チップ・ザナフ

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チップ・ザナフ(Chipp Zanuff 生没年不詳)とは、22世紀末期に活躍した傭兵、軍人、政治家(多分)、慈善家。対戦型格闘ゲーム「ギルティギア」にて、彼の英雄譚が語られている。東洋の秘技である忍術に精通し、奇抜な言動、格好と卓越した身体能力から巷間では服部半蔵の再来と呼ばれた。一方で戦争によって荒廃した日本の建て直しに尽力し、日本人からは「日本復活の父」と畏敬された。他にもアサシン組織の掃討とその首魁の説得、軍事大国・ツェップとの折衝、日本人の保護などに多大な功績があり、聖戦によって疲弊した世界を復興に導いた立役者の一人である。アメリカ・シカゴ州出身だが、本人は晩年まで日本出身だと言い張っていた。未来の大統領を自称していたが、結局大統領にはなれなかった。

来歴[編集]

聖戦[1]の最中にアメリカで誕生。幼少時に聖戦の余波で両親と死別、ストリートチルドレンに身をやつし明日をも知れぬ生活を強いられる。糊口をしのぐため当時の裏社会を掌握していたアサシン組織の悪事の片棒を担ぎ、ドラッグのバイヤーとなり、やがて自らも薬漬けとなり使い物にならなくなったため、用済みと判断され始末されかかるが、国際警察機構からスパイとして組織に潜入していた日本人のエージェント「毅」(本名不詳)の手によって助け出され、以後、彼の元で育てられる。毅の元で心身を鍛えるべく修行に励み、法力、格闘術の会得に研鑽した。命の恩人である毅に一途な敬慕を抱き、彼の出身国である日本に興味をそそられ、ほぼ独学で日本語を習熟した他、日本文化にも関心を抱き様々な文献を渉猟して知識を深めた。

しかし2年の後、毅がスパイである事がアサシン組織に露顕、追っ手を差向けられ毅は暗殺される。師匠を殺されたチップは慷慨し、アサシン組織への復讐を誓うと共に、どういうわけか大統領になる事を目指すようになる。フリーの傭兵として世界各地を跋渉、国際警察機構、軍事大国ツェップらと時に結託しながらアサシン組織掃討に協力、また国連を裏から掌握し私利私欲を貪る終戦管理局の打倒にも助力した。アサシン組織掃討に関しては彼が実質的な首領であったヴェノムと交渉して彼を説き伏せた事で組織の活動を沈静化させたことが決め手となった。

これらの功績と、世界を遍歴する中で広めた見聞、就中敏捷さに秀抜した身体能力を評価され軍事大国ツェップに親衛隊長として招致される。これを承諾したチップはツェップに逗留、ツェップの治安維持、他国との交渉に貢献し、「軍事大国」という偏見、当時禁忌とされていた先時代(~21世紀)の化学を導入していた事から他国より乖離していたツェップと各国との関係融和を推進し、ツェップのブラックなイメージを見事払拭させた。また、聖戦によって壊滅的な打撃を被った日本の復興にも積極的に寄与し、私財を投げ打って日本の復興に力を貸し、散逸した日本の文化財の蒐集にも努めた。その功績を鑑みて、ツェップ大統領ガブリエルからは幾度も勲章の授与を検討されたが、チップは

「俺は生まれてこのかた勲章なんて欲しいと思った事はねえ。唯一欲しかった栄光は大統領の玉座だが、今はそれすら欲しくない。」
勲章授与 について、チップ・ザナフ

と言ってこれを悉く辞退した。その後親衛隊長の座を退き、晩年は復興を果たした日本に定住しひっそりと余生を過ごしたと言われている。享年不詳。

ギルティギアのゼネラルディレクターで、「後世のロックミュージシャン」という異名を持つ石渡太輔は彼の日本復興に対する功績を讃え、一陣の風の如く生きたチップの生涯を謳った「Suck a sage」という賛美歌を捧げている。だが石渡ゼネラルディレクターの付けた、Suck a sageという曲名は「師匠とフェラチオ」という意味である。そのため生前からあった、「チップと毅師匠は男色関係にあったのではないか」という揶揄を強調した、チップを顕彰するどころか馬鹿にする曲なのではないかと一部から非難されている。

注釈[編集]

  1. ^ 21世紀末期から100年近く続いた、人間と「ギア」と呼ばれる人間が生み出した生態兵器との間で行われた戦争。この戦争によりヨーロッパ大陸が文字通り分断され、日本国は日本列島ごと壊滅した。作為的に行われたという説が根強い。