ニコラ・サルコジ
ニコラ·サルコジ(仏 : Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa、英 : Nicolas Sarkozy、1955年1月28日 - )とは、フランスの前大統領、及び雀の涙国家の共同大公の政治家。不良が許せない厳格なお父さんキャラで、下級市民に度々言葉の雷を落としている。
経歴[編集]
生まれ[編集]
サルコジはハンガリーのアラッチャーン(Alattyán)にいたハンガリー系ユダヤ人貴族の父ポール・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ(ハンガリー語:ナジボーチャイ・シャールケジ・パール(nagybócsai Sárközy Pál) 1928年5月5日 - )とギリシア系ユダヤ人の母·アンドレ・マラー(1925年10月12日 - )との間にパリに生まれる[1]。5歳の頃に父が浮気して家族を見捨てたため、母は父と離婚し、母と2人の兄たちとともに貧しい生活を送る。口がキツイのは人格形成される時期に家庭環境がキツキツだったからだと思われる。母さんは家計がキツイと勉強したらあっさり弁護士になり、兄は社長で弟は生物学者と兄弟も後にエリート化しているが、ニコラは中一の時に英語の成績が悪く留年してしまっている。しかし、この事が自国の言語を尊ぶフランスの人に「他国の言語に興味を持たない、フランスの政治家にふさわしい人物」と捉えられ、結果オーライとなっている。
フランスの暴言王が頭角を表してきたぞ![編集]
その後キツイ性格のまますくすくと育ったサルコジは、大学在学中にジャック·シラク(フランスの前大統領)が結成した保守政党・共和国連合に入党し、市議会議員に最下位当選という自身の口の悪さ並みのギリギリ加減を市民に見せ付ける。その後いろいろと偉そうなポジションに付くと、大学卒業後にパリ政治学院入るが、ここでもまた自国言語愛が故に修了できなかった。 その後母さんに見習い弁護士資格を取得したサルコジは、法律事務所を開設。政治に入るならまず法律を極めなさいという未来からの来た日本の政治家二人からの教えの元に地道に仕事をこなし、28歳でヌヌイ市の市長に当選する。その血気盛んな若者すら圧倒する強烈な口撃で、犯罪者予備軍にいかに犯罪者がいかにゴミであるかを言って聞かせ、犯罪の減少に成功する。
1988年に国民議会議員に当選、1993年に予算相として内閣に入閣した年、彼の人生で最も輝かしい活躍を見せる事件が起きた。ヌヌイ市の幼稚園で立てこもり事件が発生、犯人との直接対話で反論の隙を与えぬ罵倒という名の弾幕を浴びせ、犯人はゲシュタルト崩壊。人質を解放して全国的に有名になる。罵倒は子供を救うが自身は救わず、シラク派から離反して冷遇されて、返り咲いた後選挙で惨敗。「もうやってられるか! フランスの国民salopards(ド畜生)!!」と再び弁護士にジョブチェンジした。
しかし2002年、フランス内務省として返り咲く。再び世間を罵倒しに戻ったサルコジは、治安回復を目指して『サルコジが考える軽犯罪者、風俗嬢、風俗坊、ホームレス、群れる若者という有害なゴミをこの世から掃除しよう法』略してサルコジ法を施行。違反者の罰則強化により、フランスの犯罪件数は激減した。時が進んで財務相になり、ド·ビルパンの内閣の内相に就任したり、2005年のパリ郊外暴動が発生したら持ち前の口撃で社会のクズであるゴロツキを罵倒して世間の爺さん婆さんからの支持を集めたりして、ついに大統領選挙に立候補する。
例え口や豪遊に問題があっても、実力があれば許される[編集]
2007年、ついに念願の大統領となったサルコジは、大統領の力を持てる限り自分のために使って、地中海に自家用ジェット機と高級ヨットを乗り回すと今度は周りから罵倒される。このどっからどう考えても問題ある豪遊に「何が問題か! 私は逃げも隠れも謝りもしない。例え私が他人を批判しても、私への批判は一切認めない!!」と自身が影響を受けたアメリカ合衆国の基本方針をあらわにした。若者はブチキレて、哲学者のアランからは「こんなにも国家が不安で激しく揺れている。まるで大人の玩具のようだ!」と下ネタにされている。
しかし旧植民地の人間や黒人女性を重要なポストに、更にはなんと野党である社会党出身である者を大臣に任命するなど画期的な人事は評価が高い。白人の人権しか保障しなかったフランスに第二の革命を起こしたとして、国民からの支持率は高い。フランス版小泉純一郎などと言われてはいるが、日本で純ちゃんの負の遺産が爆裂して政権交代しちゃったことを考えれば不安以外の何者でもない。
その後は減税したり、給料を二倍に上げようとしたりしている中サラリーマンの兄弟死亡事件が発生。金融危機の直撃ダメージを回復すべく、早速国外でも「ドルはもはや基軸通貨ではない」と暴言を吐いている。頑張れサルコジ大統領! フランスの未来は貴方の肩に! ただし横領は控え目に!
