フランシスコ・フランコ

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フランシスコ・フランコ(Fransisco franco)、略してファンファン将軍とは、かつてスペインに君臨していた独裁者ヒトラーおじさんの後ろ盾を得てクーデターを成功させ、スペインを支配することに成功したが、そのヒトラーを見殺しにした外道である。しかし彼がヒトラーを見殺しにしたことで、結果としてスペインは日本やイタリアのように敗戦国にならずに済んだ。第二次世界大戦におけるファシスト唯一の勝ち組である。外道レベルではヒトラーやチャーチルに大分劣る。良く言えばまとも、悪く言えば小物。

概要[編集]

スペインの北西のガリシア地方で産まれる。産まれた時から不思議な超能力が使える人物だった。後に彼と邂逅したヒトラーはフランコは優秀なアーリア人だから超能力が使えるんだそうに違いないと思い込んでいた。長らく軍人をやっていたが、その間にサルバドール・ダリをナマズから人間に変えてやるなど様々な善行を積んだ。積んだ功徳は報われ、マヌエル・アサーニャ政権をブッ倒す時に、何故か次々と神の御加護が発動してフランコは連戦連勝、あっという間にスペインを制圧した。実際にはアサーニャ政権がグダグダで寄せ集めの烏合の衆であり攻め込まれるとあっという間に瓦解するほど弱かっただけに過ぎない。

スペインを制圧したフランコ将軍だが、スペインは元々各々の地方の独立志向が強く、バスク地方やカタルーニャ地方は隙を見せれば独立しようとした。そのためフランコ将軍は徹底的に弾圧して、バスク語やバレンシア語をしゃべった奴を片っ端から拷問にかけ、フランコ体制による支配をスペイン全土に徹底させた。バスク地方やカタルーニャ地方の独立志向は吉と働いたこともあった。第二次世界大戦中、ヒトラーから度々「助けてやった恩を返せ」とフランコは味方になるよう要請された。フランコがスペインを制圧できたのはヒトラーが味方をして援軍と資金援助をしてくれた恩恵に依る所も大きかったからだ。ところがフランコは、「バスクやカタルーニャを押さえつけるのに手間取っているのでもうちょっと待っててね」と牛歩戦術を行い、ヒトラーの味方をするのを渋った。彼はヒトラーと、ヒトラーが敵対しているスターリンチャーチルを比べて、本当の外道は明らかにスターリンやチャーチルである、そしてこの世は悪が栄えるという法則に従えばスターリンやチャーチルが勝つのは自明だから、彼らに倒され滅びる運命のヒトラーの味方をするのは自殺行為だと看破していた。そしてフランコがどっちつかずの対応をしている間にナチスドイツは敗北した。

フランコ将軍と同時代、隣国ポルトガルにもアントニオ・サラザールという独裁者がいた。サラザールは最終的には頓挫し、本人の気づかない内に政界から放逐されて隠居させられた。サラザールやヒトラーと比べると、フランコは最期まで自分の独裁体制を維持したという点で勝ち組である。しかも結果として積極的に他国へ侵略しなかったので、戦後他の国からいちゃもんをつけられることも、ヒトラーやムッソリーニやチャーチルのように人殺しと糾弾されることもなかった。その分スペインの国内では高名な詩人ロルカなどを大量に殺しまくったが、政治に犠牲はつきものなので誰も気にしない

フランコは1975年に死去した。後継者としてカレロ・ブランコに期待していたが、ブランコはバスク人のテロ組織ETAが仕掛けた爆弾で吹っ飛ばされ昇天、程なくして先に死んだ主の後を追うこととなった。その後はアドルフォ・スアレスがスムーズにスペインを近代国家に移行させることに成功した。

現代の評価[編集]

ヒトラーやムッソリーニと比べると、礼賛してもさほど他の国から非難されないので礼賛し放題である。スペインの右翼は、「確かに彼は沢山殺したが、彼の手腕なくしてスペインはWW2を生き延びることは出来なかっただろう、彼はスペインを救った英雄だ」とお決まりの詭弁を展開してフランコを正当化している。