トヨタ・セリカ

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ジャマ
自工会馬力自主規制基準合格
この車両は、自工会が定めた、自動車馬力に関する基準に合格しています。
普通乗用車は、280ps以内。軽乗用車は、64ps以内。
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セリカ (Celica) は、トヨタ自動車が製造・販売していた目立ちたがり屋の為の車である。勿論、モータースポーツもするけれどドレスアップカーのベースとしての方がよく見る。発売は何故かカローラ店。

概要[編集]

トヨタ・セリカは、1970年(昭和45年)から2006年(平成18年)までトヨタ自動車㈱が製造・販売した2ドアOR3ドアクーペ。 わが国での「スペシャリティ・カー」と呼ばれるジャンルを確立した車である。 初代から最終7代目に渡って、常に当時の先端技術が導入され、また各レースでも輝かしい歴史を残している。

また昭和53年に加わった、上級車種セリカXXは、アメリカでは性表現のランク付けから取った名前になることから「セリカ・スープラ」の名称で海外で販売された。 その後、1986年(昭和61年)のフルモデルチェンジの際、車名を国内でもスープラと改め、またセリカ自体も前年にFF化されたため、 セリカシリーズから独立する形となった。

歴史[編集]

初代 A20/30型[編集]

通称「ダルマセリカ」1970年12月に、当時の痛車である族車ベースに、モテないオタクの為だけにトヨタのクリスマスプレゼントとして登場。沢山のオタクが買って事故った。 同時に誕生したカリーナの足のいいヤツと車台を共用。つまり、足はいいが中身はファミリーカーである。そのため、限界はライバルの日産・シルビアより少し低かった。日産・セフィーロみたいに好みのエンジン、変速機、内装を自由に選べる“フルチョイス”と呼ばれるシステムを採用。内装に関しては関西地区では「バケットシート+ロールバー、残りは殆ど撤去」という環状仕様が人気で、実際に頼めたらしい。しかし、メカオンチにはエンジンや変速機が自由に選べてもどこがどう違うか分からないので、やるだけ無駄なお節介とも言える。 また、フルチョイスと言っても1600GTと呼ばれるヤマハ製エンジン搭載のドーピング仕様としか言いようのないカットビモデルは対象外であった。選べないエンジンもあるって、全然「フルチョイス」じゃないじゃん。「バケットシート+ロールバー、残りは殆ど撤去」という環状仕様が好きな奴はエンジンをこれの物にしたくて改造を各自でやっていたのだから泣けてくる。 当時、新聞一面を使った広告のコピーは「未来から来た車」だった…ような気がする。ET・LT・ST、そしてGTの4グレードがあった記憶がある。

1972年8月のマイナーチェンジでは見えやすさを考えず、ただ販売を有利にするためだけにリアコンビランプの方向指示器を独立させ、細々としたところも変更。解体屋でパーツをあさる時に不便になったので、事故を起こしかねない走り屋を泣かせた。この頃からトヨタは国内販売台数1位を強く意識したのか、勝利を意味するVICTORYから名づけた1600GTVという恥ずかしいグレードを追加したのはあまりにも有名である。

1973年4月にはライトバンみたいな便利さを求めてテールゲートを備えた3ドアハッチバック(LB)が登場。当然ライトバンのような便利さは無い。族のバイク修理の道具を乗せるのが関の山である。最も、暴走族がバイク修理の道具を乗せること自体疑問だが。セリカ LB のリアランプは初代フォード・マスタングのパクリなのだが、何故かファンはこの車のことをマスタングセリカではなく、「バナナテール」と呼んでいる。猿に大人気。故に猿がバナナ欲しさに飛び出して猿を轢くドライバー続出。保険料がまた上がる。

1974年1月 LBのせいで売れなくなったクーペの顔をLBのものにする。これは言うまでも無くクーペでクラッシュを多発させ保険料を底上げする困った人達への配慮である。決してコスト削減ではない。そんなクーペに2000GT追加。これでパーツの心配をしなくてよくなった走り屋が調子に乗って事故多発。保険料がまた上がる。

