ハワイ王国

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畏クモ天皇陛下ハ御自ラ全臣民ノ爲ニ
本項ノ全内容ヲ天覽遊ハサレタリ
Naval Ensign of Japan.svg 大本營認可
本項ノ全文章及全内容ハ完全ニ正シキ事實トシテ大本營ニ依リ認可セラレタリ
全臣民ノ爲ニ畏クモ現人神タル天皇陛下ハ御自ラ本項ニ御目ヲ通サレ給ヘリ
此ノ項目ノ内容ヲ疑フハ現人神タル天皇陛下ヲ疑フト同義ニシテ
誤リタル思想ヲ持ツトセラルヽ場合ハ政治犯思想犯トシテ内亂罪ノ對象トス
ハワイ王国
State of Japan
グレートハワイ及び東ミッドウェー連合共和国
United Empire of Great honshu and Northern Ainuland
国の標語 : 不明
ハワイ王国の位置
公用語 ハワイ語日本語、その種々の方言、絵文字、顔文字
首都 壇香山
最大の都市 壇香山
指導者 不明
国王日本皇帝に任命された絶対権力者) 東伏見二世
首相 広野明治

(え?wikiではこの外人?)

面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第15位
141,421.356平方km
7,9%
人口
 - 総計(xxxx年
 - 人口密度
世界第15位
17,320,508人
世界第xx位
122.475人/平方km
政府 大東亜主義(親日派
国民的な英雄
建国 不明
通貨 円 (JPM)
時間帯 UTC -9 (DST: 一部地域にあり)
国歌 カメハメハ賛歌
宗教 ハワイ神道(国教)、天皇教(事実上の宗教・最大教派生長の家)及びキリスト教仏教は日本軍が広めたので特別に保護
国際電話番号 18782
注 : カメハメハ王朝時代→アメリカ傀儡国王時代→カラカウア王朝時代→東伏見王朝時代

ハワイ王国(はわいおうこく)とは大日本帝国連邦に所属する国である。つい最近まで国民の名の8割はカメハメハだったが、ややこしすぎて集団発狂し、現在は少数民族となっている。やがてカラカウア一世により革命がおこり「人名自主法」が制定され、カメハメハ族も自由に名前が付けられるようになった。

概要[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ハワイ王国」の項目を執筆しています。

昔、カメハメハ大王によって国土および人名が統一された。しかし、それにより夫婦や親子の縁も不明になり、性犯罪や児童虐待が増え、しかも夫婦だと勘違いして警察が性犯罪を見逃したり、親の面倒を子供が「あの爺婆知りません」という始末だった。そこでアメリカ合衆国が「あそこは国王からしてみんな馬鹿だから簡単に植民地のできるだろう」と考えた。そこでハワイではアメリカの侵略を防ぐため、反カメハメハ族による革命がおこり、カメハメハ族はカラカウア一世に支配された。なにしろ「風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休みだ」という学校に入っていたカメハメハ族だから、とんでもない馬鹿だったのであっという間に革命勢力に占領された。それでも植民地になるよりましである。さらに革命勢力は日本から薩摩族をハワイによんだ。そして、薩摩人はアメリカ人を散々おどした。

このままではハワイからアメリカ人が追放されてしまうそう考えたアメリカはさっそく革命を起こした。そして、なぜかアメリカ人にしか選挙権がないというとんでもない国会ができた。 しかし、カラカウア大王の要請で来た東郷平八郎東伏見一世が脅迫に来て、「なんでハワイの国会にアメリカ人しか選挙できんのだ、ここはお前らの国じゃないだろ!どんな強い国でも海戦ではあのバルチック艦隊を破った私に勝てるはずがない!」と言ったので、アメリカ人は顔面蒼白、あわてて逃げて行った。その時からハワイは大日本帝国連邦に所属したのである。

歴史[編集]

1795年にカメハメハ一世が8島を統合してつくった。さらに調子に乗って、国土だけでなく、人名まで統一した。このときにカメハメハにしたがったのが「カメハメハ族」で長い間ハワイの支配階級となる。1840年にはカメハメハ三世が憲法を制定した。この憲法で、名前がカメハメハの国民に特権が与えられた。そこでカメハメハ族をはじめとする多くの国民は人名をカメハメハとした。また、あだ名やペンネームは固く禁じられたので、この特権階級の人々はお互いに「カメハメハ」と呼ぶことを余儀なくされた。(家族・他人を問わず)その結果、どうなったかは概要を参照のこと。

日本との関係については『布哇王國史』[1][2]に次のように記されている。

1867年(慶應三年)には既に日本・布哇親善協定を締結して外交關係を樹立し、翌年(明治元年)には民間移民團の第一陣153名が渡つてゐる。

この文に「153名が渡つて…」などと記されているが、この135名はことごとくアメリカ人の奴隷になっていた。国内では明治元年に移民したので「元年移民」と言われているが、アメリカでは「元年奴隷」と呼ばれている。

