世界の中心は我々が住む地球であり、全ての天体は地球を中心として動いているという天動説である。現代では地球が世界の中心であるという妄想を支持している人間など少数しかいないのは周知の事実となっている。
しかし、この天動説が「惑星の運行は円運動である」という理論を前提として唱えられたことはあまり知られていない。惑星が地球を中心に楕円運動をしているという説はほとんど存在せず、当時の人々は真円による天体の運行に執着していた。実際に観測できる惑星の運行を説明するために「従円と周転円」なる珍妙な説まで生み出された。初期の地動説の中ですら「惑星の運行は円運動である」という理論が引き継がれている。結局「真円は完全なるものを表す」という世界観は、惑星は楕円運動の軌道を描くというケプラーの法則が発見されるまで世の中の常識として扱われていた。
この謎はサイクリングの語源を紐解くことで説明ができる。サイクリング(英:cycling)の元となった英単語のサイクル (英:cycle)は、circusというラテン語を語源とする。circusは「輪」や「周囲」という意味のほかに、「円形の競技場」という意味もある。このことから、惑星の運行サイクルは当時の競技場で行われていた競技であるチャリオット競争の影響を少なからず受けていることが分かる。チャリオットの車輪は真円でなければならないのだ。当時の人々が惑星のサイクルも真円でなければならないと考えてもなんら不思議ではない。
結局、天動説も否定され、惑星の運行サイクルは円運動であるという理論も破綻したことで、西洋で保たれてきたサイクリングの概念は潰えたのである。
東洋での悟り[編集]
古代インドではダルマと称される思想が重要視された。ダルマは日本語では一般的に「法」と翻訳される。ダルマには様々な意味が含まれ、その中にはこの世の法則や秩序、現象、運動に関わるものもある。この思想はインド発祥の様々な宗教に影響を与え、仏教やヒンドゥー教といったメジャーな宗教にも影響を与えている。
特に仏教では、開祖である釈迦は「法(ダルマ)」の真理に至ることで悟りを得たとされている。事実、「法」は三宝(仏・僧・法)のうちの1つに数えられている。仏教の教えは「法」を伝えるものと表現しても過言ではない。そして、この「法(ダルマ)」はしばしば法輪と呼ばれる車輪の意匠で表される。このことは、チャリオットがサイクリングの概念とともに古代インドへと伝来した際に、ダルマの思想も同時に伝わったことを示唆している。
現代では悟りを得る手段として瞑想や苦行、禅などが伝わっている。残念ながら、その中にはサイクリングは含まれていない。しかし、悟りを得るための修行の中には修験道のように山岳へと踏み入るものも存在する。今では修験道も登山という趣味として多くの人々が実践可能なように、サイクリングも趣味でありながら悟りを得るための修行となりうるのだ。
悟りの道を自転車に乗って進む者が現れたとき、太古に失われた神秘的なサイクリングはこの世に蘇るだろう。
関連項目[編集]
![]() 本項は第37回執筆コンテストに出品されました。
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