1975年には昭和50年排出ガス規制への対策に伴い、パワーダウンし魅力を失う。このときのトヨタ車はセリカに限らず排ガス規制への対応が遅れていたために付け焼刃でやったような対応しか出来ず、スポーツモデルの魅力が失せていた頃である。この頃のスターレットなんか間違いだらけのクルマ選びで「こんな魅力が無いのなら買わない方がいい」とさえ言われる始末だった。もしかしたらこの頃からトヨタのスポーツカーの魅力が下がり続けていたのかもしれない。きっとそうだ。

モデル末期の1977年には「ブラックセリカ」が登場。オプションで大音量ミュージックサウンドマイク(ハイエース選挙カー用のものを流用)が取り付けられ、目立ちたがり屋の右翼の街宣車に絶大な人気を誇った。

WRC(グループ2)には最高出力を135psまで上げ、暴走を繰り返しRACラリー9位。その後200psまでパワーを上げた仕様を開発し、1978年まで活躍。それをマネしようとして事故った走り屋が居たのは言うまでもない。そうしてまた保険料が上がったのである。

2代目 A40/50型(1977年-1981年)[編集]

1977年8月、2代目にフルモデルチェンジ。理由は販売促進以外の何者でもない。先代と同じくカリーナと共通。ただし、カリーナの足が前より良くなったかは不明である。ドアは先代と同じサッシュレスタイプで、センターピラー付のボディ構造となる。丸目4灯ランプが可愛いと話題になる。勿論、販売促進以外の何者でもない。この代よりTMSこと鉄道模型趣味とコラボレーションを果たす。販売促進以外の何者でもない。そのデザインオフィスである、キャルティデザインリサーチがスタイリングを担当。販売促進以外の何者でもない。

1978年3月には、当時はサンルーフを付けることが若者のステイタスだったこともあり、リフトバックにサンルーフ付きを追加。販売促進以外の何者でもない。翌4月にはフェアレディZへのライバル意識満々の超絶下品な上級モデル、セリカXX(MA40型)を製造、当時は痛車が超マイナーなので、族車のベースにされる。ちなみに、このXXの意味は北米をはじめとする英語圏の 性表現のレベル表示で、日本風に言えばセリカ18禁である。下品だ…。 その為北米を初めとする輸出仕様はこの代から「セリカ・スープラ」を名乗っている。

1979年、マイナーチェンジ。勿論、販売促進以外の何者でもない。丸目で可愛かったライトを含め、他車を煽る車にしてはショボく見えたのでフロントグリルが変更され、ヘッドライトが角型4灯になる。販売促進以外の何者でもない。これで多少はスタイリッシュになったと言っているが、単なる販売促進である。販売促進以外の何者でもない。 それに、もともとセリカの4ドア版はカリーナなのにね。 1980年1月、4ドアセダンのセリカカムリが登場する。販売促進以外の何者でもない。セリカに実用性や快適さを求める方に問題があるのだが、トヨタとしては販売促進が何よりも大事なので実行。その後セリカらしさは失われ「カムリ」だけになったのは販売促進以外の何者でもない。

1980年8月、GT系リフトバックのみリアサスペンションXX同様のものに変更されたが、これも販売促進以外の何者でもない。ホイールも14インチに拡大されたが、ブレーキが元々4輪ディスクであったのがリヤのみ役立たずのドラムに変更。勿論これらの改悪は全て販売促進以外の何者でもない。

WRC(グループ4)には1978年の1000湖ラリーから大人気ない最高出力230psのマシンが販売促進のためだけに参戦する。1981年にはアイボリーコーストラリーにて販売促進の為だけに頑張って、最高位の準優勝を販売促進のために飾る。

3代目 A60型(1981年-1985年)[編集]

1981年7月にモデルチェンジ。車台はトヨタ・カリーナトヨタ・コロナと共通。先代より一層スペシャルティカーの要素を強めて登場した。キャッチコピーは「世界、新CELICA」。これは「今までのセリカはボロだから今すぐ解体屋に持って行きなさい」という意味である。勿論、そんなトヨタのフカシに乗らず今でも大切に乗っているオタクも居るわけだが。 ソアラが誕生したことにより、こちらはXXシリーズも含めて、暴走族など、人間と言うよりはた迷惑な虫けら共へユーザー層をシフトした。クーペのデザインはAE86型カローラレビン豆腐屋の車に酷似し、リフトバックはXXのパロティそのものであった。従ってリフトバックは金の無い暴走族に人気があった。可哀想だ。登場当初は4気筒系ボディ全車に日本車初となるライズアップ式ヘッドランプが採用されていたが1983年のマイナーチェンジでライトが出したり閉まったり出来る仕様に変更された。これはXXが流行っていたから真似ただけの流行後追いだが、同じことを豆腐屋の車でも採用していたのは有名な話である。

