トロッコ (芥川龍之介)

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トロッコ』は、少年時代に壮絶な体験をした良平(仮名)という男の話を、作家芥川龍之介が小説として発表したものである。

良平の話[編集]

スポイラー
スポイラー

警告:以下の文章にはネタバレ、いわゆるスポイラーが含まれています。これにより記事はより空気力学的に洗練され、その結果としてより高速で疾走できるようになります。

もしあなたが、アルバス・ダンブルドアセブルス・スネイプに殺害されることや、先生はとても長い遺書を残して自殺することや、キャサリン・リントンは最終的にはヘアトン・アーンショーと恋に落ちることや、葉蔵はヨシ子が襲われている所を見て逃げ出してしまうことや、モルグ街事件の犯人はオランウータンだったことや、アンサイクロペディアウィキペディアのパロディであることを知らないのであれば、充分注意して、初版本を手放さないようにしてください。

私が魅力を感じた始めての乗り物、それはトロッコで、私は8才でした。

それがを滑り降りる様はまさに夢のようで、こんな素晴らしいものに土工と一緒に乗れたら、いや、押すことさえできたら、きっとすごく楽しいに違いないと感じました。

そして、2月の初旬の夕方、私は二人の仲間とともにこっそりトロッコに乗って滑ろうと試みました。その試みが成功しかけ、「さあ、もう一度押すジャー」とハイになっておりましたら、猟銃と日本刀を持ち、頭に蝋燭を立てた男が、「この野郎!誰に断わってトロに触った?」といきなり怒鳴りつけたのです。私はトロに触っていません。おしゃべりしてさえいないのです。しかし、あまりの恐怖に何も言えませんでした。は私たちの目の前で30人あまりの人間を次々と殺害し、奇声を発しながら山の中に消えたのでした。

私がトロッコを堂々と触ることができたのは、それから十日ほど後でした。私がいつものように干過ぎの工事場に佇んでおりますと、枕木を積んだトロッコを押す2人のが目に留まりました。2人になんとなく親しみ易さを感じていましたら、その中の1人―つなぎを着たいい男に声をかけられました。

「おまえも、やらないか

私は、喜んで2人の間にはいると、力いっぱい押し始めました。

「君はなかなか力があるな。」 ほかの1人―男に興味がある以外ごく一般的な予備校生風の男も、こう私を誉めてくれました。もう、張り切るしかありません。

「テーテレッテーテーテレー テーテレッテーテーテテーテーテー」私は有頂天でトロッコを押し続け、かなり遠くまで来てしまったことに気づきませんでした。2人の男に遅くなったから帰るように言われて、一人暗い坂道を無我夢中で駆けました。「マエハタがんばれ、マエハタがんばれ」などと声をかけられましたが、私は無言のまま、雑貨屋だの床屋だのの前を走り過ぎました。

やっとのことでうちの門口へ駆けこんだとき、私はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられませんでした。父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れきってしまって走れません。何卒お許し下さい・・・。私は家族や近所の人に囲まれて、いくら泣き続けても足りない気もちに迫られながら泣き続けました。こうして、私の初体験は、くそみそな結果に終わったのでした。

今では、私は妻子持ち。時折思い出すのはもちろんそのときの自分。なぜなら、これもまた、特別な思い出だからです。

芥川龍之介氏によるコメント [編集]

芥川龍之介氏。ペットのカッパ君と一緒に。

以上は、ある精神病院の患者となった彼が、誰にでもしゃべる話である。彼は話の最後に、身を起こすが早いか、たちまち拳骨を振り回しながら、誰にでもこう怒鳴りつけるのだ。―「出て行け、邪魔だ! あっ、きた、来た来た、おーい! ほっちゃーん! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!

そんな彼の話を寸分も違えず書き写していると、こっちまで頭がおかしくなりそうであった。[1]1922年、『トロッコ』あとがきより)

後世に与えた影響・評価[編集]

この小説が発表される以前から、いい男とその仲間達キ印共和国の住人達の存在はある程度知られており、どの分野においてもそれほど大きな影響は無かった。しかもこの作品には、彼の得意とする人間の心理の醜悪な部分をえぐり出すような効果が見られなかったため、発表した当時の評価は大変低かった。しかし近年、『トロッコ』の意義は、芥川龍之介の作品だと意気込んで読んだ小中学生が、「えっ、これだけ?」と拍子抜けするところにあるのではないか、という意見もあり、全く評価されていないこともない。

『河童の国』における評価[編集]

精神を病みつつ完成させた本作の人間の世界での評価に落胆した芥川氏は、自宅に引き篭もるようになった。薄暗い部屋の隅で河童落書きをするだけの日々が続いていたが、ある日ふと思いついて本作を河童語に訳して出版したところ、『河童の国』では大変高く評価され、『金河童賞』を受賞した上、10万部を超える大ベストセラーとなった。そして、ただ一人本作を批判していた詩人のトック氏は、本作のファンからの強い反発に耐え切れずピストル自殺した。のてっぺんに穴が開き、観葉植物の鉢に顔を突っ込んだその死に様は散々笑いものにされたという。[2]

注釈[編集]

  1. ^ この体験が元で芥川は精神を病み、後の1927年に「ぼんやりとした不安」を理由にエクストリーム・自殺。机上には遺書と読みかけの泉鏡花全集が置かれていた。その泉鏡花は弔辞で「素晴らしい才能を持った貴方よ。この蒸し暑い中に、冷たくも独りで逝ってしまわれたのですね。(意訳)」と述べた。正確にはこの後「私の小説、全部読んでくれなかったのね。ひどいっ!」とも言ったが、誰も気にしなかった
  2. ^ 『河童の国』はいまだ発見されておらず、上記の評価は晩年芥川氏が一部のマスコミに得意げに語ったものである。なぜ芥川氏だけが『河童の国』に行くことができたのかは現在も議論されているが、結論が出ることはないと思われる。

関連項目[編集]

Wikipedia
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