バカの壁

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バカの壁』(ばかのかべ; 英題:Barriers for DQNs)は養老孟司東京大学名誉教授の設計した建築物(越えられない壁の一種)および著書。後者は新潮新書編集部の口述筆記による著作である。2003年4月10日、新潮新書(新潮社)より刊行された。

400万部を超えるベストセラーとなり、同年の新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞。通称「DQNの壁」。著者の他の作品に「死の壁」「超バカの壁」「底抜けのバカの壁」「バカの阿部」「3のつく数字と3の倍数の時にバカになる壁」など。

壁の理論[編集]

「バカの壁」というタイトルを分析すると、凡人の読者は「バカ」の定義を考えようとし、ついで「壁」とは何の象徴であるかを考えようとする。これは誠に愚かである。

バカの壁、それはすなわちとしての役割をなさない壁のことである。壁としての役割をなさない壁、それはたとえば、風通しのよい防風林、光をよく通す遮光板のことを指している。

著者はきっと、バカの壁という表現を直接的に捉える感性を持てずに、「大変勉強になった」「思考のヒントになった」などと喜んでいる読者を馬鹿ニシテイルノダ。賢明な読者には内容をまったく別の分野に解釈するという一段上の作業を許される。

解釈[編集]

『バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。』(抜粋、以下同)

口語調になっているのは当然ながら読者を馬鹿にしているからである。なぜならば、文語調は読者を著者自身と対等な立場において理論の主張・討論をすることを前提にしているのに対し、「~わけです」などのように口語調を用いることは無知あるいは物わかりの悪い読者を皮肉的に洗脳することが根底にあるわけです。わかりましたか。

さて、この抜粋した文章は何を意味しているのか。愚かな読者は「馬鹿の壁」を自分の過剰な自信や自分への過信だと解釈し、相手を理解できていないことの理由だと考えるだろう。しかしそれは違う。馬鹿の壁とは果たして然るべき役割を果たせない壁のことである。正しい解釈のためには障子の壁が好例である。一元は一次元のこと、すなわち「線」である。十字に組まれた一次元的な材料、つまりフレーム(frame)に起因して発生するのが二次元的な障子すなわち壁である。バカなやつはマイホームに障子のある和室を置きたがる。なぜならば、障子は壁としての機能が弱いからである。筆者は暗に和室の機能性を批判しているのである。

『知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。それが昨日までと同じ世界でも。』

これは障子の機能性に疑問を持ち始めた読者の背中を押す部分である。この文章に説明を付け加えをすると本来の意味がよくわかる。「(障子は壁としての機能が弱いと言うことを)知るということは、自分がガラッ(障子の開け閉めの音に掛けている)と変わることです。したがって、(和室が洋室に変わるように)世界がまったく変わってしまう。それが(障子を取り払う)昨日までと同じ世界(=自分の家)でも。」

この記事を読んでいる読者諸兄はきっと、無理矢理すぎる解釈ではないかと疑問を持たれることだろう。それは仕方がないことである。しかしそれくらいしないと本当の意図は汲み取れないのである。なぜならばこれが東大教授の書いた本であり、哲学的に見えて建築学のことを書くという可能性は十分ありうるからである。ましてや医学も建築学も似たようなものであり、支えが骨であるか鉄筋コンクリートであるかの違いでしかない。もしこの記事を読んでいるあなたがこのような高度な(あるいは深い)解釈ができない場合は、あなたがバカだからであり、バカは自分のバカに気づけないから障子から襖に取り替えるしかないのである。

『人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる。日常生活において、意味を見出せる場はまさに共同体でしかない。』

これは以下のように解釈できる。

「障子ではなく襖を選んだ自分の人生は、社会的ステイタスとして、和室ではなく洋室に生活の拠点を置くことの出来る自分への満足(それはしばしばナルシズムへと変わる)につながる。やがてそれは共同体を隔てる手段として非常に有効な手段だと気づけるようになる。」

評価[編集]

社会学哲学と建築文化学を関連させるという試みとして高く評価されている一方、正気の沙汰とは思えないほど捻くれているという見方もある。いずれにせよ、一般人受けしたのはタイトルが衝撃的であったからであり、内容は完全にタイトル負けしてしまっている。人間の存在意義を根底から覆すといった注目すべき意見を主張するでもなく、卵が先か鶏が先かという生物の根元事由に触れるでもなく、障子がよいか襖がよいかという非常にタイニーで、しかし裏を返せば社会生活を健全に営む上で欠かせない基礎的な知識の方法を大衆向けに解説していることは確かである。

出典[編集]

  • 「アンサイクロペディック・プラトニア日本語版」(AP出版)