シベリア鉄道

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ヨシフ・スターリン同志が
あなたを見ている!
ソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会認可
本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会第10課長により認定されており、
全ての無産階級人民と、ソビエト連邦共産党員に見せることが認可されています。
この資料を疑うことは思想犯罪であり、疑った場合は国家反逆罪の対象とされます。
国家反逆罪とされた者に対しては、KGBよりポロニウムまたはシベリア鉄道の切符が無料で贈呈されます。
シベリア鉄道本線(赤)、 バム鉄道(緑)、金正恩鉄道(茶)、流刑鉄道(青)
かつてはシベリア-輪島間に路線が存在していた。

シベリア鉄道(シベリアてつどう、露 : Транссибирская магистраль )はロシア国内を東西に横断する鉄道。そしてロシアの偉大なるグランパ。世界一長い鉄道(全長:9,297km)としても有名である。これとは別に、第二シベリア鉄道(バイカル・アムール鉄道、バム鉄道)、第三シベリア鉄道(金正日専用鉄道)、第四シベリア鉄道(シベリア送り用鉄道)もある。因みにソ連時代は同志の気に触ると、なんと無料でシベリア行きの片道チケット(駅までの送迎付き)を国家保安局から贈呈される。

人よりウォッカ運搬量の方が多いが、そのうち半分は運搬中に消費される。

以下の説明はだらだらと長いシベリア鉄道さんの半生をご本人がだらだらと長く解説します。

誕生[編集]

うぉっほん、え~、わしがシベリア鉄道じゃ。なんじゃったかのぉ・・・。何を話そうとしていたか忘れたわい。

おぉ、そうじゃ、わしの生まれたころのことを話すのじゃったか。よう覚えとらんが、わしにはモスクワ~サンクトペテルブルグ間路線という兄がおった。それでシベリアにも鉄道作ろうということで、え~と・・・ニコライ・ムラビ・・・なんとか…ええい、年寄りに覚えにくい名前を名乗るな!!!

まあ、そいつがシベリア征服だか世界征服だかしらんが、そういう中二病が言いそうな政策を掲げてわしを作ろうとしたんじゃ…。

しかしわしはあまりにも長すぎてある奴なんかわしを作るのに数百年かかるとか抜かしやがったそうじゃ。

それでは生まれたときにはじじいではないか!!!モスクワが地上路線なのにウラジオストクあたりでリニアになるのってどう考えてもおかしいじゃろが!!・・・いまさら愚痴っても仕方ないわい。

色々あって大人の事情で頓挫しそうになったもののようやくロシア人どもも重い腰を上げて着工したのじゃ。1891年のことじゃ。

わしの軌道じゃが、ヨーロッパの標準軌とは違って広軌にしたのじゃ。これはナポレオンだとかナポリタンだとかケロン軍いう侵略者に使われないようにするためとか技術者の若いのが言っておったぞい。

完成と戦争の時代の始まり[編集]

1904年つまり13歳のときじゃな。その年にフランス野郎の力を借りてようやく完成し一人前になったわしじゃが、我がロシアは同時に黄色い猿どもと戦争したのじゃ。わしはもっぱら戦争物資ばっかり運んでおった。今風の言い方をすれば少年兵みたいなもんかのぉ、一応軍隊として戦争に参加したし・・・。

我がロシアはバルチック艦隊を破られたもののわしのおかげで完敗を免れたのじゃ。いいか、わしのおかげじゃぞ!わしがおらんかったら今頃ロシアの大地はJAPどもが跋扈しておったかもしれんのじゃ!!勲章のひとつくらいよこせ、ロシア政府!!

なんだかんだ言って結局わしは生みの親である訂正ロシア帝政ロシアには感謝しておる。しかしそんなわしにも転機が訪れた。わしが26歳のころ、つまり1917年に共産主義者どもがあの馬鹿親愛なる皇帝陛下を殺しやがった。

しかしその時東のほうからJAPが大量にやってきてわしを勝手に乗り回しやがったのじゃ。

ソビエトとか言う奴らがわしの許可もなく使いやがったが、わしはシベリアの大地のように心が広いから黙って使わせてやったのじゃ。あくまでも慈愛と温情で使わせてやったのじゃ!!ソ連邦英雄くらいよこさんかい、ヴォケ!!80回くらい受賞してやってもええぞ!

