ドクター中松

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ドクター中松(どくたー なかまつ、本名: 中松義郎1928年6月26日 - )は、工学法学医学理学人文学博士号を持つ、日本を代表する、あるいは世界屈指の天才発明家である。

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この記事「ドクター中松」は何故か「中松義郎」とネタや題材がダブっています。どちらが真実なのかは神のみぞ知ります。

人物[編集]

発明家として多数の特許を取得しており、その件数はあのトーマス・エジソンすら上回る(3,000件以上)。発明家という人種は偏屈で人嫌いという印象があるが、彼はテレビに多く出演しているため、知名度は極めて高く、発明家の地位向上に貢献した。2006年平成18年)に行われたインターネット世論調査では、「この人のおかげで今がある」とされる発明家として、第1位となったトーマス・エジソンに次ぐ2位となった[1]

1989年(平成元年)には「ニューズウィークの選出した『世界12傑』に選ばれ、価値が1時間1万ドルと評価された」。

これまでに数々の受賞歴があり、アメリカ合衆国の11の州で名誉市民となっているほか、「ドクター中松デー」という記念日が制定されている例もあり、日本人としては他に例が無い。さらに、国際発明協会の世界発明コンテストに11年連続でグランプリ受賞したとしているという前人未到・空前絶後の記録を達成した。

中松は野球などのスポーツにも造詣が深く、1990年には日本人として初めてメジャーリーグ球団ピッツバーグ・パイレーツの始球式を行っている。

平和活動への貢献でも有名であり、1993年(平成5年)、マハトマ・ガンディー民衆福祉財団よりマハトマ・ガンディー世界平和賞が贈られている。同賞の受賞者は日本人では笹川良一(1987年)、池田大作(1995年)、福永法源(1995年)を併せ計4人。

2005年(平成17年)には本家ノーベル賞と同様かそれ以上の権威と栄誉がある賞、IGノーベル賞を受賞している。

右翼ネットウヨ愛国者としても知られ、本人の歌唱による「君が代」のCDも発売されている。

発明[編集]

これまでの発明件数は3,000件以上であり、エジソンの1,093件を上回るぶっちぎりの世界一である[2]

なお、1980年から1993年にかけては「発明件数2,360件」と主張していたが、「発明件数が10年以上も全く変化していない」と指摘を受けた。もちろんこれは中松の謙虚さの証明であり、自分の記録をいちいち数えあげて公表する事に無頓着だった事による。仕方なく中松はこの10年間の発明を再度数え上げ、「3,000件以上」と訂正して発表した。

発明品[編集]

家庭で一般的に使われていた灯油ポンプ、ベストセラー商品となった「頭に良い~」シリーズ。フライングシューズ(ピョンピョンシューズ)。ラブジェットなど、数多くの発明がある。

特に最近着目されているのは、宇宙エネルギーにより動作するドクター中松エンジンであり、菅直人総理大臣が脱原発を主張する中、代替エネルギーの切り札となると期待されている。もっとも中松は原子力を否定する立場ではなく、むしろ原子力除雪装置という画期的除雪機も発明している。また、電力不足によって電気自動車の導入が頓挫する中で、中松の発明したハイドロジェン・オン・デマンド(水素燃料による自動車用エンジン)の技術が注目を集めている。

フロッピーディスク[編集]

中松の発明で特に有名なものは、フロッピーディスクであろう。フロッピーディスクはアラン・シュガートが率いるIBM社の開発チームが1970年(昭和45年)に開発し、1971年(昭和46年)より商品化されているが、実はそれ以前に中松により発明されていた技術であった。その事実を知ったIBMは驚き、1979年(昭和54年)2月に日本に特別機を飛ばして幹部を急行させ、中松と「非独占的特許使用契約」を結んだ。それにより現在に至るも、ドクター中松がフロッピーディスクの発明者として広く認定されている。世界的大企業の開発チームの研究よりも先行していた中松の発明家としての能力には驚くしかないが、その事実を謙虚に認め、中松から特許を買い取ったIBMの企業倫理も賞賛に値すると言わざるを得ない。

結果、フロッピーディスクの特許により、中松は数兆円とも言われる巨額の収入を得る事になる。

頻繁な立候補[編集]

中松はフロッピーディスクで得た収入を私する事なく、惜しげも無く社会のために還元した。平和活動に貢献しているのは上述の通りである。

そして日本を変えるべく、たびたび選挙に立候補する。初めは1991年東京都知事選挙に無所属で立候補、“21世紀の地球都市を発明する”の基本政策を掲げ、自作のジャンピングシューズ(ピョンピョンシューズ又はフライングシューズ)を履いたパフォーマンスを行った。選挙公約は、「財政赤字を解決する発明」「行政改革を解決する発明」などであり、あらゆる問題の解決発明は既に用意しているとした。翌1992年(平成4年)の参院選、2007年(平成19年)の都知事選の政見放送や街頭演説では当選の暁にはICBMを発射してきた国にUターンさせる発明「ドクター中松ディフェンス(DND)」で日本を守るとした。そして最近では、2011年(平成23年)の東京都知事選にも無所属で立候補。しかしいずれも落選した。

暗転[編集]

だが、選挙で落選を繰り返した事を除けば順風満帆だった中松の人生にも、転機が訪れる事となる。それはフラッシュメモリーの発明である[3]

フロッピーディスクはコンピューターの外部記憶装置として広く普及し、HDD、MO、CD-ROMなどの代替装置が登場してもなお、その地位は揺るぎないものであった。しかし2000年頃より登場したフラッシュメモリー(USBメモリー、SDカードなど)がその地位をおびやかす事となる。当初はデジカメなどの一部の使用に限られたものの、やがてコンピューターの外部記録装置としてフロッピーディスクに完全に取って代わる事となった。

これにより、中松の特許料収入はほぼゼロとなり、収入の道が断たれる事となった。中松は今までの収入のほとんどを社会貢献のために費やしており、個人資産はほぼ皆無であった。

そのため、中松は日々の食事にも欠く有様となり、飢えに苦しむ事となった。しかし中松は「武士は食わねど高楊枝」の態度を貫き、「人間は一日三食も食べると頭が悪くなる。自分はは一日一回しか食事をしない」と語ったという。

そんな中松に救いの手を差し伸べたのは大川隆法であった。2009年(平成21年)7月、宗教法人「幸福の科学」を母体とする政党幸福実現党に招聘されて同党特別代表に就任し、2011年(平成23年)2月28日の退任まで務めた。中松は「幸福の科学」の会員ではないとされるが、幸福の科学から金をもらって生活する立場である事は間違いが無い事実である[要出典]。そのような状況にまで零落した天才発明家の悲劇に、我々は涙するしかないのである。

脚注[編集]

  1. ^ 中松は数千票を獲得、3位はグラハム・ベル、4位ライト兄弟、5位レオナルド・ダ・ヴィンチ、6位アルバート・アインシュタインであった
  2. ^ ギネス世界記録では工学博士の山崎舜平が2004年に3,245件の特許を取得したとして世界一に認定(2011年には6,314件で再認定)されているが、部下の発明を横取りしたという疑惑があり、正当なものであるかは疑問がある。
  3. ^ 発明者とされるのは、部下の発明を奪ったとて悪名が高い、あの山崎舜平である。