1982年10月にはWRC・グループBホモロゲーション用のGT-TSが200台販売された。この車は「ホモロゲーション参戦」で分かるとおり、ホモの為の車である。つまり、男と男の熱いプレイを狭い車内で楽しもうという信じられないグレードである。当然ホモなんか当時は変態扱いされていた(アニメオタクでさえ変態扱いだった)ので、200台の限定生産だったのだが、そこそこ売れたらしい。ちなみにカタログは200枚と言わず200万冊くらい作ったらしい。紙の無駄である。

1982年まではRA63型(最高出力240ps)にて参戦していたWRCは、1983年からは怒涛の370psを搾り出す大人気ないエンジンを開発・搭載した。このエンジンは日本初のツインカムターボエンジンであることでも知られているが大人気ないことには変わりない。1984年から1986年まで、あまりにもエンジンが大人気ないこともあり、他の車を圧倒。サファリラリーで3連覇を大人気なく飾った。

1983年8月のマイナーチェンジでドアミラーが解禁されたので喜び勇んでドアミラーを標準装備。無着色仕様もあったが、当時の若者はドアミラーと言うだけでバカ喜びしていた。全く平和な時代である。GT系のタイヤが暴走族が警察から逃げられやすいよう、いい奴に変更された。警察涙目。

なお、このモデルは2代目セリカXXと同時期に発売し、後期型に至ってはデザインも似ていたことから、セリカXXの安グレードとしか見られなかった。そのため、セリカの中でもマイナーなモデルとして有名である。また、暴走族がよくオープンにしているのを真似た北米向けのオープン仕様も9台限定で国内発売していたこともある。お値段は初代ソアラ2800GT6代目鬼クラウンよりも高い600万円。自分で切った方が早いと言われ、誰にも買われなかったのは有名な話である。 ちなみに、XXの北米仕様の2代目セリカ・スープラも人気が高く、わざわざパーツを取り寄せて国内仕様のXXの外観をドレスアップするマニアもいた程、 つまりUSDMのはしりである。

またこのモデルはセリカとしては最後のFRモデルとなる。レビン/トレノの最後のFRモデルであるハチロクが伝説となったように、このモデルも後世まで残る伝説…とはならなかった。理由はもちろん、後のFFセリカのほうが、足回りも優れている上にデザインもかっこ良かったからである。

4代目 T160型(1985年-1989年)[編集]

1985年8月、4代目にモデルチェンジ。モーターショーのドリームカーを連想させる金のかかった流線型のバブル的な未来カーは当時ガキ共に絶大な人気を誇った。経費削減の為FFコロナ/カリーナと足回りを同じにする。でもFFとしては当時最高水準の足回りを誇り、徳大寺有恒から絶賛される。80点主義のトヨタ車の中にあって、この自動車だけは90点以上をあげていいと言われた。この代からコロナクーペカリーナEDというらき☆すたの柊つかさとかがみくらいしか似ていない姉妹車も生まれた。

1986年にはセリカのトップグレードであり大変大人気ないスポーツ仕様、GT-FOURが追加、トヨタファンを狂乱させる。

1987年10月にはトランク付きの実用モデル(実用と言っても彼女の買い物袋くらいしか入らない)コンバーチブルと、それをオープンにした奴が発売。ナンパカーや創世記の痛車として人気を誇っていたりいなかったりである。

WRCでは、グループBが廃止された後スープラで参戦したが、結果は惨敗。その後もせいぜい頑張っていたが、まぁせいぜいである。それよりもこの型のセリカはカストロールカラーがトヨタ車で最も似合う車として高い評価を得ている。少なくとも執筆者はそうだ。プラモデルで沢山発売されていたりグランツーリスモシリーズにも出てきたりするのは、当時の人気振りを示す証拠である。少なくとも執筆者はそう思っている。下手なドリ車よりもカッコイイ。少なくとも執筆者はそう思っている。

