ハインリヒ・ハイネ

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ハインリヒ・ハイネドイツの文学的デマゴーク。「詩を政治化した」という指摘がある。あまり知られていないが、「古いドイツの死に装束を織ってやる」などのデスメタルさながらの詩を多数残しているらしい(新潮文庫『ハイネ詩集』あとがき参照)。そういう作品をまとめて翻訳して出版したら絶対売れると思うのだが、なぜか出回っていない(どこか前衛的な出版社はないものか)。

目次

[編集] ドイツロマン主義を体現する人生

ドイツロマン主義はロマンにおぼれて現実を見失う傾向があると言われる。ハイネの詩には水面に魅せられて船から落ちそうになる話が出てくるが、彼の人生は正にその通りだった。ユダヤ系の家に生まれたが商才がなく、仕事にはことごとく失敗。「ハリー」とかカッコいい名前だったのに、何が気に入らなかったのか「ハインリヒ」へいうへんてこな名前にと改名(「ッヒ」とすればドイツ人らしくなると思ったのだろうか)。ドイツを去ってフランスに行き、その地で死んでしまった(一説によれば、大量の武器弾薬を収集、自宅便所の棚の上にトイレットペーパーと混ぜて隠していた。それを知らなかった春画家の友人トイレタバコを吸ったときに同じ棚にパイプを置いてしまった。トイレットペーパーに引火し、煙を不審に思って様子を見に行ったハイネがドアを開けた瞬間に爆発。ハイネはその場で華々しく爆死した)。フランスかぶれだったらしく、ナポレオンを賛美している(「擲弾兵」の詩。単に時代を変えた革新的人物として憧れていたのか。「ゾンビになって墓からよみがえり、ナポレオンに仕える」と言わせているあたりにハイネ自身の怨念が読み取れる)。

[編集] 『ドイツ古典哲学の本質』

ドイツ観念論の本質を『革命志向』と喝破した哲学案内の書。当時のドイツは閉塞状態にあったが、迂闊に不満を漏らせば危険分子として排除される危険があった(実際に哲学者フィヒテは迫害を受けた)。そのためにあえて「難解」に語ることで本質をぼかして世の中の現状を批判したのだと読み解く。「カントの首を切り落とした」と誇らしげに語っている辺り、相当なフラストレーションを溜め込んでいた模様。好き勝手なことを書くためには異国へ亡命する必要があったのだろう。

[編集] 『精霊物語』など

ハイネは自国ドイツを逃れてフランスに客死した。しかし愛着はあったらしく、民俗学的な著作を残した。その代表格が『精霊物語』や『流浪の神々』である(岩波文庫から二つを合わせた訳が出ている)。『流浪の神々』では隠遁したゼウス(ギリシャ神話の主神)がヤギの乳房に吸い付いて飢えをしのぐようなつつましい生活を送っている、という目撃情報が掲載されている(性的な意味で)。

[編集] 参考:ドイツロマン主義の斜陽

ドイツロマン主義の始祖の一人であるゲーテの「もっと光を」という最期の言葉は有名だ。だがそれは良き死だったろう。しかし時代が下ってハイネたちの頃になると、もはやそんな穏やかな終焉は許されなかった。異国に客死せざるを得なかったハイネの他にも悲惨な実例がある。『水晶』で穏健な良識派として知られるシュティフターのことである。シュティフターは養子を自殺で失い、晩年には病苦に耐え切れず看護人の目を盗んで剃刀で自殺している。そして同じような事態が哲学方面でも起こっていた。ドイツ観念論の租たるカントは尊厳に満ちた死を迎えた典型だった。しかしそれを受け継いだフィヒテは病妻(ボランティアで病人看護をやっていた)の看護に当たったのが仇となってチフスで落命した。まさに末世である。さらに後の時代になると、ドイツロマン主義そのものが変性し、ナチズムという形で暴発してしまったのだから悲惨である。

[編集] 誤解

日本では、四季の歌の「愛を語るハイネのような 僕の恋人」という歌詞から、ハイネが女性であると誤解している人も多い。また、男性と知っていても、「ドイツロマン主義の詩人」という肩書きから、色恋に関するほわほわしたポエムを作っていた優男というイメージがある。しかし、実際は上記のようにマッチョ指向なおっちゃんである。