ジェレミ・ベンタム

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ジャン・クロード・ベンタム。シュワルツェネッガーほどじゃないが俺だってスターだ。

ジェレミ・ベンタム(Jeremy Bentham、1748年2月15日 - )は、イギリスの思想家。功利主義の創始者として知られる。ここで「それってベンサムじゃないのか。なぜなまっているんだ」と思ったそこのあなた。おっしゃるとおりです。しかしながら、ウィキペディアのタイトル下に「ベンタムともいう」とわざわざ表記し、さらに「日本でもイギリスでも発音はふつうベンサムだが、語源となった古英語から考えるとtとhをつなげずに『ベンタム』と読むのが適切である。日本でも法学者はそう書く。まあしかし当記事ではより一般的な『ベンサム』で統一してやろうじゃないか」と実に不本意そうに、くどくどと3行にもわたって書いてあるのだ。あまりに気の毒なので、以降は何が何でも「ベンタム」で押し通すことにする。

最大多数の最大幸福[編集]

弁護士である父親のでかい机によじ登り、分厚いイギリス史の本を開いて置いたところを見つかった幼いベンタムは、またスリッパで尻をぶたれることになるかと期待していたが、それを置いただけでなく「読んでいた」と勘違いした親父により英才教育を強いられ、12歳でオックスフォード大学に入学した。そしてそこでブラックストン教授によるイギリス法の講義を聞き、その自然法思想に幻滅する。人為的な操作が全くない「自然状態」などという曖昧なものは存在しえないとして、彼は自然法を常に批判の対象とし、完璧に合理化された社会を目指し、立法改革に力を注ぐようになる。ベンタムの自然法批判の真の理由として、講義中に使用していたiPodをブラックストンによって破壊されたことを挙げる研究者もいる。

ベンタムの持論は、「最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number)」であった。この言葉だけは猿でも知っている。そして、菅直人が言わでものことを言ったときにすかさず引き合いに出された。「出来る限り多くの人々に最大の幸福をもたらす行為を善とする」というこの思想における「幸福」とはすなわち「快楽」である。「人間の行動はすべて利己心の発動であり、快楽を求めるのが人間の行動の動機である」というのは、生まれながらにして快楽主義者であったベンタムらしい考えであるとともに、まさにこの快楽追求こそが彼の諸活動の原動力だった。幼いころ加えられることのなかったスリッパの一撃を求める心が、偉大なる思想家を動かしていたのである。

ベンタムはイギリス法に対する「国際法(international law)」という語および思想の発案者でもあるが、友人の証言によると若いころはフランスの哲学者を大変嫌ったという。矛盾するようであるが、これは彼の視野が実際には狭かったことを表すものではなく、「去勢された男、半陰陽、一寸法師、80歳の老婆、雄の七面鳥、猿、とても大きな犬、牝山羊、4才の男児」までもみんな一つにつなげてしまうフランス人の奔放なイマジネーションに嫉妬したためであろう。

奇論戦士ベンタム。武装が完全でないが、そこに味があるのだ。

確かにベンタムの功利主義には想像力に欠けるところがあった。彼の一番弟子にして最大のツッコミ役であるジョン・ステュアート・ミルの言うように、「功利または幸福はあまりにも複雑なまた不確定な目的」なのである。誰もがスパンキングによって快楽を得るわけではなく、妻の尻に敷かれることや、その他の様々な手段によるのである。さらに、「最大多数の最大幸福」は裏返せば少数者の不幸であり、この点については批判が実に容易である。スーツのポケットに片手を気障ったらしく突っ込み、ハーバード大学の広い講義室を優雅に歩きながら、「君はブレーキの壊れた路面電車を運転している。そのまま進めば5人の作業員を引き殺すことになり、方向を変えれば一人が死ぬ。君ならどうする?」というバカげた命題を示すだけで、いちおうは批判できてしまうのである。

幸せのかたち[編集]

しかしベンタムのよき理解者であるミルはこうも言う。「彼がその動機の表から排除した人間性の構成要素がすべて彼自身の胸中にも欠けていたと推測することは、ベンタムに対して不正を犯すこと甚だしい」つまり、ベンタムだって人間だもの、である。そう、ベンタムの人間性は実際とても豊かであり、様々な性癖を持っていた。彼は当時の常識に反し、同性愛「実害はないし、快楽を与える」として善とみなした。守備範囲が実に広いといえる。ベンタムの嗜好は、功利主義的刑務所『パノプティコン』の設計にも見てとれる。当時の刑務所は薄暗く、監視の効率も非常に悪かったため、囚人同士や看守との間でしばしば拷問やサディスティックな刑罰が行われていた。ベンタムはこの現実を憂慮し、円形の建物の中心に監視塔を設置し、その周りを囲むように囚人の個室を設置した新しい刑務所建築を考案した。囚人のあられもない姿が常時見渡せるため監視の効率が良く、また個室が明るくより健康的なプレイが期待できる画期的なものだったが、「見えすぎてムードがない」「直接の触れ合いが少なくなり刺激が減る」などと不評であり、実現されなかった。ベンタムはこれにひどく落胆し、その後も自らの思想を実践する活動は何ら行わず、著述に専念した。一日8時間から12時間に及ぶ執筆を毎日続け、85歳で没した。その遺稿は一万頁を軽く超えており、しかも内容があっちへいったりこっちへいったりで、特に晩年のものは耄碌してきたのかすさまじいことになっているらしく、全集はまだ完成していない。

かわいそうに。

ベンタムは死後遺体を解剖した上でミイラにして保存するように遺言した。晩年の彼の性癖は、もはや常人の理解できる領域をはるかに超えていたのである。彼の願望は実現したが、その体は彼を「ロンドン大学の精神的創設者」と崇めるきちがいどもによって、何の縁もないユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのロビーのガラスケースの中に座った状態で安置されている。ベンタムはその奇怪な遺言のせいで妙な場所に拉致され、学生に首をもがれ、頭を蝋人形ととりかえられて、大学評議会の会議のたびに車椅子に乗せられて議場内を引きずりまわされる。議事録によれば、彼は毎年出席扱いになっている。つまりベンタムはまだロンドン大学の中で生きているのだ。彼は今、幸せだろうか。

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