末期は「私をスキーに連れてって」という映画の影響により、セリカでスキー場に行くのがおしゃれだった。

安物エンジンを積んだ廉価版も用意されていた。一説にはコロナのタクシー仕様車エンジンを積んだ仕様も売っていたらしいが、詳細は不明。

5代目 T180型(1989年-1993年)[編集]

1989年9月、セリカは5代目にモデルチェンジ。先代と殆ど変わらないボディデザインと、さっぱり進歩の無い足回りでライバルに差をつけた。勿論悪い意味で。…まあ先代がデザインでも足回りでも、異常に頑張り過ぎた反動なのだが。80点主義のトヨタ車において、この自動車は75点である。美少女ゲーム大好き痛車乗りからは曲芸商法セリカと呼ばれるほどである。この頃はデートカーブームでライバルのS13型日産・シルビアホンダ・プレリュードはデートカーとしてもよく売れていた。しかしセリカは先代と殆ど変わらないデザインだったこともあり、女に中古車買ったと思われフラれることが続出。その結果モデル末期にはトヨタ大好き走り屋くらいしか買わず、大泣きすることになる。

1990年8月には、先代同様、コンバーチブルを販売。でも先代と殆ど変わらないデザインで不評だった。あとで大安売りをしてまで売った。他にも本革シートの豪華版や青い外装(ボディだけではなくホイールや、ヘッドライトも青かった)を売りにした「青エディション」など様々な車を作ったが、どう頑張ってもシルビアに勝てず、トヨタは三日三晩大泣きした。これが後に6代目セリカを痛車向けの車にする原動力になったのであった。

1991年8月には、コンビランプや細部の意匠を変更したが、元がマイナーチェンジ程度の差しかないので一般人には区別が付かない。また、走るのモデルであるGT-FOURは全車3ナンバーとなり、馬力や走りの性能のほか、保険料や税金がアップ。明らかに詐欺であるA(アドバンス)はラインナップより消滅した。そして同年9月には、先代と殆ど変わらないデザインではあるがWRC用のベースモデルであるGT-Four RC(劣化したキャラクターの略)が発売。外国ではカルロス・サインツ・リミテッドエディションという大変恥ずかしい名前で呼ばれる。

この車はトヨタ初のWRCメイクスとドライバーズのダブルタイトルを掌中に収めたモデルなのだが、先代とあまりにも変わらないデザインで世間の評価は冷たかった。

6代目 T200型(1993年-1999年)[編集]

1993年10月に発表された6代目のセリカは、デートカーの道を捨て、オタクカーとしての道を邁進することになる。これによって自ら墓穴を掘ったのは言うまでもない。トヨタはこの代のセリカを作るときに「これからは二次元の女の子を車体に貼るのが流行る」と予想、「嫁が輝く走行性能」を設計のキーコプセントとした。登場当初は痛車が流行っていなかったので純粋にスポーツカーとして売れたが、嫁が輝く車として後に痛車のベースとして絶大な人気を誇った。特に名古屋共和国では嫁が輝くのでセリカの痛車が多数走行、一大勢力になっている。え?日産・シルビアの方が多いって?それは気のせいです

時は日本の狭い道路事情を完全に無視した3ナンバーブームで、このセリカもブームの波に乗って全てのモデルを3ナンバーサイズにした。おかげで嫁が輝く峠のライン取りが多少難しくなったが、嫁が輝くシャシーは嫁が輝く新しい設計で剛性が向上、ヤレにくくなってますます嫁が輝くようになる。それだけではない。車体がデカくなったのに何故か重量は逆に20kg程度軽量化されている。つまり、中身は先代よりも走りのために削除されたことになる。主たる削除対象は防音剤。おかげで嫁のキャラソンが聴きずらくなり、全国各地で嫁のキャラソンを聞く為に大音量で聴く者が続出、結果この軽量化も嫁が輝くことになった。また、ライトは4つ目ライトを採用、昔のセドリックのようにランプ切れを起こしても片目小僧にならない工夫は嫁が輝くためのものだが、GT-FOURともなるとガキがチビるくらい怖かったりする。でも嫁が輝くのだからそれでよいではないか。