革命と世界大戦[編集]

こうして共産主義者どもが勝利し新しい国ソ連が誕生した。わしはソ連の構成員として働くことになったわけじゃが、これもわしが自主的に入ったのであって・・・え、もういい?(´・ω・`)ナンダヨスコシクライシャベラセテクレヨ…

レーニンのハゲが死んだあと、最も恐ろしい男がわしの上司になった。そう、豆つぶドチビでロシアのマリオとして名高いあのスターリンじゃ。奴のせいで多くの人間がシベリア送りになった。もちろんわしを使ってじゃ。しかし死体運びもさせられたのぉ。あの仕事はきつかった・・・。今なら北村弁護士にでも頼んでスターリンを訴えてやれるのじゃがのぉ。

しかしさすがのスターリンもわしまでは粛清できなかった。わしがおらんかったらその後のソ連の発展はなかったのじゃからのう。じゃからあの頃は堂々とスターリンの悪口言いまくってやったわい。思えばあれだけがわしの楽しみじゃったのう。しかし結局はわしも世話になっておったゆえに本気で嫌いなわけじゃなかったがのう。

47歳の頃西のポーランドでドンパチやったとか聞いたが「あ、そう」みたいな感じで聞いておった。「そういえば最近西からの乗客が少ないな」くらいにしか思わんかったわい。そうそう、この頃にわしの弟、バム鉄道が計画されたのじゃ。

わしが働き盛りの49歳の頃、すなわち1941年くらいに西からヒットラーとかいうやつがやってきてロシアの大地を荒らしやがった。わしもベテラン兵士とともに奮戦した。わしの奮戦でドイツ野郎どもをウラルから東へ行かせることはなかった。何せシベリア極東軍団を運んだのはわしじゃからのぉ!

そして我がソ連軍は粘りの攻撃の末にドイツ軍を見事に皆殺しに撃退したのじゃ。

ついでにドイツの同盟国だった黄色い猿どもも皆殺しに降伏させるべく兵力を輸送した。まあ、その辺のことはおとうさんとおかあさんにでも聞いておくが良かろう。

冷戦[編集]

冷麺ではないぞ。冷戦じゃ。冷たい戦争とか言うらしいのう。しかしシベリアはいつも冷たいがのう。

わしは熱戦にならんと活躍の場がないからこのあたりは割愛じゃ。しかしヤンキーどももわしがおったゆえに攻め込めんかったに違いないわい!

とあるハゲかつての上司を批判して失脚した話なんか誰も聞きたくないようじゃからここもカットじゃ。

ブレジネフの時代じゃがあの野郎はわしが一個ももらったこともない勲章やら英雄賞やら大量にもらいやがって歩く勲章博物館みたいになりやがって!!わしにも一個分けてくれ!!

ちなみにこの頃にようやくバム鉄道が完成したのじゃ。良かったな、弟よ。しかし完成した頃には52歳とかおっさん過ぎるぞい!まあわしも軽く90歳超えとるがな・・・。

ゴルビーの時代になってペレスとロイカの双子の兄弟が…あ、いや違った、これは知り合いの孫じゃ。ペレストロイカとかいうイカが大流行したそうじゃ。わしはイカなんか食わんから興味なかったがな。そういえばこの頃わしの周りがなんだか騒がしかったのお。

わしがちょうど100歳の誕生日を迎えた頃の1991年長い間の仲間であったソ連が一夜でなくなってしもうた。まさにロシア一夜城じゃな。「わし誕生100周年」の年にこんなことがあってはせっかくパーティ開こうと思っておったのに、残念じゃ・・・。

まあ、冷戦の時代ははっきり言って平和じゃったからわしはウォッカばっかり運んでおったのぉ。

ロシア連邦時代[編集]

国家体制が変わってもエリツィンの肉玉とかプーチンのハゲとかが国家指導者になっても結局わしのやることは変わらんわい。わしは毎日ウォッカを運んでおる、たまに人も運ぶ。2002年、最近になってようやく電化工事が完成した。1929年着工じゃから、完成に73年かかったということじゃな。ロシアがいかに経済的にしょぼい国広大な国かわかるじゃろう。

ご自身ではロシア経済にどのように貢献されましたか?[編集]

小僧!!それではわしが経済的には何も寄与していないような言い方ではないか!!!

-す、すいません。

まあ良かろう、わしは経済的には主にウォッカを運び、ウォッカ流通を発展させてきた。それだけでロシアのGDPは世界上位に食い込んだのじゃ。

-ウォッカだけですか?

ロシアの農作物を東西に輸送して農業経済を支えたりもした。しかしこれはおまけみたいなもので、結局ウォッカの力が偉大ということじゃ。

関連項目[編集]