チュシガンドゥク

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チュシガンドゥク(Chushi Gangdruk、チベット語:ཆུ་བཞི་སྒང་དྲུག་ )とは、チベット独立を企むインド政府によって組織された官製義勇軍である。

概要[編集]

さぁ、一丁やろうか!

中国共産党による「チベット解放」(1950年-1951年)以来、軍事的緩衝地帯を失ってしまったインドとの国境関係は緊張が高まり、国境線をめぐって各地で紛争が勃発していた。可能であればチベットを独立させて緩衝地帯を復活させたい、さもなくば常にチベットを混乱状態に置く事で中国の矛先をインドから反らしたい(あわよくばチベットを征服したいのはやまやまであるものの、そこまでの余裕がないことはわかっていた)。そう考えたネール政権下のインド政府が、インド情報局の特殊作戦部隊に命じて民兵を組織(その構成員の大半が亡命してきたチベット人であることは言うまでもない)させ、アメリカのCIAの顧問(民兵将校)を招聘して軍事訓練を施した上でネパールに開設した基地を拠点としてチベット地域にしばしば侵入を繰り返しては撹乱工作や破壊活動(サボタージュ)に従事したのであった。アメリカとしては中国共産党の注意と軍事力を西方(チベット・インド方面)に注がせることで台湾海峡の緊張をやわらげ、台湾有事を先送りにしたかった事情が存在していたためにインドと協力して「チベット独立」の大義名分に一枚噛んだのであり、国際関係に純粋な好意など存在しえない事は常識である

戦績[編集]

募兵ポスター。誰にも語られぬまま、彼らの戦いは続く。

かくしてをとり、チベット独立の大義名分の下に挙兵した彼らであるが、チュシ・ガンドゥク自体が建前上は民兵組織(義勇軍)であることと、中国共産党当局も彼らを「テロリスト」としてしか見なしていなかったため、彼らが人民解放軍を相手に繰り広げた激戦の数々や上げた戦功についてはそのほとんどが非公開となっている。しかし、少なくともダライ・ラマ14世のインド亡命(チベット脱出、1959年)は成功させており(彼らは「活仏の衛士」を自任していた)、他には何一つとして公表されてはいないものの、チュシ・ガンドゥクは確かにチベット独立に貢献したという自己満足を胸に戦ったのであった。しかし1972年の大統領訪中による関係正常化など、親中路線を選択したニクソン政権が派遣していたCIAの軍事顧問をネパールから引き上げさせたため、ネパールからの援助も打ち切られてしまい、その活動は衰退、沈静化して行ったのであった。当然、インド当局もあっさりと彼らを見捨て、グダグダのままチベット問題は現代に至るのである。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]