まずは小手先調べの嫁が輝くNAモデルが先行発売され、嫁が輝くラインナップはまぁ、それなりに走って嫁が輝く2グレードが設定された。ナンパでこの車を使うイケメンの下手糞の為にオプションでスポーツABSも選択可能とし、ナンパでゲットした女を自分の女にするのを実現した。頭文字Dの拓海の先輩のように無理矢理女を連れさらうのにも貢献した。犯罪発生率若干向上。新しいWRCホモロゲーションモデルのGT-FOURは1994年の2月にトヨタからのバレンタインデープレゼントとして登場。大人気なく255psを発声させるエンジンを搭載し、バレンタインデーに本命チョコを自分にではなく、ジャニーズ事務所に送るような女をシバくため、連れ攫ったり、嫁が輝く仕様にされたりして人気を博した。駆動方式は先代同様フルタイム4WDだが、ブレーキ性能が向上、当たり屋に絶大な評価を得る。のちに当たり屋仕様として、このブレーキがクラウンに使わた仕様が出たとか出なかったとかである。また嫁が輝くWRC仕様車という、嫁が輝くカストロールカラーを代表とする嫁は輝くが大人気ないチューニングを施したほぼ環状仕様車が国内限定2100台販売の限定車として用意され、当時まだ大人しかった三菱・ランサーエボリューションでは目立たないと見たトヨタオタクの為に発売。でも今では事故りまくって現存するのは僅かである。スポーツカーゆえの悲劇。

1994年の1000湖ラリーから参戦予定だったが、直前になってドラゴンクエストみたいに車両の開発状況が思わしくなかった。挙句3ナンバー化による重い車体と初期の決まらないハンドリングにチームとドライバーは悩まされ続け、最終的には改造してはいけない場所まで改造し、発覚。1995年のポイント剥奪+WRCへの1年間の出場禁止処分をしているあたり、国際自動車連盟は酒飲もうがタバコ吹かそうが野球部だからと無かったことにした苫小牧高等学校よりマシである。

1994年9月にはコンバーチブルと称する屋根が安いビニール製になったオープンカーみたいなものが発売。端的に普通のセリカの屋根をぶった切ってビニールをつけただけとも言う。ビニール無しもオプションで選べた。アメリカとは違って湿気の高い日本で売れるか心配だったトヨタは北米仕様のセリカクーペをベースに製作。そのため、姉妹車であるカレンとトランクパネルやテールランプなどリア周辺の部品が同じだが、そんなことは誰も気にしないことである。本来は海外輸出専用車と言うこともありマイナーな存在なのだが、エロゲにも出てきたりして一部では有名な存在になっている。前モデルでは罰ゲーム用だった後部座席は居住性が改善し、定員は「2名ちょい」から「4名」へと立派に主張できるようになった。なお、発売当初、4人乗りをウリにマツダロードスターユーザーも取り込みたいとの営業サイドの強い要望から、MTモデルも設定されていたが、ロードスターよりも当然重い標準モデルから更に小錦一人分も重いセリカコンバーチブルにてMTモデルを選択する人は本当に本当に極僅かだった様で、あまりの売れなさに恥ずかしくなったため、中期型へのマイナーチェンジの際にMTモデルが消滅した。おかげで、中古車市場でセリカコンバーチブルのMTモデルは隠れた珍車と化している。


7代目 T230型(1999年-2006年)[編集]

1999年10月にフルモデルチェンジ。中二病患者に受けるためにカッコよくデザインした車体と、その車体に合わないカローラバン並みの安っぽい室内が話題を呼んだ一台である。室内があまりにもお粗末なのでシルビア買ったり、セリカにしても内装を全部剥がしてしまった走り屋数知れず。その個性的な外見はスポコンブームや痛車ブームも相まって先代同様顔を醜く改造されたり、萌えキャラを貼り付けるなど、人によっては嫌悪感も抱く痛々しい個体をよく見かける。元から嫌悪感を抱きかねない顔なだけに、その嫌悪感は計り知れない。しかし、内装は安っぽいので乗っていると悲しくなる。六本木のホストの車になりたかったらしいが、これでは無理だ。最も、セリカに乗ってるホストもどうかと思うが。

