トム・ウェイツ

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月がピンクのネオンを照らし、ポルノ映画館が統合失調症やてんかんの患者でごった返す夜、あんたの隣にトムはいる。

紳士淑女の皆さん……ムーンセット大通りのジャズ・ラウンジにようこそ。調子はどうだい、ブラウン?なんか良いことないか、子猫ちゃん?何飲んでるのさ、ジャー・ジャー・ビンクス?ここであんたにちょっと話をしよう。トム・ウェイツ(Tom Waits,1949年 - )の名で通った真のヒップ・スターについてだ。ようジョーイ、俺が話す間、お客さん方にベースをひいてやってくれ。よし、ベースに合わせてちょっと歩こうじゃねえか。

さて、トム・ウェイツが誰かってことだがな、あんたも知っているだろう、世間の連中がピアノ弾きに何て言うか。俺ももういっぺんそれを言うつもりだが、まあ、ここには女性もいらっしゃるからな。しかもどう話したもんか忘れちまったよ。寒いところで酔いを醒まして全部しゃべってやるよ。おい、こりゃ、雨ざらしの娼婦のヒザよりずっと冷てえよ。

トムはな、思うに、たぶんまだ歌手をやってるんだろう。やつの声は本当に独特だったよ。バーボン漬けにした後2、3カ月燻製にして、それから外にほったらかしにして車で轢いたみてえな……これは俺が言ったんじゃねえよ。喉頭炎のサタンって言う奴もいたな。あと、海賊バーの壊れたカラオケマシーンで歌ったみたいだって。俺か?俺はな、音程もろくに保ててねえ老いぼれの呑んだくれの歌だといつも思ってたよ。なに、ちょっとした思い付きだ、だから俺ぁ評論家には向いてねえんだよ。

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トムの誕生[編集]

トムは初めて吸ったタバコで卒業アルバムの写真の両目を焼いた。

……クリスマスの朝の薄汚いロサンゼルスのピザ屋でのことさ。彼を出産したウェイトレスは、小さな真珠のブローチをセーターの胸にとめて、ラインストーンがついたメガネをかけていた。彼女は、革のブース席に彼を座らせて、過激な内容の恋愛相談のコラムにマルをつけて、カラードの牧師にブラックコーヒーを出した。

トムの本当の両親に何が起こったかは誰も知らないが、彼が生まれる前に母親は逃げたんだという奴もいるし、本当の父親のほうは誰にせよ、うやむやになっちまった[1]

幼少期のトムはシケモクの煙にむせて泣いていた。生まれて間もない幼児にしてはヒリヒリして痰が絡んでいて、怪しく深みのある泣き声だった。やつは最初から、喘息のジジイが風の強い日にきつい坂道を登りながら咳き込むみたいに話したと、人々は言う。みんな知ってたのさ、こいつが天性のジャズマンだってことを。 あるとき我らがトムはピアノを弾き始めた。それか見ようによっちゃ、ピアノのほうがやつを弾き始めたんだな。やつのピアノはストリップバーの連中を立ち上がらせ、目を見張らせた。彼の音楽は、ストリップ嬢に婚約者の若い兵士を思い出させ、スケベ男にはおのれが5人の子を産ませた、いつもライムパイを作ってくれるカミさんを思い出させるんだ。

トムはすぐに大都市のナイトクラブで弾き始めた。ツケがきいて、ドアマンにぶん殴られないようなところのな。

バンドに参加、ツアーへ[編集]

「俺はアル中じゃなくて、1日20杯のビールで健康を維持してるのさ」

……で、やつはアサイラム・レコードからいくつかドーナツ盤を出した。ちゃんとしたレコードも出したんだぜ、知ってるとは思うが。

トムはユニークな作曲法をすぐ見つけた。ソフトなジャズの題材になるような、都会に住んでるスカンピンについて、とりとめのない叙情詩調のモノローグを続けるんだ。彼にはアホのために歌うなんて無理だったが、あんたをすっかりしびれされることができるし、そのくせチャージ料の5パーセントしか要らないと言う。みんなあいつが気に入って、肉屋の前にぶら下がった塊をしゃぶる犬みたいに聴きいった。10時以降のホテル代までつぎ込んでな。

ただトムにも俺たちと同じく悪い癖があった。 ああ、修理屋の仕事よりよっぽど悪いことさ。良い空気を吸った、というみたいにうまいを飲んだと言った。終夜営業のガレージが閉まってもまだ起きていた。「俺じゃねえ、ピアノが飲むんだ」とやつは言ったもんだ。「冷たいシャワーを浴びてるモルモン教徒と同じくらいしらふだぜ」ってな。あいつが風につまづいたかと思えば、ハリケーンの中でビュイックみたいに突っ走っていたら酔っ払ってるってことだぜ。トムはいつだってやつの中に巣食うデーモンを追っ払いたがっていたが、実際にそうはしなかった。たぶん、天使も一緒に出て行っちまうのが怖かったんだろうな。