布哇王国に来た薩摩隼人の訓練

さて、ハワイに来たアメリカ人については次のように記されている。

當時、ハワイでは白人が國土の實に75%以上を保有し、政府要職も獨占してゐた。土地所有の概念が無かつたハワイで、只の様な値で土地を買ひ占められ、また近代化推進の爲にも歐米人を政府要職に就けるしか無かつた。更に歐米人の持ち込んだ淋病、天然痘等に因り、ハワイ人は百年間で人口が三十萬人から五萬人にまで激減すると云ふ危機に瀕してゐた。

アメリカ人はハワイの国土と政府を奪っていた。なお、ここでは欧米人の病気でハワイのカメハメハ族の人口が減ったと書かれているが、実際には国民の名前がすべてカメハメハなので集団発狂したのである。

こうして、カメハメハ族は集団発狂によって急速に勢いを失い、1872年についに時の国王、カメハメハ五世まで頭が狂って自殺してしまうのである。

そのあと、選挙でアメリカの指示により売国奴・ルナリロが国王に選ばれた。しかし、ルナリロはこれまでカメハメハ族の馬鹿さを批判していただけで、実際には自分も同じくらい(あるいはそれ以上)馬鹿であった。そこでアメリカ人に政治をしてもらうことにしたが、天罰が下ったのか肺結核にかかって死亡する。

その後、再び選挙が起きたが、ウィキペディアにも記されているように「この選挙は激しい中傷合戦となり、ハワイにおいてもっとも汚らしい選挙といわれた」というとんでもないものであった。そして、立候補者の中で最も人の悪口を言うのが得意であったカラカウア一世が国王となった。

1881(明治14)年3月、カラカウワ王が、世界一周旅行の途上で横浜港に到着した。日本を公式訪問した最初の外國國家元首である。日本海軍軍樂隊はハワイの國歌「ハワイ・ボノイ」を演奏して出迎へた。王は思ひも掛けぬ日本側の鄭重なもてなしと、異國の地で自身作詞の國歌を聴く事が出來た事に感激し、涙を流した。横浜港も鐵道も日本人だけで運用されて居り、何處にもハオール(ハワイ語で「白人」)を見なかつた事にも強い感銘を受けた。

カラカウア一世は何を思ったのか世界一周旅行をしたが、そのしょっぱなの日本で自分が適当につっくた国歌を演奏されて胆をつぶした。なにしろ、とても下手な曲だったからである。 (最も日本人は「ハワイ人の趣味は変わっているなあ」の程度にしか思っていなかったのだが)

此の訪問の間、王は米國人の随行員等の目を盗み、日本人通譯のみを連れて深夜密かに赤坂離宮を訪れ、 明治天皇との會見を乞ふた。 明治天皇は夜中の訪問を不審に思つたが、とりあえず会見することとした。 王は日本の傳統文化と近年の國家的隆盛を賞賛した後、ハワイ王國の内憂外患の窮状を述べ、日本の協力を仰いだ。

 

  • 第一に日本人移民の實現。ハワイ人の人口減少を同一種族である日本人の植民で補はうと云ふものであつた。
  • 第二に、軈ては王位を繼がせる姪のカイウラニ王女と、日本の皇族である山階宮定麿親王との婚約の申し入れ。
  • 第三に、日本・ハワイの合邦(聯邦化)。
  • 第四に、日本・ハワイ間の海底電線の敷設。
  • 第五に、日本主導に依る「アジア聯邦」の實現。
翌年、 明治天皇はカラカウア王に對し、「良友 睦仁」の御宸筆を添へた親書を特使に携えしめ婚姻の議等に就いて許可した。また移民に就いても實現した。

カラカウア王の提案により、大日本帝国連邦を作ること、当時まだ5歳だったカイウラニ王女を山階宮定磨王(のちの東伏見一世)の妻にすることが決定された。日本人のハワイ移民を奨励され、1890年にはハワイ王国の人口に4割が日系人となった。

すると危機感を抱いたアメリカ人は「国王幽閉」という暴挙に出た。

體調を崩したカラカウア王は、1891年1月20日に逝去した。予てから後繼者として指名されてゐた實妹のリリウオカラニ(カラカウア二世)が五十三歳で女王に即位した。1893年1月14日、リリウオカラニ女王はハワイ人に選舉權を與へ、市民權を持たぬ白人からは選舉權を剥奪するやう憲法を變えやうとし、翌日にはイオラニ宮殿前に數千人のハワイ人が女王支持の集會を行つた。白人側は此れを機に、一氣に王制打倒に動き出した。

そこで東郷平八郎をはじめとする、日本の海軍が出兵し、アメリカ人をハワイより追放した。

1941年になるとサンフランシスコ湾攻撃を行ってアメリカを混乱させ、日本の第二次世界大戦における勝利をもたらした。

政治[編集]

国王は天皇陛下に見習った完全なる制限君主であるため、ほとんど権限がない。あるいはあっても使おうとすると独裁者だ!と、国内外から批判された挙げ句に軍事クーデターにあう。(かつて大日本帝国で起こった宮城事件がよい見本)

