ナット・キング・コール

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「ナッキンコール」
ナット・キング・コール について、内田裕也

ナット・キング・コール(Nut King Cole、1919年 - 1965年)は、アメリカジャズピアニストであったが、細菌に侵されてやむなく歌手に転向した。

生涯[編集]

のちにナット・キング・コールと呼ばれることになるナサニエル・アダムズ・コールズ(Nathaniel Adams Coles)は1919年にアラバマ州モンゴメリーに生まれた。シャイで悲しげな眼をしていたが、とても賢い少年だった。父親はバプティスト系の牧師で、母親は教会のオルガン奏者だった。いつの日か息子の弾く讃美歌が自分たちの教会に鳴り響くことを夢見て、両親はナサニエルを熱心に教育した。しかしやがて一家がシカゴ近郊へ移ると、ナサニエルは親の目を盗んでクラブに行くようになった。両親が気付いたときにはどっぷりジャズに浸かっており、手の施しようがなかった。

こうして親の期待に背いて10代でジャズピアニストとしてのキャリアをスタートさせたナサニエルだが、彼の目ははるか遠くを見据えていた。1930年代にしてすでにロックンロールの時代の到来を予期し、ルート66をオープンカーでぶっ飛ばす野望を抱いていたのだ。そこで、オーケストラみたいなジャズが主流であったにもかかわらず、悪魔に魅入られた天才ギタリストのオスカー・ムーアと、どっかから拾ってきたベーシストとともに、トリオバンドを結成したのである。3人の中で一番ナッツが大きかったので、ナサニエルは「ナット」と改称し、バンド名を「ナット・コール・トリオ」とした。確かなテクニックとしゃれたアレンジでこのバンドは大変な人気を博し、自分たちのラジオ番組をもつまでになった。ジャズピアニストとして頂点を極めたかに思われたその時、ナットを悲劇が襲った。

枯草菌に侵されたのである。イヴ・モンタンビング・クロスビーも感染したこの細菌は、いちど付くと枯葉についてのしみったれた歌を歌わざるを得なくなり、感染者自身もじわじわと枯らしていく恐ろしいものであったが、ナット・コールを苦しめたのはその中でも最もたちの悪い納豆菌であった。これにより、ナットがどれほど軽いタッチで弾こうともピアノに糸が引くようになり、あちこちのクラブから敬遠されるようになった。そしてナットはやむなくピアニストとしての活動を断念し、歌手に転向した。このようにして「ナット・キング・コール」が生まれた。

彼の甘くロマンティックな歌声は広く愛されたが、一方でネトネトして鼻につくという評価もあった。ナットは臭いを消すためにメンソールの煙草を一日最低3箱吸う生活をしており、このことが彼の寿命をさらに縮めたのではないかという話もある。

他にも彼の苦労は絶えなかった。白人の作曲したポップスも数多く歌った彼は、黒人にもかかわらず白人ばかりが集う場所で何度もステージに立たされ、国民的歌手のような扱いを受けるようになった。それでもしかしたら大丈夫かと思ってLAの白人居住区に新居を構えたところ、即座にKKKの襲撃を受けた。家は火のついた十字架に取り囲まれ、彼はその時、いままで自分は黒人ではなく、納豆のコスプレをした白人であるとみなされていたことに気づいた。アホな白人どもは納豆が火に強いことまでは知らなかった。ナットはジャズ界に戻ることを決めた。

しかし、それまで観客が白人オンリーのコンサートに数多く出ていたために、ナットは同胞であるはずの黒人たちからも「悪魔に魂を売った」などと手厳しく批判された。ただ、もともとのスタート地点だった教会音楽から見ればジャズも悪魔の音楽には違いなかった。ナットが1956年に発表したアルバム『After Midnight』の第一曲目にはこんな歌詞がついている。

Oh, gee! おいおい!

What are your charms for? 君の魅力はなんのためにあるんだ?

What are my arms for? ぼくの両手はなんのためにあるんだ?

Use your imagination! 想像力を使えよ!


ナットは偏見に陥ることなく白人も黒人もしっかりとハグし、両者の間に断ちがたい橋をかけた。最後に録音した曲は『L-O-V-E』で、1964年に西の各言語で歌った。ちなみに日本語の発音はきれいだ。ジョン・レノンが野暮なことをするまでもなかったのである。

関連項目[編集]