外交[編集]
当初はユダヤ系としてアメリカのことを応援していて、シラク爺さんの後釜であるドさんと仲が悪かった。しかし2008年頃に南オセチア紛争でのアメリカ政府とアメリカ軍のアホリカっぷりに気付いてしまい、アラブの暴れん坊・カダフィ大佐とコンビを組んで、金融危機問題を槍玉にとり、鬼の首を取ったかのようにアメリカ政府と壮絶なビーフを繰り広げていたが……その自分をも越える暴言力を恐れたのか、2011年に反体制派をけし掛けてカダフィを抹殺する。ちゃっかり反体制派から石油を貰う事を約束させて、ギリシャの無能共とは格が違うことを見せ付ける。
また究極の日本嫌いでも有名で、陰気な日本よりも香港のほうが居心地が良いと発言している。また髪をポニーテールで結んだ肉付きの良い男たちが裸同然の格好で互いの胸や腹を触りあう日本が誇る文化のHENTAIスポーツについては、極めてゲイ的である、インテリでないとの理由で嫌っている。でもそれはそれ、これはこれ。国際連合で日本の常任理事国に賛成している。フランスのオタク達がそんなに怖いか?
他には中国に「投資して欲しいならさっさと民主化しやがれこの野郎!」、同胞のイスラエルにさえも「さっさと停戦しやがれ、アメリカの腰巾着そのX」と主張している。また地中海連合なども構想しているが、あまりにも広範囲過ぎて多分まとまることはない。
人物[編集]
身体的特徴としては167cmというフランス人にしては小柄なナポレオンすら下回る身長で、チビナポレと言われるのが嫌なのでいつも厚底の靴を履いている(←これ本当)。しつこいようだが英語が下手で、シラク爺さんから離反したのは爺さんの英語力に嫉妬したからだという説もない。嫌いな物は酒もタバコという堅物で、好物はチョコレート。2月14日に日本に来ようものなら、自称メスブタの女性達からチョコレートの雨が降り注ぐ事間違いなしだ。ホワイトデーはもちろん罵倒メッセージの刻んであるクッキーを振りまいてくれるだろう。移民関係の発言から、日本人と同じ外国人恐怖症ということがわかる。
モットーは「もっと働き、もっと稼ごう」で、フランス国民はストライキをやめてくれという切実なメッセージが伝わってくる。
尊敬する人物はブッシュのプードルことトニー·ブレアさん、THE・イタリアことシルヴィオ·ベルルスコーニ君。特にシルヴィオ君を尊敬しており、大統領に当選した時に電話したり、彼から奥さんを貰ったりと大の仲良し。また彼をお手本にすることも多く、治安維持のコツを習ったり、「不倫はイタリア人男性政治家の特権」という教えを実行したらしっちゃかめっちゃかな目に遭ったりしている。
私生活では2番目に結婚した奥さんとお互い家族がいるにも関わらず不倫愛を貫き結婚というシルヴィオさんも冷や汗の離れ業をやってのける。しかし二番目の奥さんがただの不倫好きだったので、すぐに実業家と駆け落ちした。ドンちゃんに「妻を魅了できないで国民を魅了できるのか」といじられる。その後一度は復縁するものの、「お前は失せろ。この野郎」と結局逃げられて仕方ないから三番目の奥さんと結婚した。って、こいつベルルスコーニよりモテるんじゃないか?
2012年5月の大統領選で、フランソワ・オランドと対戦して大敗した。
関連項目[編集]
注釈[編集]
![]() 本項は記念すべき第1回ノー削除デーに作成されました。
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