ハリエット・テイラー・ミル

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ハリエット・テイラー・ミル(Harriet Taylor Mill、1807-1858)は、思想家ジョン・スチュアート・ミルをつくり上げたとも、腑抜けにした女とも言われる。つまりは彼が心底愛した女である。

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ハリエット以前[編集]

彼女の功績を述べるためには、まずジョン・スチュアート・ミル(1806-73)の生い立ちから説明すべきだろう。 J.S.ミルの父親ジェームズは学者で、功利主義の創始者ジェレミ・ベンサムの友人であり、信奉者だった。そして息子をベンサムの後継者にしようと、3才からスパルタ教育を行った結果、ギリシャ語ラテン語の読み書きを完ぺきにこなし、当時の論理学に関するあらゆる文献に通じ、かつ友達が一人もいないという世にもかわいそうな子供が出来上がった。天才少年J.S.ミルは、父親の目を盗んでイソップ童話やローマ英雄伝やフランスのたのしい小説を読みふけった。それが彼にできる唯一の抵抗だった。

おとぎ話を読む方が実は好きだということを隠しながら、功利主義者としていくつかの論文を書いたものの、やはりどうしても納得できなかった。ベンサムは無神論者で、計量可能なレベルの単純な快楽を重視していたが、そんなやつの目指す世界が達成されたとして、自分がその中で幸せになれるとは思えない。しかし父親の期待に背くわけにいかない。青年ミルは悩むあまりになってしまった。そんなときに天使のごとく現れたのが、ハリエット・テイラーである。

ハリエット登場[編集]

ハリエットは医者の娘で、芸術を愛し、自らもエッセイを書く教養ある女性だった。肖像画を見てみよう。

HarrietTaylor1.jpg リカちゃん人形かよ。なんだその胴体。まあいい。もう一枚あるから。

HarrietTaylor2.jpg やっぱり少女マンガだ。お目々の中にお星さまが光ってる。(これらの肖像だが、二枚とも誰が描いたのかよく分からないので、ご存じのかたはぜひ教えて欲しい)

ロマン派の時代なのでこういう画風になるのも致し方ない。ハリエットはもちろんロマン派の文学や絵画に親しんでいたし、ミルもその方面にあこがれを持っており、当時の著名な評論家のトマス・カーライルと親交があった。ところがハリエットの夫であるジョン・テイラーは、芸術にまったく理解がなかった。……そう、ハリエットは人妻だったのだ。夫との間に子供も二人いた。にも関わらず、ハリエットとミルの共通の知人である田舎のヘッポコ牧師の「お互いに話し相手がいるといいよね~」という安易な思いつきによって若い二人は引き合わされ、そして見事に恋に落ちた。1830年のことだった。

その日テイラー家の晩さん会に招かれたミルはハリエットに一目ぼれした。彼女の夫の目の前で。ミルの芸術観はハリエットにとっては浅く思えたかもしれないが、それでも夫よりはずっとましだったのだろう。文学談義は弾んだ。どうしても理屈のある文章を好むミルが「トマス・カーライルとワーズワースが好き」と言えばハリエットは「シェリーが好き」と言い、「霊感が大事なのよ」と諭すように付け加えた。そして晩さん会が終わるころにはミルはすっかりこの人妻にやられていて、彼女こそ自分に「霊感」をもたらす運命の女性だと確信していた。彼は自分の父親よりはるかに魅力的で強い女が現れた喜びにうちふるえていた。尻に敷かれる気まんまんだった。

こうしてJ.S.ミルは鬱状態から回復した。

ちなみに、「ハリエット」はミルの実の母親と同じ名前である。マザコンだったのだろうか。

ともかくこの晩さん会のあと、ハリエットの夫は当然怒って、彼女にミルへの絶縁状を書かせた。すると「貴方から手紙が来たというだけで私は嬉しいし、もしその内容を貴方の意思で書いておられるとしても、私は貴方の幸せを願っています。あとお花を摘んだので同封します」という返事がきた。もう止めようと思っても手遅れだった。あわれテイラーは寝取られ男となった。

とはいえ風紀に関してはやかましいヴィクトリア朝時代のことである。このロマンス小説さながらの三角関係はすぐ話題になり、世間から非難を浴びた。しかし、言い訳にすぎないかもしれないが、ハリエットとミルは一度も肉体関係をもたなかったらしい。彼らは次元の低い快楽よりも、精神的なつながりを重視した。これはハリエットの考えだった。彼女が単にセックスが嫌いだった可能性はある。しかし夫と別居するにせよ離婚はせず、ミルと同棲するのでもなく、彼を毎週末自分のところへ通わせるにとどめるという彼女のライフスタイルはかなり斬新だし、しかも肉体関係がないのだから不倫とも言いづらいところがある。あるんだよ。……書いているうちにだんだんミルが生殺しにされているだけのような気がしてきた。

ハリエットはミルの執筆活動を後押しした。というか、助言や示唆を山ほど与え、時には計画そのものを丸ごと話して聞かせ、どんどん書かせた。そしてそれを添削した。一つの著作のある章をほとんど全部彼女が書いたこともあるという。ハリエットはミルの心だけでなく、ペンをも支配したといえるかもしれない。ただ、ミルがそれでとくに不満だったという記録も見当たらない。むしろ幸福であり、社会にも自分たちのようであることを望んだ。

ちなみにトマス・カーライルは度々ミルに「あんまりイチャイチャするなよ」と注意していた。なんでもハリエットとミルがパーティーの最中に、まるで鳥のつがいのように一つの房からぶどうを仲良くつまんでいるのを見たらしい。それを大いに嘆いて客にふれまわったのだが、なんだかカーライルのほうが嫉妬に狂っているようにも見える。ミルはこのあとカーライルと絶交した。いかにハリエットにぞっこんだったかがよく分かる。

その後の顛末[編集]

途中で話がだいぶそれたので読者のみなさんも忘れていたことと思うが、ハリエットの正式な夫ジョン・テイラーはどうなったか。妻に完全に見捨てられた彼は、かつては精力的な実業家だったのがすっかり腑抜けになり、しまいにガンになってしまった。体調を崩し始めたころに、別居中の妻にあてて「頼むから帰ってきて」と書き送っていたが、ハリエットはギリギリまで無視し続け、それでも最後の2ヶ月間だけは付き添ってやった。1849年、テイラーは妻にかなりの額の遺産をのこして死んだ。

二人の前にはもはや何の障害もなかった。だが、報いなのか呪いなのか、そのときにはハリエットとミルも胸を病んでいた。肺結核。死に近づくにつれ肌は青白く頬は紅くなる、ロマン派の詩人たちが最も好んだ病である。それでも彼らは51年に結婚し、共同執筆を続けるが、58年のヨーロッパ旅行の最中、ハリエットがついに亡くなる。ミルはハリエットのために、ほとんど詩のような墓碑銘を書いた。その死によって、彼女はミルを完全に自分の世界に引き込んだのである。

Upsidedownmainpage.jpg 執筆コンテスト
本項は第30回執筆コンテストに出品されました。