フランスの歴史
フランスの歴史とは簡単に言えば敗戦であり、堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒである。
人類以前[編集]
紀元前2000世紀ごろ、ヨーロッパ世界は現在のフランス付近を中心とするネアンデルタール人の天下であった(ネアンデルタールはドイツの地名だが、もちろん当時はフランス領で北の玄関口)。その版図は現在のイギリス、スペイン、ドイツ、ヘタリアはもちろんイスラエルから中央アジアにまで広がり、いまにして思えばこの時代がフランスの最盛期だったのかもしれない。 しかし紀元前1000世紀ごろ、暗黒大陸から野蛮で屈強な邪悪種族が百獣を破って台頭した。彼らは東方からフランス領にウホウホと侵攻し、ヨーロッパ初の戦争(いわゆる七万年戦争)が始まった。7万年の緩慢な戦闘は邪悪種族の緩慢な勝利に終わり、彼らはネアンデルタール人の集落を襲い、ネアンデルタールの娘を輪姦し、食料を奪ったという。ネアンデルタール人はジブラルタルまで緩慢に撤退したが、紀元前240世紀ごろには普通に滅んでしまった。
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ネアンデルタール人は滅びたが、そのDNAは娘たちの挺身によってこの平和の地に残された。
ガリア時代[編集]
紀元前4世紀ぐらいまでのフランスは、やはり原始人みたいなガリア人達がウホウホ言いながら平和に暮らしているだけの地域であった。そして時々野蛮で屈強なゲルマン人が棍棒片手にやってきてはガリア人の集落を襲い、ガリア人の娘を輪姦し、ガリア人の食料を奪っていくだけの平和な平和な時代であった。簡単に言えばゲルマン人に対する敗戦である。なおこの時代には既に中東では3つ目の統一王朝であるパルティアが成立、インドでは「ラーマーヤナ」を始めとするサンスクリット文学が最盛期を迎え、中国に至っては諸子百家が徳とは何かを語り合い、秦や漢が大帝国を築き上げていた事は可哀そうだからフランス人達にはどうか内緒にしてあげてほしい。
0 フランス ‐ ドイツ 1
その頃、ヘタリアでは文化ある戦闘民族ローマ人達が共和制ローマを築き上げ、その後は膨張するローマによってガリアは半植民地状態になっていったのである。紀元前58年にはガイウス・ユリウス・カエサルが駐屯し始めた。だが、誇りあるガリア人たちはローマ人達の支配を憎々しげに思っていたのだった。そしてローマ帝国の支配に対して敢然と立ち向かっていったのである。結果?もちろん各個撃破で敗戦である。ガリア人達は残念ながらそこまで連携が取れていなかったのだ。ローマ人側についたガリア人達も多かったし。
だがしかし! そんな状態にも関わらずローマ人達に対する敵意を燃やし続けるガリア人達もいたのだ。彼らはアルウェルニ族のウェルキンゲトリクスの指揮下に一致団結してローマに立ち向かっていった。もちろんローマ帝国側に立ったガリア人達もいっぱいいたのは内緒だ。ウェルキンゲトリクス達は足並みの揃わないローマ軍に対して策謀に策謀を重ねて、対抗していった。そしてマンドヴィ族の住むアレシアを占拠し、ローマに包囲戦を敷かれても長期戦を覚悟で戦いを続けた。なおマンドヴィ族はアレシアから追い出され、ローマ軍に降伏したが受け入れられなかったという悲惨な目にあったのは内緒だ。だが、ローマ軍に包囲されたままでは士気も下がっていき、女達による反乱まがいの騒ぎまで起き、ついに矢も尽き、英雄ウェルキンゲトリクスは一つの決断をした。彼はすべての将兵を集め、こう宣言した。
「この戦いは己の栄誉のためではなく、全ガリア人を解放するための戦いだった。運命が私に敗北を与えたのならば、それに従うことにしよう。私を殺すか、あるいは生きたままローマ軍へ引き渡すか、諸君らが選択したまえ」
さすが英雄ウェルキンゲトリクス、漢の中の漢である。これを聞いて泣かない者は不忠である。つーか、こう言えば皆が自分をかばってくれるという計算が見え見え。だがガリア人達はウェルキンゲトリクスをローマに差し出した。お前ら空気読め!…いや、ウェルキンゲトリクスのほうが、皆の空気が読めなかったのか。哀れなウェルキンゲトリクスはその後ローマに監禁され、戦勝パレードでさらし者にされた挙句に殺された。こうしてフランスことガリアはローマの植民地として過ごし、その後特に大規模な反乱も起こさず、忠実なポチとなったのだ。一説によると、アステリックスとかいう一党が最後までローマに抵抗を続けたものの、21世紀に至って、ようやくアメリカ文化の前に屈したとか。
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フランク王国[編集]
その後、ローマ帝国はグダグダのうちに分裂し、ガリアにはゲルマン人達の一派であるフランク人達がオッスオッスと乱入し始め、ガリア人娘を輪姦し、ガリア人の食料を奪い、そしてガリアを併合し、フランク王国が建国された。
