スバル・レガシィ

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スバル・レガシィ(すばる・れがしぃ SUBARU LEGACY)とは、富士重工業の旗艦車種であり、また同社がアメリカに依存していく過程を映し出すバロメーターでもある。

概要[編集]

バブル景気まっただ中にもかかわらず、富士重工業1社だけがアメリカへの輸出に偏重して国内の自動車業界から取り残されている1989年にデビューした。EJ20型エンジンを採用し、国内のDQNな若者向けに真面目に作った「GT」が大人気で、ハイパフォーマンスワゴンとして一世を風靡した。DQNが離れていったとたんに、日本を捨ててまたアメリカに偏重してしまいエンジンまでもがピザ化してしまっている。これは、スバルが軽自動車を捨てて、アメリカでの売り上げだけを重視し始めた象徴とも言えるだろう。

歴史[編集]

初代BC・BF型(1989年-1993年)[編集]

1989年デビュー。この当時、スバルのアメリカでの稼ぎ頭は陳腐化したレオーネであり、国内ではサンバーぐらいしか無かった。その為、バブルまっただ中にもかかわらず、日本国内ではスバル車の売り上げは低調であった。そこに現れた救世主がレガシィである。ボディはセダンとツーリングワゴンの2本立てで、エンジンはスバルお得意の水平対向4気筒の新型「EJ20」「EJ18」を搭載。後に「EJ22」を追加した。この車の2リッターターボで最高速チャレンジに出たり、WRCに出てインプレッサに代わるまで4年連続出場した。いすゞにも、ターボ車以外は「アスカ」として売られていたが、いすゞファン以外は誰も知らない。因みに、アメリカでも製造されていて、わざわざステアリングが助手席に付いたアメリカ製のアメリカ仕様車を「レガシィLSi」として日本に輸入して販売するという暴挙にも出ていた。こちらは「EJ22E」エンジンを搭載。本皮シート内装、サンルーフ、クルーズ・コントロールなどの高級装備が特徴としていたが、ただの2リッターセダンには不釣り合いであった。

2代目BD・BG型(1993年-1998年)[編集]

1993年デビュー。ここから本格的に大真面目に日本国内のDQNをターゲットにセダンRSとワゴンGTをカリカリにパワーアップさせまくった。ここから本格的にツーリングワゴンはDQN御用達車種の仲間入りをして、そこら中で飛ばしまくるようになる。

1995年 アメリカでの売り上げが伸び悩んでる中、アメリカのスバルからの提案でクロカンもどきの「アウトバック」を設定し、意外とヒットする。日本向けにも「グランドワゴン」として出した。すわグラベルEXの再来かとスバリストたちは恐怖したがこちらも意外と売り上げが良く、翌年にアウトバックよりも悪路を走れるフォレスターがデビューする。

1996年 セダンRS、ツーリングワゴンGT-Bのマニュアル車の最高出力が250馬力から280馬力に向上し、余計にもビルシュタイン製倒立ダンパーや強化ブレーキを入れたが為に、更にDQNに大ヒット。そこら中で飛ばしまくるようになって、定番の保険料値上げ。ビルシュタインはわざわざレガシィのために工場を拡張して、わざわざヨーロッパから飛行機でダンパーを日本に輸出していたとか。因みにオートマ車の最高出力は変わらなかったが、当時のDQN共はみんなマニュアル車にしか乗っていたかったから誰も気にしていなかった


意外な話だが、このクルマをデザインしたのは元メルセデスのデザイナーで、この後三菱に移籍して富士山グリルとかブーレイ顔にしまくった後、更にメルセデスに戻っている。

さらに意外な話だが、当時は国内で最高水準の安全性を誇っていた。(クラウン等より優秀)

3代目BE・BH型(1998年-2003年)[編集]

1998年デビュー。ターボのATは260馬力に強化されたが、どうでも良い。セダンの「B4」がツーリングワゴンの半年遅れで出た。この代からFFが消え、B4は「Boxer 4WD」の略と言われたが、アメリカではB9トライベッカという別の番号もあったため誰もがアウディのA4にあやかったと感じた。 どうせならワゴンとそろって出せば良かったと思っているのは筆者ぐらいだろうか。 セダンからワゴンを作るのではなくワゴンからセダンを作るという珍しいアプローチをしている。そのため、セダンはやたらと剛性が高く、社内では「重戦車」と言われていた。


