フランス革命
新しい時代を切り開け!!!
本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてフランス革命裁判所によって認定されており、フランス議会により全ての国民に見せることを認可されています。 この資料の内容を疑うことは即ち思想犯罪、ひいては共和国・議会の権威を蔑ろにする反逆罪と看做され、多少なりとも疑った場合には例外なく反革命分子とされ、いずれも即決裁判によりギロチンに処します。 |
フランス革命(-かくめい)はベルばらのオスカルとアンドレが美しく華麗に散るために用意された壮大な演出である。
概要[編集]
すいません、最初の一文は嘘です。ココからが本当のフランス革命の説明だ。おそらくウィキペディアより分かりやすい。
当時、貴族とか聖職者とかを除く全フランス国民は重い税負担に苦しんでいた。当時のブルボン朝政権は200年近くフランスを治めていたから国民は自分たちが搾取されていると気付くまで200年かかるなんて相当な鈍感力を持っていると思われる。で、ルソーとかヴォルテールが平等とか自由とか謳いはじめて、国民は「俺たちはやっぱり搾取されている」と認識してブルボン朝に因縁をつけてきた。「喧嘩吹っかけられる」と危機感を持ったルイ16世は今で言う構造改革を断行したけど、結果は察してください。
1789年7月14日、国民は我慢できずにキレちゃってバスティーユを襲撃。血の気の多い奴らが「よっしゃ、これで大暴れできる!」と気違いな発想をし、全土が混乱した。そのゴタゴタの最中ルイ16世とその嫁さんマリー・アントワネットは逃亡中に引っ捕らえられ民衆の面前で断頭台の露に消えた。
明日はわが身と危機感を持った隣国の王様たちは「革命反対」ののろしを上げてフランスに干渉。フランス国内では教会が破壊されたり、キリスト教を迫害したり、気に入らない奴をギロチンに送ったり、革命反対の内乱が起こったり、とにかくゴタゴタ、グジュグジュの状態。で、このゴタゴタが解消されるには80数年を要した。時間掛かりすぎだろ。
フランス革命は全ての政治思想の源泉である。民主主義はもちろん社会主義も、共産主義も、ファシズムも全部フランス革命のおかげで生まれたのだ。だから、第二次世界大戦が起こったのも、冷戦が起こったのも全部フランス革命のせいである。おまけに「最高存在の祭典」を開いたりとカルト教団まがいな事やっていたりと正直フランス革命は何でもやっていたのだ。
革命前夜[編集]
もっと分かりやすいように国を少女に置き換えて説明しよう。
時代背景[編集]
アメリカ、イギリス、プロイセン、ロシアが無事思春期を過ぎて、理性的な思考回路(啓蒙思想)が出来るようになったけどフランスだけわがままな厨房だった。どうしようもなくお馬鹿なフランス。その原因は脳みそ(ブルボン朝)の未発達に他ならない。この脳みそは「俺が一番頂点にあるんだから、俺が一番だ。」と考えていたから血とか栄養は全て頭に吸い取られ必然的にフランスは貧乳になっていた。しかし、栄養は有効活用されずオナニーとか妄想に無駄遣いされていた。周りのみんなは豊満な胸を獲得しているのに私だけまな板。胸(国民)は焦りを募らせていた。
三部会召集[編集]
1780年代フランスは体調不良(財政赤字)が問題になった。原因は援交のしすぎによる体力疲労(対外戦争のしすぎ)、アメリカへの輸血のしすぎ(アメリカ独立戦争支援)、そして完治不可能な誇大妄想(宮廷の浪費)である。通常の9倍以上食べないと回復は不可能なので、頭の周辺部(眼、鼻、耳等々/貴族)から栄養を取り込んで(税金徴収)危機を乗り切ろうとしたが、眼が猛反発して「俺から栄養取ったら失明するぞ!」と脅し栄養の取り込みに失敗した。