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フランク王国はカール大帝のローマ皇帝戴冠などの栄光を重ねるが、フランスの栄光のようなふざけた時代が長く続くはずも無く、その後ほどなくローマ帝国と同じようにフランク王国は分裂した。なおその後、ノルマン人達に侵入され始め、大変苦慮した挙句にノルマンディー公という貴族階級に封じるという平謝りに近い交渉で平和を勝ち取る。後の永遠のライバル・イギリスである。なおこの土下座外交が後々に至るまでイギリスとの戦争につながるというのはまた別の話。
0 フランス ‐ イギリス 1
カペー朝[編集]
ノルマン人との戦いで名を馳せたユーグ・カペーがカペー朝を開く。カペー朝はフランス南部で広まっていたキリスト教の異端派であるアルビジョワ派に対し、アビジョワ十字軍を起こしこれを壊滅させる。フランスらしからぬ完勝である。弱いものいじめとも言う。
1 フランス ‐ フランス 0
これをフットボールの世界ではオウンゴールという。もちろん流行の十字軍にも軍を出すが、第六回十字軍では神聖ローマ帝国のフリードリヒ二世による無血開城においしいところを掻っ攫われ、まったく活躍しなかった。
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さらに第七回十字軍にも軍を出すが、アイユーブ朝エジプトにフルボッコにされて負けた。
0 フランス ‐ エジプト 1
ヴァロワ朝[編集]
カペー朝が絶えたため、ヴァロワ朝が開かれるがイングランドにいちゃもんをつけられ、百年戦争が起こる。百年戦争は序盤からエドワード黒太子によってボコボコにされ、ロングボウを構えるイングランド軍に騎士が突っ込み、クレシーの戦いやポワティエの戦いで中世としてはあり得ないレベルの戦死者を出した末に、首都パリまで占領される羽目になった。その後、農民の女の子の活躍などもあり最終的にイングランドは撤退するが、フランス国内は戦争でボロボロになり、女の子もイギリス軍に火あぶりの刑にされて殺された。
0 フランス ‐ イギリス 1(「この戦争は引き分けだ!」とフランス人達は主張)
国土を焦土にされるのは一般的に敗戦と考えられる。なおフランスはその後、イングランドのまねをして「ナポリは実は俺のものだったんだよ!」などと妄言をほざいて攻め込むというイタリア戦争を引き起こすが、もちろんこのような妄言が通じるわけもなく、イタリア人達の激しい抵抗と神聖ローマ帝国の介入をおこし、当時としてはチートじみた国力と軍事力を持つオスマントルコ帝国を味方に付けたにも関わらず、最終的にイタリアから撤退する羽目になった。
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もちろん敗戦である。そしてその腹いせに国内に出没する新教徒を迫害し始め、最終的にカトリック国フランスから追い出した。
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もちろんこれもオウンゴールである。なお追い出された新教徒ことユグノーはドイツに逃げ出したため後にドイツの国力が上昇する原因となり、フランス王アンリ3世はその後カトリックとプロテスタントの融和を図り、不満に思ってブチ切れたカトリック教徒に暗殺され、ヴァロワ朝は断絶した。
ブルボン朝[編集]
暗殺されて絶えたヴァロワ朝に変わり、ナヴァール王アンリが、フランス王アンリ4世として即位し、ブルボン朝が成立し、そしてアンリ4世も暗殺された。30年戦争に途中から乱入した結果、イングランドなどの同盟軍の大活躍により、ウェストファリア条約にてフランスは大勝利を得ることが出来た。このようなタナボタ式大勝利を喜ぶ事をシャルル・ドゴール症候群と呼ぶ。調子に乗ってネーデルラント継承戦争を起こしたものの、戦略目標の南ネーデルラントを獲得することはできなかった。
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まさかオランダのような小国にまで敗戦するとは思っていなかったフランスは意地になり、強国であるイングランドとスウェーデンを同盟に誘い、大人げないやり方でオランダをつぶそうとオランダ侵略戦争を引き起こすことになる。でも負けた。
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フランスは考えた。戦争じゃいけないんだ。平和に領土問題を考えないといけないと気が付いた。その結果、古文書を漁って「この土地は半万年前からフランスのものニダ!」「ここは我がフランスの領土アル!」というどこかのアジアの国々のようなやり方でルクセンブルクなどの領土を奪い取るようになっていったのだ。このようなやり方が国際社会に通用するわけもなく、対仏包囲網を敷かれ、大同盟戦争を引き起こされた。案の定、負けた。
