スネ夫スタジオ
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ スネ夫スタジオ について、織田信長
~ スネ夫スタジオ について、涼宮ハルヒ
| 種類 | 株式会社 |
| 略称 | スネアニ SSC |
| 本社所在地 | 176-**** 東京都練馬区月見台すすきヶ原3-10-5 |
| 設立 | 1975年 |
| 業種 | 情報・通信業 |
| 事業内容 | アニメーションの企画・制作、アニメーション制作に関する技術指導 |
| 代表者 | 剛田武(代表取締役) |
| 資本金 | 10,000,000円 |
| 決算期 | 9月1日 |
株式会社スネ夫スタジオ(すねおスタジオ、英語表記:Suneo Studio Co., Ltd.)はアニメーションの企画・制作およびアニメーション制作に関する技術指導を主な事業内容とする日本の企業である。
略称は「スネアニ」「SSC」。
目次 |
[編集] 概要
1975年設立、1981年有限会社として法人化。1989年、株式会社に組織変更。
主に、あらゆるアニメの下請けを行っている。しかし、スタジオがあまりにも狭いため、本社を移動させることを1980年代後半に検討したが、骨川スネ夫が「昔からの思い出であるスタジオを離れる訳にはいかない。勿論セル画は俺の嫁だからな」と断っているため、本社にはキャラクターデザインの源静香と、絵コンテ脚本担当の剛田武、キャラクターデザインモデルのドラえもん、作画監督の出来杉英才、演出担当の骨川スネ夫6人だけしか居ない。動画や原画、彩色、背景等は、杉並区に設立された別スタジオで行われている。
のび太は絵が下手なので画材等の調達や経理の担当とスネ夫スタジオの姉妹会社ノビタレコード社長を兼任している
[編集] 歴史
1975年に、骨川スネ夫が自分の家の物置を改造し、アニメーション映画制作のためのスタジオを設立した。骨川スネ夫は、剛田武と源静香を強制的に入社させ、自主制作アニメ機動世紀スネオンを制作し、父親を経由して日本サンライズに発注してみたところ、「たった5人でこれほどよく動くアニメが作れるなんて」と、サンライズの社員に絶賛された。それに対して骨川スネ夫は逆に「動かないアニメなんてあるか?」と当初は生意気に反論していたが、1979年には日本サンライズ制作機動戦士ガンダムのグロス請けを担当することになった。それからはSFアニメや、格闘アニメ等の、より滑らかな動きを必要とするアニメーションの下請けを担当することとなった。1990年代からは、様々なジャンルのアニメの下請けを行っている。
1981年には、スネ夫スタジオの法人化を機に、初の元請制作アニメ「ドザえもん」を手がけるが、あまりにも当時の放送地区が狭過ぎたことから視聴率が低迷し続け(放映地区は、のび太放送協会を受信できる地域のみだったので、視聴者があまりにも少なかった)、1989年に最終回を放送した。それ以来1997年まで元請制作アニメの制作は手がけていない。また、現在でもスネ夫スタジオ元請制作アニメは、のび太放送協会で必ず放送している。
1990年代には、シンエイ動画、ぴえろ等のテレビアニメのグロス請けも担当し、演出から仕上げまで初めて社内スタッフと別スタジオにて制作した。しかし、この頃の骨川スネ夫はあまり仕事に熱心でなく、源静香と剛田武が演出を担うこともあった。また、1992年に全国放送でドザえもんの再放送を行った所、思いがけなくヒットし、それまでのスネ夫スタジオを大きく変えた。
1998年には、2作目の元請制作アニメ「CCS」を制作し、源静香の書くキャラクターデザインが、特に大きなお友達の心を掴み、スネ夫スタジオの名を一層全国に響かせることとなった。しかし、それをピークに下請け、グロス請けの依頼は半減した。
2003年2月に骨川スネ夫が京都アニメーション襲撃事件で逮捕される。懲役6ヶ月。骨川スネ夫の釈放直後、生放送の記者会見で「これからも、世界を大いに盛り上げるためのスネ夫スタジオをよろしく!」と全く反省の色が見えない骨川スネ夫の態度と言論から、視聴者は呆れ果て、「彼はアニメ監督には向いていない」と、会見直後から骨川スネ夫の解雇を要求する電話が殺到する。記者会見翌日、骨川スネ夫は強制的にスネ夫スタジオを解雇された。それからは、剛田武が代表取締役となり、源静香は取締役に就任する、さらに経理人事のチーフには野比のび太作画チーフには出来杉英才サブチーフにはドラえもんが就任。代表取締役が剛田武となってからも、スネ夫スタジオの社名は変わっていない。
そして、しばらく自粛状態が続いていたものの、2004年には再びアニメ制作会社としての復帰を遂げ、アニメ制作会社ノーマッドと提携し、「ローゼンメイデン」の制作を行った。