代わりに総理大臣が強力な権限を持っている。総理の権力は日本でたとえるなら小沢一郎小泉純一郎に匹敵する。いや、昔のヒトラーかもしれない。

政党[編集]

このようにハワイは大小翼賛会による独裁政治が敷かれている。一方で、尖閣諸島を売った菅直人よろしく、ハワイ島を売ろうとしているリンダ・リングルのような馬鹿もいる。しかし、政党というのはあまり政治に関係ないのである。

国旗[編集]

あの、馬鹿のカメハメハ一世はイギリスの国旗を見てかっこ良いと思ったのか、それもそのまま自分の国の国旗にしようとした。あわてたイギリスは、ハワイのシンボルである八本の線を急いで国旗に引いてカメハメハに渡した。こうして、ユニオンジャックに八本の線を引いたハワイの旗が完成したのだが、このことは(事実であるにもかかわらず)ここにはなぜか載っていない。真実は小説よりも奇である。(なお、念のため言っておくがこのセクションを除くとこの項目の大部分は嘘八百である)

アンサイクロペディア[編集]

ハワイにアンサイクロペディアはあるのだろうか。ウィキペディアはハワイ語版があるという話だが。

言語[編集]

日本語ハワイ語イギリス英語である。主に日本語が使用される。


メディア[編集]

ハワイでは第二次世界大戦超東亜戦争)による日米講和条約で、1943年よりアメリカ併合派の新聞も作成されるようになった。また、その前に日ソ不可侵条約[3]の影響で治安維持法も廃止されている。

テレビ[編集]

  • ABSテレビ
  • ハワイテレビ
  • 読売テレビ
  • 米テレビ

新聞[編集]

弾圧された新聞[編集]

理由
神聖なるハワイ王国に邪教を広めている疑い。[4]

宝くじ危機[編集]

現在、ハワイ王国ではカメハメハ族みたいな馬鹿にならないようにあらゆるギャンブルが禁止されている。その中には宝くじもある。

なお、それについて「銀行が儲からんだろ!ハワイは日本の属国だから日本と同じように宝くじを復活せよ」という主張もあった。それに対して東伏見二世は次の勅令を出した。

  • 「汝らハワイ国民よ、たかが宝籤(くじ)位で煩(うるさ)い奴がいるので、私はカンカンに怒った。之から以下の行為を禁止する。
パチンコ禁止
カジノ禁止
ジャンケン禁止
命に関わるスポーツ禁止
一生をかけてする学業・事業等、全て掛であるので禁止
投資の禁止(これも一種の賭けなり)
占いの禁止
ルーレットを回すことも禁止
受験・テスト等の山張りの禁止
0.000001%でも失敗する可能性のあるあらゆる行為の禁止

以上の事は必ず守るように

御名御章[5]

ところが、このことについて天皇陛下から苦情が出た。その結果、

「パチンコとカジノのみを解禁する」

ということになった。国民からは、「パチンコなんかよりもジャンケンの方を解禁してほしい」とかいう意見も出たが、国王は無視。なんか、大阪府のようなことになった。

その他[編集]

Bouncypotato.gif
この記事「ハワイ王国」は何故か「ハワイ」とネタや題材がダブっています。どちらが真実なのかは神のみぞ知ります。
  • かつてはパルミラ島を保有していたが、アメリカがパルミラ島を奪ってしまった。
  • 第二次世界大戦のときにはどさくさにまぎれて、アメリカからミッドウェー諸島を奪った。そのため、山本五十六の命の恩人でもある。
  • ハワイの特産物としては夏の暖かさがある。
  • サトウキビの産地でもある田園風景はアメリカ人がかつて不当に原住民から奪っていたものである。「アメリカ暴力資料館」もあるので一度見てみよう。
  • 大日本帝国イギリスととても仲が良い。とくに日本とは大日本帝国連邦加盟国だけあって友好度が高い。
    • それに対してアメリカとは仲が悪い。

脚注[編集]

  1. ^ 『皇國聯邦全史 第貮巻 布哇王國史』平成二十二年、日本教文社より「国記二千六百七十年記念再版」が出版、これはそれによる。
  2. ^ これは大日本帝国政府が作成したもので、表紙の裏には「大本営認可」「内閣法制局認可」「ハワイ王国政府認可」「皇国連邦政府認可」と言いた表記が並んでいる。「これは右に偏りすぎています」と前置きをしているアンサイクロペディアと正直さは同じであろう。
  3. ^ このとき、ソ連は日本やハワイをはじめとする大日本帝国連邦へ攻撃しないと約束したが、戦後にアメリカが優勢だったら日本を日本民主主義人民共和国にするつもりだったとスターリンが告白した。
  4. ^ なお、これは仏教弾圧などと言われたが、実際には仏教団体の要請により弾圧されたのであって、一部の仏教団体はむしろ喜んでいる。
  5. ^ ハワイでは「璽」ではなく「章」を使用