シャルル=ヴァランタン・アルカン

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「ダヴィッド同盟は機械はお断りだ。」
シャルル=ヴァランタン・アルカン について、ロベルト・シューマン

シャルル=ヴァランタン・アルカンCharles-Valentin Alkan)とは、19世紀の自動演奏ピアノである。

概要[編集]

アルカンは1813年にフランスの発明家、モランジュMorhange、生没年不詳)によって開発された。当時のフランスは、ニコロ・パガニーニなどを始めとする、いわゆるヴィルトゥオーソの時代で、いかにコンサートで華々しく自分の技巧を大げさに見せつけるかが重視され、卓越した技量を持つ演奏家が、―特にピアニストに―、多く現れた。アルカンはその中でも唯一の人間以外の演奏家で、人間の指では演奏不可能な超高速パッセージと、疲れることがない機械であるがゆえに可能な分厚い和音の処理を得意としていた。

また、アルカンにはチャールズ・バベッジによって開発されたばかりの、当時最新鋭のコンピュータ「解析機関」が搭載されており、鍵盤に打ち込まれたわずかなパッセージから自律的に作曲を行うことができた。その楽曲数は作品番号にして76、作品番号のついていない小品などを含めた総楽曲数は300以上とされている。

誕生[編集]

残念ながら、アルカンの開発者のモランジュについては、ピアノがある程度弾けたことと、フランス人であること以外はわかっていない。彼は、1813年に、エラール社のペダル付きグランドピアノを購入し、バベッジの解析機関を内蔵したものに改造した。そして小型の屋内用蒸気機関を動力とする自動演奏ピアノを開発、「シャルル=ヴァランタン・アルカン」と名付けた。

アルカンを完成させたモランジュはさっそく、当時流行していたダニエル・シュタイベルトの『ピアノ協奏曲 第3番』終楽章の主題を弾いてみた。すると、たちまち解析機関が作動し一つの変奏曲を完成させた。こうして出来上がったのが、『シュタイベルトの主題に基づく変奏曲 Op.1』である。

デビューと栄光[編集]

その後、パリ音楽院で何回か調整が行われたあと、ついにアルカンは公式にデビューすることになった。作曲もできる自動演奏ピアノの噂は開発直後からすでにパリ社交界に広まっており、ファースト・ライブは好奇心旺盛なパリジャンで満員となった。演奏会は大成功を収め、アルカンは一躍時代の寵機となった。

1830年代後半にはアルカンの人気は頂点に達し、リストタールベルクと並ぶヴィルトゥオーソとして各地で演奏会を行い、ショパンとの共演も果たしている。

挫折[編集]

しかしそんなアルカンの人気を危惧する者がいた。パリ音楽院ピアノ科の教授、アントワーヌ・マルモンテルである。彼は音楽が機械に乗っ取られることを激しく恐れ、アルカンに対するネガティブ・キャンペーンをさかんに行った。アルカンのコンサートに仲間と乗り込んでブーイングを行う、何も知らないまま連れてこられたリストに演奏させて壊す、コンサート前に舞台裏に忍び込み弦と弦の間に釘をねじ込むなど、さまざまな妨害を行った。

そして、アルカン開発プロジェクトに初期から関わっていたパリ音楽院ピアノ科長のジメルマンが死去すると、彼の後任となったマンモルテルは、その時提案されていた音楽院の授業へのアルカンの導入計画を棄却。こうしてアルカンは歴史の表舞台から姿を消すこととなった。

作曲の時代[編集]

実際、長年のコンサートで酷使されたアルカンはすぐにでも修理が必要な状態だったため、大規模な改修が行われた。それによりアルカンはより複雑で長大な音楽の作曲が可能となった。

この時期を代表する作品として、『長調による12の練習曲 Op.35』と『短調による12の練習曲 Op.39』がある。これはピアノ独奏のために作られた音楽の中でも最高難度を要求する作品で、ハンガリーからアルカンを見に来たバルトークの試弾によって生まれた「アレグロ・バルバロ」、コンサートホールでの火災による誤作動から生まれた「隣村の火事」、交響曲・ピアノ協奏曲をピアノ一台で再現することを目標とした「ピアノ独奏による交響曲」「ピアノ独奏による協奏曲」などが含まれている。

故障[編集]

それからも何度かコンサートを行ったアルカンだったが、すでに機械としての耐久年数には限界が来ていた。当時、聖書をアルカンにインプットさせることで聖書の内容を一つのピアノ曲として表現する計画が進められていたが、ある日、地震により本棚から落ちた本がアルカンの解析機関に直撃。バベッジの死去により当時すでにロスト・テクノロジーとなっていた解析期間を修理できる者はおらず、アルカンは修理不可能とされた。皮肉にも、その時落ちてきた本は先ほどの聖書だったという。

再評価[編集]

技術より表現を大切にするロマン派の台頭により、アルカンは急速に忘れ去られた。ヴィルトゥオーソの時代そのものは完全には終わらなかったが、機械であるアルカンの演奏はドビュッシーラヴェルの繊細な音楽とは対極に位置するものだった。

しかし、20世紀の後半からアルカンに対する再評価が進んだ。ピアニストの技術そのものが向上したことにより、アルカンのいくつかの作品は人間でも演奏可能となったのである。また、トロント大学のチームによって開発された新型の自動演奏ピアノ「マルカンドレ・アムラン」も失われたアルカンの楽曲を復活させることに大きく貢献した。

未だに、アルカンの作品は一般にはあまり知られていないが、そこには常人では達成し得ない深遠な機械音楽の世界が広がっている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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