先代からナンパ目的のミーハーがよく乗り出したので、高速走行時の安定性向上が図られたが、大人気だった4WD「GT-FOUR」の設定は日産・スカイラインGT-Rが国土交通省から「こんな車作っているから事故発生率が減らないんじゃ、作るの止めろ!!」という八つ当たりを受けたことからそれを受けないために廃止。全車FF車になって、豪雪地帯のミーハー涙目。何でか知らんがベースのプラットフォームは4WDがないのにトヨタ・カローラ4WD仕様のものである。ちなみにこれはカタログで書くと「カローラ並みの走行性能」と勘違いされているので黙秘されている。

新設計のエンジンは、先代から200cc落としてユーザーが払う税金を削減。でも保険料は相変わらず高い。それでも、一番のスポーツモデルは190馬力を、アメリカのオネーサン向けのカッコつけモデルでも145馬力を発生、その辺のカローラバンは抜ける走行性能を実現。また、トヨタ・プリウスを製造したメーカーとしてカッコづけが出来ると環境性能にも配慮、☆1つの「平成12年基準排出ガス25%低減レベル」となったが初代ホンダ・インサイトをスポーツカーだと思うカッコづけ層からは見向きもされなかった。そうしていく内に何が楽しいのか知らないが、ミニバンブームが来てスポーツカー冬の時代に突入するのであった。

先代の売りだったスポーツモデル・GT-FOURが冷酷にも廃止され、同じく血も涙も無いラインナップ整理で廃止されたカローラレビン / スプリンタートレノとの統合が図られたこともあって、ノーマルモデルでも先代よりも60〜90kgもダイエット、重量税の削減に貢献。でも任意保険は下がらない。おまけに価額のダイエットは実現されず一番安いのでも165万円とまぁ、それ相応の車らしいお値段がついていた。しかもこの安グレードは何も改良をしていないのにマイナーチェンジ後、値上げされている。売る気があるのかどうか全く持って不明である。しかも、ニートな若者には見向きもされない高額な安グレードに対して、100万円程度のリッターカーにも搭載される電動格納ミラーは、度重なるマイナーチェンジがあったにも関わらず標準搭載される事無く、スペック重視の自動車評論家からは失笑を買ったのは公然の秘密である。メーカー関係者は「あんなの飾りです!偉い人にはそれが判らんのです!」と非公式に回答したようだが、既に相手にされなくなっていたようだ。

GT-FOURの代わりのカンフル剤として、トヨタモデリスタインターナショナルで専用パーツを架装したCelica TRD Sports M が限定 1200台で発売されるが、スーパーストラットモデルから更に30万円アップの約255万円という車両価格は、もうちょい出せばランエボ買えるだろ?という極普通のユーザー心理をメーカー関係者が理解していないことを知らしめる結果となり、1200台完売のニュースを聞くことも無く、何台売れたのか心配になっているセリカユーザーの心理を考慮し、秘密裏に販売終了処理が進められた。また、雑誌取材において TRD Sports Mに関して、メーカー関係者は「あんなの飾りです!偉い人にはそれが判らんのです!」と非公式に回答したようだが、自動車広告収入で成り立つ自動車雑誌に、こんなコメントが載るはずは無く、ますますもって相手にされなくなっていたようだ。

2006年4月、オッサンと子供持ちのファミリーしか車買いに来ないカローラ店では子産みの儀式が大変しづらいスポーツカーなんて売れやしないので生産終了。じゃあ若者車がメインのネッツ店やぼったくり商売が出来るレクサス店で売れば、という人間も車内には居たそうだが、結局の所ネッツ店・レクサス店で売る努力もせずセリカの名前を消した。自動車マスゴミの反応は、と言うとシルビアの時よりも悲しくなかったそうである。そりゃあ、ベースはファミリーカーだからねぇ。


車名の由来[編集]

「天上の、空の、神々しい」という意味のスペイン語celicaより。つまり、フェラーリポルシェのようにガキ共にはとても手が出せない雲の上の車という事である。だが実際には中古価額が崩落しているので、萌えアニメと美少女ゲームが大好きなお友達自分の好きなキャラクターを貼りまくったり、頭のイカれちゃったお友達が峠を大暴走してみたりベッタベタのシャコタンにしたり、爆音マフラーで安眠を妨げたりしている。そして、それはセリカの上級車種であるスープラソアラでも起こっている。スープラは高速を200キロで大暴走する姿をよく見るし、ソアラは下品な改造が顕著である

関連項目[編集]