読売ジャイアンズ

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読売ジャイアンズ練馬区月見台すすきが原に本拠を構える少年野球チームである。現在は剛田武が監督兼オーナー。裏社会との繋がりも噂される。なお、名前の「ジャイアンズ」とは「ジャイアンの物」という意味も含まれており、「お前の物は俺の物、俺の物も俺の物」というジャイアニズムを暗喩している。

目次

[編集] 球団の歴史

[編集] 低迷期(1970年-1992年)

発足当初のジャイアンズはお世辞にも強いとは言えず、リーグ戦で何度も最下位となった。しかし、1992年11月にナベツネがオーナーに就任すると転機が訪れる。すでに読売新聞の独裁者だったナベツネは、その子会社である読売ジャイアンツのオーナーになろうとしていた。しかし野球のことを何も知らなかったナベツネは、あろうことか名前が似ている読売ジャイアンズのオーナー何故かなってしまった。しょうがないからオーナーになったナベツネは当然のごとく補強を始める。勉強も運動も万能な出木杉英才をこの年の12月に獲得し成功した。オーナー職を乗っ取られた剛田は「ギッタギタにしてやる!!」と怒り心頭だったが、剛田家が読売新聞と購買契約していたため、ジャイアンのかあちゃんによってその不満は封じ込められ、事なきを得た。

[編集] 黄金期(1993年-2002年)

出木杉が加入した1993年こそ3位だったものの、翌1994年はチラノルズを破り初優勝を果たす。そして出木杉はホームラン王と打点王になりMVPを獲得した。しかし1995年と1996年は出木杉と剛田の確執が表面化しいずれも2位に終わった。この結果により当然のごとくナベツネは選手補強をする。今度は高層マンション「メゾン・バベルトップ」に引っ越してきた野球の上手い転校生・野田まさし[1]を獲得する(←知ってる人いるかな?)。すると1997年から2000年にかけて4連覇を果たす。1997年は野田がMVP、1998年と1999年は剛田がMVP、2000年は出木杉がMVPを獲得した。まさにこのころが黄金期だった。この4シーズンはいずれも7月に優勝が決まってしまい、勢力の不均衡を嘆く声も上がった。5連覇を目指した2001年は2位に終わったものの、今度は野比のび太の息子の野比ノビスケを獲得すると、2002年には再び優勝する。この年は6月に優勝が決まり、ますますジャイアンズ、特にナベツネへの不満が高ぶっていった。そして草野球人気も下がっていった。なお、この年ノビスケはMVPを獲得した。

[編集] そこそこ期(2003年-現在)

しかし2003年は3位に終わり、2004年も4位と2年連続で優勝を逃す。2004年のシーズンオフには草野球人気の低下からナベツネは球団数を減らそうとしたが(6→4)、これに対して草野球選手会会長のチラノルズ寺野がナベツネと話し合おうとしたが拒否され、さらに「無礼なこと言っちゃいかんよ。たかが小学生」という発言をする。これが反感を買い、結果ナベツネはオーナーを辞任してしまう。そして剛田が再びオーナーに就任したが、2005年2006年もそれぞれ3位、4位に終わり、なんとも微妙な成績に終わっている。このためチームは江戸川ドラーズよりクロえもんの獲得に動き出している。また、ナベツネ発言によりジャイアンズの練馬区内での人気も低下し、ジャイアンズ戦ののび太放送協会での中継の視聴率も低下している。


[編集]  事件 

[編集]  賄賂事件 

2007年、2軍制度をしていなかったジャイアンズが、2軍制度を始めた。その時剛田は「2軍に落ちたやつは、玉ひろい専門だ」と話している  その時二軍に落ちるのが確定的な野比のび太が賄賂を贈ったため、骨川スネ夫が2軍に格下げとなった。怒った骨川が剛田に「何でのび太が一軍なの」 と聞いたとき「スネ夫よりもうまいから・・・うるさい監督に口出しをするな」とおかしな発言をした。調べると剛田が書いた野比への領収書が見つかると同時に骨川が剛田に賄賂を渡した事実が判明、野比、骨川は一年間の出場停止となった

[編集] 歴代オーナー

  • 1970年~1992年 - 剛田武
  • 1993年~2004年 - 渡邉恒雄
  • 2005年~現在 - 剛田武

[編集] 主な選手と獲得タイトル

[編集] レギュラー

  • 1 : 剛田武(投手兼監督兼オーナー)- MVP(1998年、1999年)、本塁打王(1998年、1999年)、打点王(1998年)、最優秀防御率(1999年)、退場回数32回と逮捕回数37859回は日本記録(逮捕回数に至っては世界記録でもありギネスにも載っている)。
  • 2 : 骨川スネ夫(捕手)- 何にも無いよ。
  • 3 : 出木杉英才(内野手・外野手・捕手・投手)- MVP(1994年、2000年)、首位打者(1999年、2000年、2002年)、本塁打王(1994年)、打点王(1994年、1997年、2000年)
  • 5 : 野田まさし(外野手)- MVP(1997年)、本塁打王(1997年、2000年)
  • 7 : 安雄(内野手)- ねーよヴァカ!
  • 8 : はる夫(内野手)- 特にねぇ言うとるやないかワレェ!
  • 23 : 野比ノビスケ(内野手・外野手)- MVP(2002年)、本塁打王(2002年)
  • 0 : 野比のび太(外野手)

[編集] 助っ人

  • 10 : ロナウジーニョ(FW(ST、LWG)、MF(OH))- エラシコが特技の一つ。試合中随所に見せる美麗なボール捌きは、見るものを魅了する。ゴールデングラブ賞(1993年、2003年)、ベストナイン(1993年、1999年)、首位打者(1998年)、最多安打(1999年)、通算安打数2522は日本草野球記録第1位。
  • 51 : イチロー(外野手)- 1993年から加入。冬のシーズンにだけ来てくれる最強の助っ人。ゴールデングラブ賞(1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年)、ベストナイン(1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年)、首位打者(1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998年、2001年、2003年、2004年、2005年、2006年)、最多安打(1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年)、本塁打王(2005年)、最多四死球(1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年)
  • 05 : 清原和博(乱闘要員、たまに内野手)- 主に乱闘、DHで出場。倒した選手の数1251人は日本記録。死傷者数51人も日本記録。乱闘王(1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年)、魔王(1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年)

[編集] その他

  • 広報(兼助っ人) - 4:ドラえもん(内野手、外野手、捕手 ジャイアンが退場した時は投手も)
  • マネージャー - 源静香

[編集] 裏社会とのつながり

ジャイアンズ広報、ドラえもんタイムマシンを使い、未来と接触していることが判明。 しかし、詳細はいまだ不明。調査中である。

[編集] 所属するリーグのチーム

[編集] 関連項目

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