なお2009年には、3作目の元請制作アニメを予定している。
ちなみにキャッチコピーはだが、最近はこれを主張してきた骨川スネ夫は退社しているので、徐々に制作環境は他のアニメ制作会社と同じくデジタル化しつつある。
[編集] 主なスタッフ
[編集] 役員
[編集] 作画・演出
- 剛田武(脚本・演出)
- 源静香(キャラクターデザイン)
- ドラえもん(絵コンテ・キャラクターモデル)
- 出来杉英才(作画監督・背景デザイン)
- 野比のび太(システムおよび画材の調達、音響、声優の人選)
[編集] 作品履歴
[編集] 元請制作
[編集] 制作協力・グロス請け等
[編集] テレビシリーズ
- 1970年代
- 機動戦士ガンダムシリーズ(1979年-現在も00の下請けを行っている)
- 1980年代
- 忍者ハットリくん (1981年-1987年)
- ゲームセンターあらし (1982年)
- フクちゃん (1982年-1984年)
- パーマン[新] (1983年-1985年)
- エスパー魔美 (1987年-1989年)
- 1990年代
- クレヨンしんちゃん (1992年-)
- 幽☆遊☆白書(1992年-1993年)
- CLAMP学園探偵団(1997年)
- たこやきマントマン(1998年-1999年)
- どっきりドクター(1998年-1999年)
- 2000年代
- ローゼンメイデン(2004年)このアニメは、ノーマッドとの共同制作
[編集] 劇場映画
- ドラえもん映画作品 (1980年-2004年/2006年-)
- 怪物くん (1981年-1982年)
- パーマン (1983年、2003年-2004年)
- 忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ (1984年)
- 忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵 (1985年)
- プロゴルファー猿 (1986年-1987年)
- エスパー魔美 星空のダンシングドール (1988年)
[編集] 京都アニメーション襲撃事件
京都アニメーション襲撃事件とは、2003年2月に骨川スネ夫が、京都府宇治市に本社を構える京都アニメーションを襲撃した事件である。骨川スネ夫は現行犯逮捕。懲役6ヶ月。
1999年から、セル画にこだわっていたアナログ式スネ夫スタジオへの仕事の依頼が極端に少なくなったのは、1990年代後半から突然現れて下請けの仕事を奪い去った、京都アニメーションのせいなのではないかと、骨川スネ夫は独自の判断で決め付けていた。もちろん、早くもデジタル世代へ移行していた京都アニメーションの方が、仕事の依頼もスネ夫スタジオよりも多く、いつまでも「セル画は俺の嫁」をキャッチコピーにしていたスネ夫スタジオには、デジタルに移行する資金が十分に足りておらず、(資金不足の原因は、骨川スネ夫が四丈半島に大豪邸を建てるなどの無駄遣いをしていたためだったが、誰もその事実を知らなかった)アナログのセル画を続行しなければならないことになってしまった。そのため、アニメ元請会社はスネ夫スタジオを離れて、どんどん京都アニメーションへの下請けを依頼し始め、酷いときには丸1年間全く下請けの依頼が来ないこともあった。それに怒りを覚えた骨川スネ夫が、独断で京都アニメーションに「京アニ自重」、「萌え要素ならこっちのさくらたんの方が強えんだよ」、「セル画も嫁だが、CCさくらも俺の嫁だからな」、「デジタルもクソやけど、ふもっふはもっとクソやな!」などと、イタズラ電話をかけ出した。当時骨川スネ夫は、アニメ制作を源静香と剛田武に任せきっており、その上仕事場にもほとんど現れず、四丈半島にある自分の豪邸からイタズラ電話を1日に数百回かけるなど、社員に精神的ストレスを与えさせた。しかし、京都アニメーションは全くそれに動じないため、とうとう2003年2月、骨川スネ夫は電話で「今からそっち行くから待ってろ」とだけ言い残し、数名の社員を極秘で同行させ、京都アニメーションに侵入すると同時に社員にいきなり暴力を奮うなど、アニメ制作会社としては前代未聞の事件となった。
その日の報道によれば、骨川スネ夫は黒服にサングラスをかけて、数人の社員と集団で本社に押しかけ、 「取締役はどこだ。取締役を出せ!」と迫り、どちらからともなく一斉にもみ合いになった。傘や消火器(いずれも現場にあったもの)を用い、「お前のものは俺のもの!俺のものも俺のもの!」などとジャイアニズムを怒鳴りながら、社内の至る所にあったコンピュータやスキャナを叩き壊したという。直後に骨川スネ夫は宇治警察署により現行犯逮捕される。この事件は、「京都アニメーション襲撃事件」もしくは「京アニ襲撃事件」と大きくニュースに取り上げられることとなった。