フランク・ザッパ

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フランク・ザッパ(Frank Vincent Zappa, 1940年12月21日 - 1993年12月4日)がいかれたミュージシャンだなんてとんでもない。彼は誰よりもまともでした。宇宙一まともでした。おかしいのはビートルズのほうです。あのイギリスヒッピー野郎どもが、ザッパのデビューアルバムのコンセプトをパクって『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を出したのです。ザッパの3作目のアルバム『ウィー・アー・オンリー・イン・イット・フォー・ザ・マニー(金欲しさにやってるだけ)』のジャケットが『サージェント・ペパーズ』のそれのパロディだとよく言われますが逆なのです。ザッパのほうが一年あとですが、こちらが元々あるべき姿なのです。ザッパはビートルズと違ってドラッグをけっしてやりませんでした。化学物質に頼らなくても、マフィンのくずを吸ったほうがよっぽど飛べるのをちゃんと知っていたのです。

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"My Guitar Wants to Kill Your Mama"[編集]

こんな、いかにもまじめそうな人を、いかれているだなんてよく言えたものです。

フランク・ザッパは、彼が『マザーズ・オブ・インベンション(発明の母)』と名付けたバンドの愉快な仲間とたくさんの楽器を演奏しながらワアワア合唱するのが大好きでした。こう書くとただうるさいようですが、ザッパの音楽は緻密ですよ。科学者の息子ですからね。不協和音まみれでごちゃごちゃしているようでいて、つねに計算が行き届いています。正確で美しい旋律がはっきりきこえるでしょう?こんな音をエレキギターで出しているんですよ。しかも一度完全に壊れたギターから。1968年のマイアミ・ポップ・フェスティバルでジミヘンが燃やしたのです。フランク・ザッパはそれを時間をかけて丁寧に修復して使っていました。彼はとても辛抱強いひとでした。彼はわたしのクリちゃんをじつに三時間以上もこねくりまわしていました。わたしがいつまでたってもいかないので、彼は今度はわたしののをいじりはじめました。彼の指さばきは練習を重ねただけあってじつにみごとなもので、妹はすぐに感じ始めました。繊細な彼はすぐそれに気付き、絶妙のタイミングで入れて大きくかき回しました。それを見ながら自分でいじっているうちにわたしはいってしまったのです。妹と同時に。ほんとうに彼は最高の男でした。ライヴの直前だというのに指の皮がすりむけるほどやってくれたのです。女をいかせられない男はクズですからね。彼はよく分かっていました。男らしい彼は自分のフランシスという名前が女みたいだと言って嫌っていました。初期のアルバムに「フランシス」とクレジットするのは彼にとってひどい苦痛でした。かなり後になってわかったことですが、彼の戸籍上の名前は最初からフランクでした。あとフランクはあらゆる楽器の扱いにたけていました。コウボウ筆を選ばずというでしょう。彼はまさにコウボウでした。もボウボウでした。それでも口ひげと顎ひげはきまったかたちに整えていました。のばしすぎていると舐めるときに邪魔になりますからね。フランク・ザッパは節度あるきわめて理性的なひとだったのです。ステージの上でうんこを食べたなんて悪意のあるうわさがまことしやかに流れていますがそんなわけないでしょう。ひどいウソです。人前では一度も食べませんでした。彼は毎朝トイレでうんこをしたあとには必ず大きさと色と形を確認して必要最低限の量をとって味をみました。体調の良し悪しを知るためです。医学の基本です。中国の古いマキモノにちゃんと書いてあります。図書館でよく調べてごらんなさい。ザッパは図書館でよく勉強していました。彼は短大しか出ていませんが、それでも大学に行くだけ行って講義に出ずに女をあさるようなそのへんの学生とはちがってたいへんな努力家だし頭もよかったのです。彼は図書館で自分のルーツを発見しました。18世紀のイタリアの作曲家フランチェスコ・ザッパの楽譜をみつけたのです。彼はフランチェスコが自分の先祖だと確信して、その作品をシンセサイザーで完璧に再現しました。これをきけばモーツァルトの同時代人がファミコンみたいないかにも安っぽい曲に合わせて気ちがいじみた超高速ステップをふんで踊っていたことがうかがえます。ザッパはシンセサイザーとあとなんやかんやをあわせたシンクラヴィアという装置が気に入っていて、音質をけなされつつもしばらく使い続けました。出たての電子楽器で遊んだあとはそれにすばらしいインストやガチャガチャして楽しい合唱曲を合わせて一枚のアルバムにすることを何度か繰り返しました。熱心なファンがついたのはそのせいでしょう。1971年の冬にスイスで屋内ライブをやっていたら、観客の一人が天井に向けて照明弾を撃ち、火があちこちに燃え移って機材一式が炭になりました。その様子はとてもアホらしかったので、ディープ・パープルが思わず曲にしたら大ヒットしました。『スモーク・オン・ザ・ウォーター』です。そのすぐ後、ロンドンに移ってライブをやっていたら、観客がステージに上がってきてザッパをつき落としました。全身の骨がぐしゃぐしゃになりました。薄れゆく意識の中でザッパは「ワカ・ジャワカ」とつぶやき、それがそのまま次のアルバムのタイトルになりました。天井に向けて火を放ったり高いところにいる人を押したりすればどんなに大変なことになるかが分からないアホがいるいっぽう、ザッパは色々なことを考えていました。モンタナにデンタルフロスの木を植えたい。犬ぞりの通ったところにある黄色いを食べてはいけないのはなぜでしょう。シベリアン・ハスキーのおしっこが目に入ると目が見えなくなるんですよ。親しい友人がみんなプラスチックとかクロームでできていて溶けてしまったら、頭脳警察はなんとかしてくれるのでしょうか。カフカの『流刑地にて』を読んだ感想を曲にしたこともあります。誰にも解釈できませんでした。もちろんドラッグはやっていません。なんども書きますが、彼はドラッグが嫌いなのです。父親が科学者で、家では毎日ガスマスクをかぶって生活していました。宇宙には水素とアホが充満し、地上には退屈極まりないポジャマピーポーがうじゃうじゃとはびこっています。そんな時代にあって、フランク・ザッパは誰よりもまともなのです。今も向こうから定期的に新譜を送ってきます。ザッパの息子やスティーヴ・ヴァイがギターを弾き、テリー・ボジオがドラムをたたきながらいい声で歌います。今年も来年も再来年もCDが出ます。出ます。わたしのがわたしの宗教です。丸いUFOアンデス山脈にそって飛んでいくのが見えます。より厳密にいえばグアカモーレ・クイーンです。マフィン・マンも肉おじさんも鼻くそマンも元気です。このを黒くしたい。アル・ゴアはとんでもないアホです。ゲイの話とタバコが大好き。ビールおっぱいは素晴らしいでしょう。あなたはなぜまだパンツをはいているのですか?死にたいのですか?

この記事を書くにあたって執筆者はクラックをはじめいかなるドラッグもキメず、酒も飲まず、まったくのしらふでした。 (Portal:スタブ)