ナイジェル・マンセル

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ナイジェル・マンセルNigel Ernest James Mansell OBE, 1953年8月8日 - )とは、英国製のミサイルである。ほかのミサイルが空力のために方錐形や人型などをしているのに対し、燃費効率アップのためと燃料タンク大型化のためにダルマ型とし、さらにひげ状のウィングを装着してスピードアップを図ったモデルだが、結局使い物にならなかった。

生い立ち[編集]

イギリスで1980年に製作され、テスト期間として4年間ロータスに入れて様子を見る事となった。しかし精彩を欠き、あまりの遅さにうんざりしたチームに「あなたはくびです」と言い渡され、追い出される。彼はショックで15日間寝込んだ。

ウィリアムズ時代[編集]

1985年、ウィリアムズに移籍。最終戦で優勝できたが、特に目立った結果は残せず。翌年は、ホンダの「チャンピオンになったら棒つきキャンデーをあげよう」という誘惑に釣られて一念発起。チームメイトのピケさえも押しのけてチャンピオンを取ろうとした結果、ピケのイライラが我慢レベルをオーバーし、最終戦で刃物を持ったピケが「しゅえぇぇぇぇい!このこのこのおぉぉぉぉ!!ぴーぴー!!ぴー!!!」と叫びながら切りかかってくる恐怖体験を見せられ、さらに殺されかけたが、運良くタイヤバーストですんだ。しかしチャンピオンは取り逃がし、ホンダに「棒つきキャンデーがほすぃ~」と泣きつくシーンも見られた。

1987年、「今度こそ棒つきキャンデーを手に入れる」というスローガンのもとチャンピオンシップに挑む。が、逆転をかけた日本GPでプログラムがハングしてしまい、最終戦まで欠場するはめになる。その年のシーズン終了後に、またしてもホンダに「棒つきキャンデーほすぃ~」と駄々をこねたため、あきれたホンダは棒つきキャンデーどころかエンジンを引き上げてしまった(のちに、棒つきキャンデーと共にアイルトン・セナの手に渡っていたことが判明)。   

1988年、エンジンと棒つき飴を取り上げられた彼は前年とは打って変わって大苦戦(ヒゲ型ウィングを外してしまったことが原因)。また、本体が水に浸かってしまって故障してしまい、2戦を欠場。ピットで毎日のようにF1苦労音頭を「ハァ~」と唄っていた。

フェラーリ時代[編集]

1989年、フェラーリに移籍。初戦で優勝するが、一方で第13戦で失格になったにもかかわらずそれを示す黒旗を無視して暴走するなど、お天気屋的な性格の持ち主である事が判明した。結局2年で放出される。

再びウィリアムズ時代・失踪[編集]

1991年。何を思ったかマンセルは古巣ウィリアムズに里帰りした。しかし開幕から3戦連続リタイアを喫し、続く第5戦では順風満帆でトップを走行していたところいきなりマシンのメインスイッチを切ってしまい、首脳陣に「このまま年俸アップを拒み続けるなら最終戦まで同じことをする」と脅しつけたりと、邪魔者扱いされるようになってきた。しかし翌年にチャンピオンになってしまい、彼を冷遇した首脳陣はメンツを捨てて謝ったが時すでに遅し。彼は自分探しの旅に出てしまい、いまだに発見されていない。 94年にウィリアムズ、95年にマクラーレンで目撃したという話があるが、本人は「人違いです」と言っていたらしい。