パイポ

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パイポの位置

パイポ国サンスクリット語 प अ इ प ऒ ) は、古代インドの国名。

古くは『アタルヴァ・ヴェーダ』に、マガダ国ガンダーラ国とともに名が挙げられている由緒ある国であるが、何故か仏教ジャイナ教の文献ではその存在が確認できず、詳細が知られていない点も多い。

歴史[編集]

  • ガンジス川の上流を領域とし、紀元前7世紀頃に成立したと考えられる。『マハーバーラタ』や『マツヤ・プラーナ』などによると、パイポ国の名は、建国の父とされるパイポ王子の名から取ったと伝承される。
  • 紀元前5世紀、シューリンガン王の代に国力は大いに伸長し、周辺諸国を制圧し、一時は北インドに覇権を確立する。しかしこの時期は、マガダ国の勢力伸長期とも重なる事から、両者の覇権争いはしばしば争乱の元凶となった。
  • 紀元前3世紀中頃に、勢力を増すマガダ国の支配下に入った。
  • しかしパイポの王族は、紀元1世紀頃に独立を勝ち取り、トゲゾー王国を建国する。

パイポ王子[編集]

国民の感謝の言葉「私はパイポ王子のお陰でタバコをやめました」

パイポ国を建国したのは、マルマン国の王子のひとりパイポであり、国名はそれに由来するとされる。

マルマン国は葉タバコの生産が盛んに行われており、国民の間で広く喫煙が普及していた。しかし同時に、肺癌による死亡率が高い事が問題となった。パイポ王子はこの状態を悲しみ、禁煙を訴えたが、葉タバコの生産が国税の大部分を占めるマルマン国の状況において、受け入れられるものではなかった。そこでパイポ王子はマルマン国を出国して、新国家を建国するに至るのである。

新国家パイポは禁煙を推奨した事によって国民が極めて健康になり、大いに国力を伸ばし、やがて喫煙によって国民の大多数が健康を損ねたマルマン国に侵攻し、これを併呑する。マルマン国は、当時のユーラシア大陸で唯一の葉タバコの生産地であり、後にコロンブスの新大陸発見によりアメリカ大陸から葉タバコが伝来するまで、旧大陸での葉タバコ生産は断絶する。

なお、上記のパイポ王子の建国譚は、後世の捏造であるという説も近年になって唱えられた。パイポ王子が出国したのは、国王の愛人に手を付けてしまったため、追放されたのが真相だというのである。近年発掘された碑文からは「私はコレで王子をやめました。」というパイポ王子の言葉が刻まれている。

シューリンガン王[編集]

パイポ国の最盛期はシューリンガン王の治世である。シューリンガン王はパイポ国の勢力を大いに伸長した事で知られるが、この時代においては特異な事に、国民の健康増進政策を取った事で、それ以上に知られている。

上述の通り、パイポ国は建国当初より禁煙政策を取るなど、元より健康に熱心な国民性が培われていた。シューリンガン王はこれを大いに発展させ「8時間睡眠」「腹8分目」「野菜や果物をたくさん食べる」「ヨーグルトを食べる」「青竹を踏む」「くよくよしない」など24か条からなる布告によって、国民の健康増進に務めた。特に青竹踏みは絶大なる効果があったとされる。パイポ国に限らず当時のインドに共通した事だが、医療はバラモン僧の寺院で行われるのが普通であった。そのためシューリンガン王は医療専門の寺院として、竹林精舎を建立している(なお、シューリンガン王の功績を黙殺した仏教の教典においては、竹林精舎は釈迦が建立した最初の寺院であるとされる)。

シューリンガン王も自ら健康増進に努め、この時代として驚異的な102歳の長寿を全うした。また王族も王に倣って健康増進に努め、王妃のグーリンダイは夫を上回る107歳の長寿を全うした。2人の王女のポンポコピーとポンポコナーも両親には及ばなかったが、それぞれ95歳と98歳まで長生きしたとされる。

シューリンガン王の唯一の汚点は、嫡男(名前は不詳)が僅か11歳で早逝した事である。嫡男もシューリンガン王によって健康には十分な注意を払って養育され、病気ひとつせず、すくすくと成長した。いささか腕白者であり、近臣の子供とよく喧嘩をして、相手の頭にこぶを作っていたという逸話も伝わるが、基本的には温厚であり、近臣の子供たちからは慕われていたという。しかし夏の暑い日、子供たちだけで川遊びをしていた最中に、急流に巻き込まれ溺死した(城内の井戸に転落したという異説もある)。

しかしシューリンガン王自身が非常に長命であった事から、嫡男の早逝は大きな問題とはならなかった。王位は曾孫(ポンポコピー王女の孫)であるポンポコポンに受け継がれたが、シューリンガン王はポンポコポンを次期国王として十分に養育し、成人するまで待つ時間的余裕があった。

凋落[編集]

しかしポンポコポン王は、当時としては短命とは言えないまでも、決して長寿とは言えない42歳で崩御し、その後はわずか10歳のポンポコタヌキが継いだ。それ以降、パイポ国は徐々に衰退していく。

紀元前3世紀中頃に、マガダ国の王子ビンドゥサーラが、パイポ国に攻め入ってブラコージ王を殺害。以後父王の代理として一帯を支配した。これ以後、パイポ国は、勢力を増すマガダ国の支配下に入った。

なお、マガダ国の支配下においても、パイポ国の王族はしぶとく存続し、後の紀元1世紀頃建国のトゲゾー王国の母胎となる。後世「パイポはトゲゾーの卵であった」と評される所以である。

民族[編集]

パイポ国の部族は、アーリア人であった。これはアーリア人の優位を唱えるアドルフ・ヒトラーにも多大な影響を与えた。ヒトラーが禁煙を推奨、自らも実践したのは、同じく禁煙を推進したパイポ王子の影響が大であると言われる。

影響[編集]

シューリンガン王の健康政策は、後の東アジア各国に、多大なる影響を与えた。江戸時代の儒学者の貝原益軒は、「養生訓」という書を記して、健康な生活の暮し方について解説を行っているが、この著作においてシューリンガン王の事が紹介されため、日本でもその名が有名になった。なお本書においては、パイポは「唐土」と記載されるが、これは漠然と外国という意味であり、中国という意味ではない。

関連項目[編集]


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