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ここでフランスはさらに考えた。「ヨーロッパに奪う土地が無いなら新大陸に行けばいいじゃない!」
こうしてフランスははるばる大西洋を渡り、アメリカに植民地を作り、そして利権でイギリスとぶつかり、アン女王戦争に負け、ユトレヒト条約で植民地利権を失った。
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え、「さすがフランス、よく戦争する金が持つな」ですって? もちろんフランス本国は火の車ですよ。その後、アメリカはボストン茶会事件を経てイギリスと独立戦争を引き起こすが、このとき「やったぜ!にっくきイギリスをぶん殴れるぜ!」とばかりにアメリカに肩入れし、結果的にアメリカは勝利し独立する。フランスはこれを「フランスが支援したから勝てた!」と主張するが、もちろんそんなわけは無い。ただのドゴール症候群の症状悪化である。そしてアメリカの独立の思想はアメリカからフランスに逆輸入され、フランス革命が勃発した。
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もちろんいつものフランスのオウンゴールである。
第一共和政・第一帝政[編集]
フランス革命後、ギロチンの嵐で自国民の首をはねまくってアンジャン・レジームを一掃したフランスであるが、欧州の君主制国家はこれを受け入れなかった。こんな厄介な国家は即刻つぶさないといけない(´・ω・)(・ω・)(・ω・`)ネー。フランスは人類の敵。かくしてフランスは全欧州を敵に回して攻め込まれる羽目になったのである。だがここでフランスに一人の馬鹿と紙一重の軍事的天才が舞い降りる。みんな大好きナポレオン・ボナパルトその人である。
これにより一転攻勢、フランスは全ヨーロッパを侵略しまくるのであった。すごいぞフランス! がんばれフランス! 負けるなフランス!
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1 フランス ‐ オランダ 2
1 フランス ‐ オーストリア 0
0 フランス ‐ ハイチ 1
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冬将軍「ゆっくりしていってね!!」
言うまでもなく負けた。
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0 フランス ‐ イギリス 3(対フランス大同盟の黒幕として)
復古王政・第二共和制[編集]
この間は珍しくフランスは戦争に負けなかった。というより国内でゴタゴタしていて戦争をしていなかったといったほうが正しい。なおアルジェリアに侵略して見事植民地を獲得するが、アフリカみたいな超弱小国相手に本気で勝負を挑んで恥ずかしくないの?
第二帝政[編集]
フランス革命から50年しかたっていないのにコロコロ体制が変わるふしぎ国家フランスはここでナポレオンの親戚のルイ・ナポレオンを皇帝として、イケイケドンドンで侵略戦争を開始する。そしてメキシコ出兵でメキシコ程度の植民国家にボコボコにされる。
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そしてイギリスに経済戦争で負ける。
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なんかもうヤケになってプロイセンに普仏戦争を挑むが、ご期待通り負けた。というか皇帝陛下がプロイセン軍の捕虜になった。
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アルザス・ロレーヌ地方を分捕られた。もちろん帝政崩壊である。
第三共和制[編集]
さあみんな大好きグダグダ第三共和制タイムがやってまいりました!!!まずパリで市民達が武器を手に取り、パリコミューンが結成された。
捕虜? 何を言ってるんだ? 反逆者が捕虜になんかなれるわけがないだろう。もちろん殲滅した。フランス強い! フランス容赦ない!(フランス人相手には)
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はいはいオウンゴール。そして植民地モロッコの利権を寄越すよう、ドイツに戦艦で脅されて譲歩する。
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そんなことをやっている間にサラエボ事件発生、第一次世界大戦が勃発する。最初は「ちょっとドイツを懲らしめてやろう」ぐらいの感覚だったのだが、あれよあれよという間にフランス国内にドイツ軍が進出し、未曽有の人的被害を出し、国土はボロボロにされる。結果、超金と数だけはチート国家アメリカ合衆国が首を突っ込んで味方になったこととドイツの自爆によって勝利する。
