ビリケン

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ビリ・ケンドリックスBilli Kendrix , 1908年 - ?)は、アメリカ出身の演歌歌手。専ら大阪で活動していた。10代半ばであったにも関わらず、その卓越した歌唱力と人々を魅了するパフォーマンス伝説となっており、引退後70年経った現在でもファンは多い。特に外国人演歌歌手からはとして崇拝の的となっている。大阪人からは愛情を込めて「ビリケンBilliken)」と呼ばれている。

生い立ち[編集]

1908年
生誕
アメリカのニューヨークで生まれる。芸術家のフローレンス・プリッツであり、彼女のの中で登場したことから産まれた……つまり想像妊娠によって産まれた子供であり、処女懐胎であったことになる。生まれからして神様であっても何ら不思議はないことがここから理解できる。
1909年
日本へ
1歳で母の手を離れ、日本に渡航。これには日本の会社が関係しているとされ、事実、その会社の宣伝にビリケンを利用していたことも明らかになっている。人身売買じゃないか!
1912年
新世界デビュー
新世界南側にあった遊園地ルナパーク』で、弱冠4歳にして初の演歌ライブを行う。遊園地でのライブというのは今でこそ歌手にとってメジャーデビューへの通過点と認識されていることが多いが、ビリケンは「ルナパークでのライブこそが自分の到達点」、「新世界隆盛が私の使命」とまで言い、あくまでもルナパークでのライブに力を注いだ。
このルナパークでの活動がビリケンの全てであり、同時に全ての伝説の舞台となっている。
1923年
引退
ビリケンによって知名度な高かったルナパークだが、新世界が歓楽街としての様相を呈するようになると共にルナパーク敷地を開発用地とする計画が立てられる。ビリケンは強硬に反対し、ライブの中で積極的に呼びかけたが叶わず、ルナパークは閉鎖される。
その直後にビリケンは行方不明となり、その生死などさえも判明していない。

ビリケン失踪後[編集]

1976年
通天閣
戦後大阪の復興の象徴となる通天閣(2代目)内に、ジモティによってビリケンの像が立てられる。この像は演歌の神様としてだけでなく、通天閣の、そしてひいては大阪の守り神として現在でもされ続けている。

演歌歌手としての特徴[編集]

天性の歌声[編集]

ビリケンは1歳での渡日を経験しているため、母国アメリカの英語よりも日本語の方が流暢であったとされているが、ぶっちゃけデビューした4歳の時点でどれほど言語を理解していたかは疑問である。そうした歌詞の未熟さを補って余りあるのが、ビリケンの優れた歌唱力であった。

ビリケンは度々アドリブで、意図的に歌い出しのテンポをずらし低い音から入るというコブシ唱法を使用している。また、幼児本来の高音域から成人男性の低音域まで、広範囲の声域を駆使した独特の歌声を使用しているのも特徴である。ビリケンは声帯の変化と声量や高さの変化を密接に捉えることができたようで、その完璧なまでに計算されたような歌の流れは現在でも多くの演歌歌手の目標となっている。

一方でビリケンは声色を変化させる小道具を積極的に利用したことでも有名である。ビリケン以前にもヘリウムガスなどを使用して高音域をだす唱法は存在したが、ビリケンの利用法は独特のものが多く、有名なものではヘリウムガスをチューブで右のみに送り、歌のイントロを男声・女声と同時に発声する方法を活用し、本来デュエットを想定して創られた『酒と男と女と女』を一人で歌っている。

前衛的なパフォーマンス[編集]

ビリケンはまた、舞台でのパフォーマンスにも力を入れており、舞台に薔薇の花を蒔く、「キモノ」を脱いで一丁という姿になる、などしてショタファンを熱狂させた。

こうしたパフォーマンスに当時は難色を示す演歌歌手もいたが、それらの歌手も後にはスモークや紙吹雪など、ビリケンが考案したパフォーマンスを使用するようになった。

演歌シーンへの影響[編集]

ルナパークでのライブは圧倒的な人気を誇り、後の日本の演歌歌手に大きな影響を与えた。ビリケンが活動していた1910〜20年代の日本では浪曲が流行しており、演歌に対する直接的な影響は少なかったとされる見方もあるが、それでも、30年代に産まれ、後に演歌の代表的な存在となる多数の歌手たちは揃ってビリケンの影響を受けたと発言している。

幼少の頃「ビリケンの歌声をレコードが擦り切れるまで聞いた」という北島三郎は、後に紅白歌合戦で、「マイクを床に置いて土下座する」、「2007年アゲアゲで行きまショー』発言」などのパフォーマンスを行っているが、これらは映像で見たビリケンの動きに感銘を受けて考え付いたものであることを後に語っている。

2007年にデビューしたアメリカ黒人演歌歌手ジェロも、「50年以上も前に演歌で活躍したアメリカ人がいたことを誇りに思うと同時に、到達したい目標と考えている。ビリケンは僕の師であり、僕にインスピレーションを与えてくれる神様だ」と話している。

関連項目[編集]