初めのうちトムの収入はさっぱりで、彼を浮浪者と間違えた人々がめぐんでいく小銭くらいのものだった。だが、そいつらも彼の歌を聴いてはいた。トムは自分の曲がラジオで流れているのにすぐに気が付いたが、歌っていたのが自分じゃないと理解するためには2、3日の休養と鎮痛剤が必要だった。まず、それらはC型肝炎の意味も知らずに注射器を回し打ちするようなバカどものカヴァーばかりだった。念のため言っとくと、俺はロッド・スチュアートが落ち目だとは思わんし、スカーレット・ヨハンソン[2]が電話ボックスの中で中国の男娼としっぽりやったかどうかには興味が無え。だが、トムは金も名声も気にしなかった。ジンに浸かったきついタバコが喫えてときどき安ホテルでヤれさえすればピアノを弾いてやっていけたし、アイルランド人らしい幸福を享受していたんだ。

80年代[編集]

誰も演じたことのない打ちひしがれた狂人の役をトムはやった[3]。あんたらに見せるために相当練習したんだぜ。

……トムは、F・フォード・コッポラ監督と、親しくもどこかのらくらした関係を築いていった[4]。 コッポラはねじ曲がった知性をハスラーみたいなメガネの奥に秘めた、海に出っぱなしの船長のツラをした男だった。ベレー帽をかぶったマドロスとか、美大を出た手品師にも見えたな。彼とトムとは変な組み合わせだったかもしれんが、ガキとレモネードみたいに驚くほど愛称が良かったのさ。 トムは彼が歌うように演技することしかできなかったが、コッポラにとってはどうでもよかったらしい。ただ、コッポラは『ゴッドファーザーpart3』くらい良い画[5]を撮ろうとやっきになっていたよ、一回しか成功しなかったけどな。

彼がそこまでたくさんの映画に出したがるほどの何をトムに見出したのか、誰も定かには知らない。気質が似ていたのか、それとも他の俳優のギャラを上げたかったのか。 コッポラのミュージカル『ワン・フロム・ザ・ハート』のサウンドトラックはほぼトムのオリジナルだ。聴いたこともない映画かもしれないが、古い映画館で深夜にやってたりするんだぜ。もし見たけりゃ市の図書館に行ってみるといい[6]、貸出カウンターにいるブルネットのババアがビデオを文鎮代わりに使ってるから。

バンドの皆、ちょっと演奏をやめてくれ[編集]

ゆで卵は柔らかくて娼婦はハードだ。甘いささやかな子守歌さ。

……やめろって言ったろ。そうだ、それでいい。

今音楽を止めたのは注意を払ってほしいからだ。あんたのコートを引っ張ってもよかったが。トムのキャリアがいかに激しく方向転換したか、って話を聞いてくれ。彼は感傷的すぎるピアノ・バラードをやめ、ボンボンビンビンやかましいベースもやめて、ついでに朝食のたびにマルガリータを飲むのさえやめた。そして、大志を抱いた新米の水兵のように、トムは探索の旅に漕ぎ出した。いろんな酒をチャンポンして実験するって意味だ。彼は、長い間忘れ去られていたスタイルの音楽たちが眠る墓場をうろつき始め、ヴォードヴィルやら外国の民謡[7]やら、モグリの音楽と呼ぶしかないようなやつまで、ロックンロール以前のごつごつした連中を掘り出してきた。トムがマリンバだのファゴットだのボンゴだのいろいろとりまぜて愉快にやっている間、彼のピアノは部屋の隅の掃き溜めに追いやられていた。やつは打楽器奏者じゃなかったのに。ものを棒で叩くのが楽しかったんだな。

唯一変わらなかったのがこの音楽だ。デカダン生活の中で喉をすっかり嗄らし、やつの声はいっそうひどくなった。真実に向き合わんとな。トムがおんぼろアコーデオンとともにステージ上によろめき出て、マイクに向かって歌ったとき、客はてっきり外の誰かがディーゼルエンジン付きチェーンソーでもふかしてやがるのかと思った。しかし、彼の奏でるわずかな旋律はじつに甘美なものだった。

1980年、ニューヨークであこぎな商売が大流行りしていた頃に、トムはよく考えずに実入りの良さそうなレコード会社と契約した。アイランド・レコードだ。契約書はで書かされ、唾液で署名されて、しまいに燃やされた[8]。灰はデラウェア市の下水に散った。