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勝ったことを良いことにドイツに莫大な賠償金を請求する。試算で「ドイツは現実的にみると30億マルク、厳しく取り立てても40億マルクが限界だろう」という中で1320億金マルク(フランスの取り分、全体の52%)の賠償金を取り立てたせいでドイツの経済は完全に崩壊し、ドイツにものすごく恨まれることになるが、それはまた別の話。そして世界恐慌でフランスの経済もボロボロになる。
ドイツにチョビ髭の総統閣下が政権を取り、ドイツ経済が元通りになってくるとナチス達は調子づいてきた。まず国際連盟の管理地域(と言う名のフランス領)と化していたザールを併合。再軍備宣言をかまし、ヴェルサイユ条約をガン無視しだした。そして非武装地帯とされていたラインラントへ軍を突っ込み、その2年後には総統閣下の母国オーストリアを併合。次いでチェコのズデーデン地方の領土を要求し始めた。大正義フランス共和国はチェコスロヴァキアと相互防衛援助条約を結んでいたため、当然ドイツの横暴に対して立ち向かう義務があった。が、ミュンヘン会談で見捨てた。
さらにドイツはポーランドにダンツィヒを要求し、それが受け入れられないとポーランド国内へ侵攻を始めた。第二次世界大戦の勃発である。ポーランドとフランスも同盟を結んでいたのであり、ドイツがポーランドに侵攻した場合には大正義フランス軍はドイツ国内に攻め込みポーランドを助ける義務があった。が、見捨てた。やってたことといえば、独仏国境に作られた強力な要塞地帯であるマジノ線に籠ってドイツ軍とにらめっこ(まやかし戦争)をしていただけである。そう、フランスはチェコスロヴァキアが消滅しようがポーランドが滅ぼうが自分の国さえ無事であればいいと思っていたのだ。てへぺろ(・ω<)
マジノ線を突破できないならアルデンヌの森を抜ければいいじゃない!
〜 ファルゲルブ について、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン
こうして道路国家ベルギーと単なる時間潰しに成り下がったオランダ・ルクセンブルグを踏み潰してマジノ線を迂回したドイツ軍はフランス軍に襲い掛かった。
だがしかし! フランス軍は腐っても先進国の軍隊である。ドイツ軍よりも強いB1bis戦車も持っていた! 戦闘機も野砲も兵隊もいっぱい居た! でも総司令官のモーリス・ガムランが梅毒の末期症状でまともに指揮が取れなかったなどの数々のグダグダによって負けた。
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あとイタリア軍も攻め込んだが、これは数人のフランス兵で追い返したらしい。
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あっけなくパリは失陥し、フランスはまたもや滅亡した。正直ざまあ見ろと思わないこともない。
ヴィシーフランス[編集]
こうしてフランスはドイツの傀儡国家にされてしまい、ユダヤ人狩りなどに精を出すことになった。なお日本がフランス植民地に進駐。
0 フランス ‐ 日本 1
0 フランス ‐ タイ 1
そうのこうのしている間に偉大なる大正義アメリカ軍が大軍を率いてノルマンディーに上陸、見事に他力本願でフランスを解放した。なおアメリカ軍は「俺達は助けに来たんだらちょっとぐらいのオイタなら許されるだろう。いや、許されるべき! グヘヘフランスのお姉ちゃん兵隊さんと良い事しない?」という不埒者が出たり、砲撃で牧場を吹き飛ばされたりしたらしい。なおにっくきドイツはソ連に滅ぼされたのであり、フランスはほとんど何もしていないのは言うまでもない。ついでにヴィシー関係者は対独協力者として粛清した。
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オウンゴール。
第四共和制[編集]
なんとか(同盟国のおかげで)元に戻ったフランスはまたドイツ相手にアホみたいな賠償金を取り立てようとしてアメリカにめっちゃ怒られる。植民地経営に精を出そうと思ったらベトナムが独立戦争を起こした。ディエンビエンフー要塞に立てこもったベトナム軍に空挺降下だ!もちろん負けた。
0 フランス ‐ ベトナム 1
その後も利権だけは持っていたようだが、アメリカがベトナム戦争を起こしたせいで全部なくなった。
0 フランス ‐ ベトナム 2
植民地政策はオワコン。
〜 フランスの対外政策 について、イギリス
第五共和制[編集]
フランスはついに核兵器を手にし、核保有国となった。フランスの核弾頭保有量は約300発、アメリカの核弾頭保有量は9000発、ロシアは13000発である。ショボいとか思ってはいけない。冷戦構造も終わった今となっては完全に無用の長物になってしまったのは内緒だ!
なお核保有後にアルジェリア戦争に負けて結果的にアルジェリアは独立した。
0 フランス ‐ アルジェリア 1
結論[編集]
フランスは日本国憲法9条を導入するべきである。