この代でも最高速度チャレンジで270.532km/h出したのをアピールしていたから、相変わらずDQNがコイツのターボ車で飛ばしまくって、事故りまくっていた。更に余計なことに、あのポルシェの子会社「ポルシェデザイン」が手がけたエアロを付けた限定車「ブリッツェン」まで出てきた。挙げ句の果てにはインプレッサで有名な「STiバージョン」まで出てきた。これはエンジンの最高出力を293馬力まで上げて、GD型インプレッサSTiに使われていた6速マニュアルを搭載するという代物であったが、435万円もする上に400台限定で286台しか売れなかったから杞憂であった。

2002年 B4に「RS30」、ワゴンに「GT30」追加。共にEZ30型3.0L水平対向6気筒エンジン搭載。若いDQN共は気にしなかったが、大人を気取っていたい中年DQNは案外すぐに飛びついた。

近年、よく壊れよく燃え、よく燃やされるとなった。いろんな意味で。

4代目BL・BP型(2003年-2009年)[編集]

2003年デビュー。全幅が1695mmから1730mmに膨らんで3ナンバーになってしまうも、100kg近くの減量を達成した。ここに来てようやくターボ車のマニュアルとオートマで最高出力が280馬力にそろうなどと言うことはなくVIP気取りのDQN対策としてAT車はは260馬力に抑えられた。ターボチャージャーの数が2個から1個に減らされた上に、水平対向エンジン独特の排気音が無くなってしまったが、スバリストしか気にしていない。何故なら、もう既にDQN共はステップDQNDQNRに寝返ってしまっていたから。

尚、この世代になってもよく壊れる。エンジンチェックランプが点灯することに憧れを持つ人々には最適である。

5代目BM・BR型(2009年-)[編集]

2009年デブる。本当にすべてがデブった。国内のDQNを見捨てて大真面目にデブい米公の顔色伺いに徹しすぎたあまりに、スタイリングはデブり、せっかく先代で100kg減量した重量はまた100kg増え、エンジンも2.5リッターと3.6リッターだけになってしまった。つまりすべてがデブった。オマケにヘッドライトはつり上がりすぎ、ワゴンはガラスは回り込まずにDピラーが露出しててレガシィとはとても思えない。筆者を含めたスバリストはみな愕然とした。だからアメリカでも売れないだろうと思ったら、あちらでは受けている模様。さすがデブの為のデブ車である。だが、2.5リッターNAのミッションをCVTにしても日本では売れていないし売れるわけない。どうせならDCTで開発しやがれ。その方がヨーロッパとかで売れるぞ。 そののち、大株主大閣下にいやいやながら作らされたハイスペックスクエアエンジン「FA20(4U-GSE)」にを取り付けたモデルも発売してみたらめっちゃ売れたのでちょっとうれしい中の人の顔が思い浮かぶ今日この頃。結果としてレガシィに2.0リッターターボが復活したのでやっぱりちょっとうれしい筆者である。でもMTは・・・お察しください。


6代目BN型(2014年-)[編集]

先代の怒ったカバのような顔が米豚に大ウケして味を占めた富士重は6代目レガシィで完全にポルコにしてしまった。 ボデーが大きくなった事はもちろん、エンジンは先代のエンジンに改良を加えたものになる。ミッションは最近スバルがお得意になってきたCVTを装備しており、オーディオはマッキントッシュが定番だったが、トヨタが筆頭株主になりトヨタと関係があるHarman Kardon社(TOSHIBA製ノートPC ダイナブックなどにも搭載されていた。パラちゃんと聞いて分かったあなたは変態です。)のものが搭載された。 ある意味富士重では高級車が無かった為、本当のフラッグシップになったとも取れる。 過給機が無くなり足回りもビルシュタイン製のダンパーが装備されなくなり、走りと言う観点からはとても目を当てられなくなってしまった。 現行からツーリングワゴンが廃止され、B4とアウトバックのみの販売となるが、若干CMもディーラーも営業もB4を推していないところを見るとやはり売る方もデブレガシィは売りたくな、、ゲフンゲフン

お値段はアウトバックがたったの313万円からで、調子こいてサンルーフ付けたりHarman Kardonオーディオ付けたりすると余裕で400万円を超えてしまう。 スバル車に400万円かけるとかキモオタブルーのイ○ポレッツァだけかと思っていたよパトラッシュ、、、。

関連項目[編集]


4370 large.jpg この「スバル・レガシィ」は、マイナーチェンジの案が出ています。マイナーチェンジして下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)