次の20年で、トムはジャズ・ラウンジのチャンピオンから批評家をうならすスターへと変わった。彼はキース・リチャーズをはじめ名の知れた世間を騒がすミュージシャンとコラボしたり、木の根っこみたいな図体のプエルトリコ人の愛人をつくったとか、まあこれはただの噂だがな。本当だとしても今はもう金でカタがついてるだろうさ。

孤独への道[編集]

……彼は孤独な男だった。どんな気持か俺には厭というほど分かる。俺は時々俺自身に電話して、夕食に俺を誘うんだよ、馬鹿げてるだろ?おいおい、あんたもやってるのかよ!よく認めたな。ああ、俺は自分自身をちょっとおしゃれなイタメシ屋とかに招待するんだよ……そこまで貧乏じゃないんだからな!食い終わったら自分を家まで乗せて行って、静かなのが厭だからそうっと二階に上がって、その、そう、マスかくわけだ。もうちょっとやりようがあるってのは分かるよ。まあでも俺たちわりと気が合うんじゃないか?

俺が知る限り、トムも似たようなもんだった。やつの心はやつのフェルト帽くらいボロボロだった。そんなとき、彼はキャスリーンに出会ったのさ……

キャスリーンは、空中ブランコ乗り兼パートタイムのトラック運転手で、クレオパトラの顔とルイジアナのやもめ女の肝っ玉を持っていた[9]。二人は悪徳警官のひしめく大晦日ハリウッドで出会って、一目惚れも二目ぼれもしたのさ。

トムはそれから年中節制に励んで、1990年までには、彼女にお婆さん譲りの指環を贈るとこまでこぎつけた。二人はその年ヒトラーみたいなちょびヒゲつけたゲイの牧師の前で結婚を誓ったんだが、トムが式の最中に窓から落っこちて、おかげでハネムーンは病院の中さ。

それから今まで二人は一緒に良い音楽を作り続けている。これは誇張じゃない。むろんアレのほうも毎晩欠かさないだろうし、そう願ってるが、俺は上品だからそういうことは訊かないんだ。

ともかく、お喋りは十分[編集]

……さて、歌の時間だ。マイクをオンにしておいてくれたら一晩中だってしゃべり続けられるんだが、わかってるだろう?音楽がなくちゃ踊れないのさ。ここにおわすは生まれた時から老け声のトム・ウェイツ。人呼んで、サンディエゴの娼婦に捧ぐ枯れた花だ。あんたもきっと気に入るぜ。

夜じゅう起きてみて、はじめて俺は朝を見た
君が灯りを消して、はじめて俺は日の光を見た
ずっと離れて暮らしてみて、はじめて俺はふるさとを見た
歌を必要として、はじめて俺はメロディーを聴いたんだ

補足[編集]

  1. ^ トム・ウェイツの両親はどちらも高校教師ですが、ウェイトレスのほうがらしい気はします。
  2. ^ 彼女のカヴァーはなかなか酷くて、だからこそ一度聴いてみる価値があります。
  3. ^ コッポラの『ドラキュラ』に出演した時の写真です。独房の中で虫をポリポリ食べたり、キアヌ・リーヴスの肩に噛みついたりするおいしい役どころです。
  4. ^ ジム・ジャームッシュのことも書いて欲しかった。彼のほうがこの人の使い方を心得ているのに。
  5. ^ 作品の出来を皮肉っているかどうかはさておき、「トム」という名の主要登場人物を、俳優が降板したために出せなかったという裏事情があるのは確かです。
  6. ^ 原文では彼の出身地のポモナ市立図書館でした。
  7. ^ オーストラリア民謡"Waltzing Matilda"のカヴァーが特に有名です。腹をすかせた浮浪者が放牧されている羊を盗って食べてしまい、警官にとがめられて入水して、幽霊になって歌っている……というような情けなくも哀れを誘う歌詞です。 『タモリ倶楽部』で空耳が紹介されていたのを覚えておられる方も多いでしょう。「ワールツィング・マチールダ、ワールツィング・マチールダ」に、ターゲットの女性に無視された露出狂が必死に訴える「お~ちんちんだ、お~ちんちんだ~よ」の台詞がかぶさる最悪の空耳でしたが、アウトサイダーの哀歌という点で通じるものがないでしょうか。そう、無いですね。
  8. ^ 悪魔との取引をしてしまったわけですが、今はそこを脱してアンタイ・レコードと契約しています。 2009年のテリー・ギリアムの映画『Dr.パルナサスの鏡』で、ついにトム自身が悪魔になりました。2012年の『セブン・サイコパス』ではウサギを抱いた殺人鬼の役だそうですが、秀逸な隠喩だと思いませんか。
  9. ^ キャスリーン・ブレナン、音楽や映画製作に関わる業界の人です。顔と肝っ玉はとくに否定しません。
この記事は、en:Tom Waitsから翻訳されたものです。