ビ・キドゥデ

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

ビ・キドゥデ(Bi Kidude)、本名ファツマ・ビンティ・バラカはタンザニアを代表する歌姫である。東アフリカからアラブ一帯にかけて歌われている民族音楽「ターラブ」の代表的な歌い手として有名であり、その活躍は、自国はもとより、世界中で賞賛されている。

なお、エキサイト翻訳において、「Bi Kidude」を英→日翻訳にかけるとそのまま「両性愛者のKidude」と翻訳される。英語圏のスラングがいかに海外の名称にいらぬダメージを与えているかを示す良い例である。

目次

[編集] 生涯

[編集] 生誕

ビ・キドゥデはタンザニア共和国、ザンジバル島のココナッツ売りの娘として生を受けた。生年は分かっていない。これは、アフリカではよくある話である。なお、ザンジバル島は2000年以上昔から交易で栄えた土地であり、彼女も幼少時から異国から来た様々な人と触れ合っている。そして、彼女の人生を変えることとなる様々な人たちも、多くは異国から来た人々である。

[編集] 運命の出会い

彼女がまだ歌の道を志していなかったころ、東アフリカの民俗音楽「ターラブ」の歌い手として有名であり、なおかつタンザニアの女性歌手のパイオニアともいわれているシティ・ビンティ・サーディが家の近所に住んでいた。サーディの家は一日中ターラブの音色が絶えなかったといわれ、彼女も夜中、こっそり家を抜け出して、シティの家から流れてくるターラブを聞いてターラブの勉強していたという。また、彼女はシティのステージ上の立ち居振る舞いやその衣装なども幼心にしっかりと勉強したと語り、世界的な歌姫となった現在でも、彼女はシティの歌った「スフバ・ヤ・ダイ」、日本語に訳すると「恋する人の嘆き」をそのレパートリーに取り入れている。

[編集] ターラブとは

ターラブとは、主にアフリカ東岸を中心とした地域に広がる民俗音楽で、名前に「アラブ」という言葉が入るように、インド洋を中心とした経済圏の中で成立した音楽で、19世紀に成立したといわれている。カヌーンウードといったアラブ圏の楽器とバイオリンアコーディオンといった、当時、ザンジバル島を植民地としていたイギリスの楽器が使用され、8分の6拍子というリズムと、演歌でいう「コブシ」を使った歌い方に特徴がある。現在でも、積極的に海外からの楽器を取り入れており、日本人が想像するアフリカの民俗音楽とは違い、現在ではエレキギターキーボードなどの音色も使われている。

[編集] 歌の道へ

13歳のときに、彼女は結婚している。これはアフリカではよく見られる話であり、何の問題もない。しかし、結婚を機にザンジバル島からタンザニア本土へと渡ることになった彼女に、大きな運命の転機が訪れる。それは、彼女の天性の歌声を聞きつけた地元のターラブ楽団が、彼女をタンザニア国内ツアーに歌い手として引き抜いたことに始まる。あわせて、彼女自身、不幸な時期だったと語ったその結婚生活も終わりを告げることになる。もっとも、その結婚生活を経験したために、彼女のもう一つの顔であるタンザニアの伝統文化「ウニャゴ」の伝承者としてのキャリアが始まっていくことになるのだから世の中は面白い。

なお、ザンジバル島がイギリスの植民地だったのに対し、本土であるタンザニアはドイツの植民地だったことが、彼女の運命を大きく変えることになる。

[編集] 太鼓の名手として

歌姫として名高い彼女には、「ムソンド」と呼ばれる太鼓の名手としての側面があり、各地のコンサートで積極的にそのリズムを披露している。一般的にアフリカの音楽で聞こえてくるあの太鼓の音である。

[編集] 国外へ

後に彼女の口から、タンザニア国内の端から端まで歩き回ったと形容された少女時代の国内公演の旅は、急遽、終わりを告げることになる。それは、エジプトの著名なターラブ楽団が、彼女を引き抜いたことによる。彼女はタンザニアを代表する歌い手として自国を飛び出して周辺各国を長期にわたって巡ることになる。

その結果、青春時代を国内公演についやすことになったザンジバル島出身の少女ファツマが、東アフリカ一帯で名声を獲得するターラブの歌い手「ビ・キドゥデ」となるのに、そう時間はかからなかった。

およそ、10年間に渡って東アフリカ一帯を公演して回った彼女だったが、最終的にエジプトのターラブ楽団から身を引き、故郷ザンジバル島に小さな家を建て、そこを本拠として活動することを選択する。もちろん、歌を捨てたわけではなくあくまで地元であるタンザニアを中心にした活動へと移行しただけである。

[編集] 転機

その後、タンザニア国内で活動を続けていた彼女に大きな転機が訪れる。それは、ドイツのレコード会社が彼女が中心となって活動していた女性によるターラブ楽団「サヒブ・エル・アリー」の歌を録音。ドイツ国内で発表したところ、大反響を巻き起こしたことに始まる。彼女の歌声とその圧倒的な存在感は、ドイツ国内はもとより、ヨーロッパ各国で話題が沸騰させ、ザンジバル島の歌姫、さらには生ける伝説として、欧米各国からの公演依頼が続々と舞い込むことになる。

[編集] 受賞

2005年、彼女は世界中の音楽家たちが選ぶ音楽賞「WOMEX」を受賞する。84カ国、2100人の音楽専門家、500人の音楽家たちが、その年の最高の音楽としてアフリカの小国の歌姫を選んだことは、当時、世界中で驚きをもって伝えられた。同じく、イギリスBBCが選ぶワールド・ミュージック・アワードも獲得。それは、アフリカの小国の港町で生まれた歌好きの少女が、世界に認められた事を意味していた。

そして、時を同じくして彼女を題材にした映画もイギリスで制作され、彼女の名声は世界中に響き渡ることになる。

[編集] 彼女の現在

ビ・キドゥデは、2009年現在も積極的に活動している。

年齢は、伝えられるところによると、97歳ぐらいではないか、とのことである。なお、彼女自身は100歳以上であると語っている。ついでに言うと、シティ・ビンティ・サーディが活躍した時代は、日本でいうところの明治時代である。

[編集] ちなみに

彼女が伝承しているタンザニアの伝統芸能「ウニャゴ」とは、結婚における様々な生活を女性に伝承するための儀式であり、音楽に乗せて様々な家事のほか、性生活についても事細かに伝えるものであるとされている。

当然、男子禁制の秘密儀式である。が、彼女は平然とコンサートで歌っている。彼女曰く「世界には3つのウニャゴがあり、その中の一つが男子禁制の秘儀に当たるウニャゴ、もう一つが結婚間近の男女のためのウニャゴ、そして最後の一つが結婚式で大勢の人間に対して行われるウニャゴ。なんの問題もないよ」

[編集] それでは、彼女の歌をたっぷりとお楽しみください

[編集] 関連項目

Wikipedia
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[編集] 外部リンク