スプートニク2号

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搭乗者・スプー

スプートニク2号(ロシア語:Ура! Хорошо!)とは、1957年11月4日に同志フルシチョフの命を救うためにソビエト連邦によって打ち上げられた人工衛星である。

開発[編集]

ソビエト連邦はスプートニクシリーズの第一弾としてスプートニク1号を打ち上げた。スプートニク1号は直径58cmの金属製の球体で、内部にはスープ、すなわちボルシチが搭載されていた。1号は電波により世界中に共産主義思想を広めるなど一定の成果を挙げたが、ボルシチでは「スープトニク」であって「スプートニク」ではないのではないかという批判が資本主義圏の国家を中心として巻き起こった。フルシチョフ書記長はこの批判を低俗なブルジョワ思想の現れと一蹴しようとしたが、足腰が強くなかった彼はバランスを崩して転倒し、後頭部を強打した。この事故を受けて真の「スプートニク」を打ち上げる計画が開始される運びとなった。

スプーを探さねば。全世界に張り巡らされた優秀なソ連のスパイ網の情報によって、日本放送協会の番組にスプーというキャラクターが登場することが明らかにされた。1950年代にスプーは存在しなかったはずだという批判があるが、これはソ連のスパイの優秀性を無視した疑似科学的な主張である。ソ連スパイの優秀性は、彼らが未来を見渡し、また未来へワープすることを可能とした。このようにしてスプーは発見されたが、それは日本放送協会軍の厳重な保護下にあり、拉致することは容易ではなかった(当時はNHKが厳重な警護を敷いていた理由は判然としなかったが、現在ではそれはスプーがNHK屈指の優秀な生物兵器だったためだと考えられている)。ソビエト政府はスプーの確保のために努力をした。そしてスプーは確保された。なぜなら努力は実るからである。

それと並行して宇宙船の開発も進められていた。しかし技術者たちは途中で何だか面倒くさくなり、帰還装置の開発が頓挫した。その一方で西側諸国からの批判は日に日に強まり、このままではフルシチョフ書記長が再び後頭部を強打する可能性があった。もしそうなった時は彼の命は助からないだろう、専属医師はそう告げていた。当時のソ連の宇宙開発の主導者だったセルゲイ・コロリョフは、親愛なるフルシチョフ同志の命を救うため、泣く泣く強行打ち上げを決断した。

ミッション[編集]

かくしてスプートニク2号は打ち上げられた。帰還装置を一切省いた片道旅行だった。衛星は三角錐をしていた。スプーが軌道上で生きていくための餌としては鶏肉が選ばれたが、これはもちろん「スプーと肉」の名前のためである。真のスプートニクを打ち上げ、同時に生物も打ち上げたことに、資本主義諸国は驚嘆し、絶望に青ざめた。この真実を受け止めたくない西側諸国は、ソ連が打ち上げたのはスプーではなくライカというメスだ、これでは「ライカトニク」ではないか、イヌミミ少女を狭い宇宙船内に監禁して色々怪しい装置を取り付けて片道宇宙飛行させるとは鬼畜極まると主張した。これが現在の日本でスプートニク2号には宇宙犬ライカが乗っていたという常識がまかり通っている理由である。オタクどもはメス犬と聞いただけでハァハァしている。

ソ連政府はスプーが軌道上で1週間生存したと主張したが、ソ連崩壊後に明らかにされた資料によって、実際には打ち上げ後数時間に衛星からのスプー生存を示すデータが途絶えていたことが判明した。これは打ち上げ時の振動・加速度・衛星の故障による異常昇温・ウィキペディアでの編集合戦・3rr違反による投稿ブロック・自らの手がけた記事がいきなり宣伝として削除されたこと・気晴らしにアンサイクロペディアに記事を投稿したらNRV貼り付けられたこと等によってスプーのストレスが上昇し、頂点に達した瞬間、気密カプセルを突き破って宇宙空間に脱出したためだと考えられる。軌道解析によると、スプーはその後大気圏に突入し、大西洋上に着水したものと思われている(この計算を裏付けるように、火球が西の空から東の空に駆け抜けるのを見たというタイタニック号の船員の証言がある)。優秀なスプーは21世紀の日本放送協会に凱旋した。

かくしてスプートニク2号はその短い歴史に幕を閉じたのである。

関連項目[編集]