で、今度は身体会議(三部会)を開催して数の暴力で眼、鼻、口、耳から栄養を徴収しようとした。しかし、中学校の委員会みたいに議決の取り方で身体会議は紛糾して40日間堂々巡りした。やはり、フランスは厨房だったのだ。
テニスコートの誓い[編集]
インテリ気取りで妙にプライドが高かったピーの呼びかけで「身体会議じゃダメだ。俺たちの議会を作るぞ!」と「今あるもので解決不能なら新しいものを作ればいい」的論方で勝手に議会を作ってしまった。中学校の委員会にまた新しい委員会が出来てしまったのだ。で、こいつらは「俺たち『国民議会』を認めるまでテニスコートに立てこもる!」といい始めてた。で、身体会議の議長である脳は「下部の癖に...!」と内心思いながらこれ以上の対立を避けるために認めた。
革命勃発[編集]
さらに分かりやすいために登場人物を全部性転換させて少女にして説明しよう。
バスティーユ襲撃[編集]

国民的アイドルユニット「フランス娘[1]」のリーダー、ルイ16世(愛称:ルイピョン)は徐々に人気が出てきた新アイドルユニット「GKI42(ぎかい・フォーティーツー)[2]」を殲滅させるべく私設軍隊である一部ファンたちを終結させた。ピリピリした状況の中フランス娘の一人で人気があった「ネッケル(愛称:ネルネル)」がユニットから外され、怒った国民たちは「フランス娘」がお仕置き部屋に使っていた「バスティーユ」を襲撃。それがフランス全土に飛び火した。
この動きを見て「GKI42」は「私たちはフランス娘より偉大」と宣言し、「ファンはみな平等」も一緒に宣言した。しかし、フランス娘はこれを認めずフランス娘一のわがまま娘「マリー・アントワネット(愛称:マリアン)」が「農民出身の癖に」と馬鹿にし始めた。
アイドル界の混乱でアイドルユニットの放送が激減すると、パリのアイドルファンたちは武器を手にしてフランス娘の事務所兼放送局である「ヴェルサイユ」に乱入。フランス娘とGKI42に対してアイドルの放送枠拡大を要求した。圧力に屈したフランス娘事務所は上記の宣言を認めて、事務所をパリ市内に移転した。以後、フランス娘事務所はファンに監視されるようになる。
ヴァレンヌ事件[編集]
アイドル界が大混乱したので、一部アイドルたちは「もうヤだ」と引退宣言を次々出していた。フランス娘たちも同様に引退したいと考えていた。中には、「朝食にパンを食べるのが嫌なら、ご飯と納豆にすればいい」などと意味不明の発言をしてファンの怒りを買う者もいた。
フランス娘たちは秘かにパリを脱出して、海外で「私たち海外で活動します!」と宣言するつもりだったが国境手前の町「ヴァレンヌ」でファンたちに見つかってしまった。パリに強制連行された。ファンたちは大変驚き、失望した。この事件を機にフランス娘の人気は地に落ちた。混乱が他に波及するのを恐れたお笑い界は「フランス娘を解散させると痛い目にあうわよ☆」と脅したので、フランス娘は解散を逃れられた。
革命戦争と8月10日事件[編集]
GKI42はフランス娘を邪険にしていたのでなんとしてでもフランス娘を解散に追い込みたかった。だから、邪魔なお笑い界に喧嘩を吹っかけ、革命戦争になる。しかし、GKI42の軍隊(つまりファンたち)は農民出身で頼りなさそうなので熟練度の高かった「フランス娘」のファンたちを使ったが元からやる気なく連戦連敗した。おてんば娘のマリアンが秘かに熱い夜を敵方に奉仕していたとの噂もある。
敵軍隊がアイドル界に進出し始めると、ファンたちにアイドル界の危機を訴えてファンたちの義勇兵が結成された。その時、マルセイユのファンたちが歌った「ラ・マルセイエーズ」が大ヒットを飛ばしフランス国歌になった。ここだけの話しだが、歌詞はかなりエグいです。最後のコーラスは「汚れた血が我らの田畑を満たすまで」と締められる...それはいいとして、フランスが負けた理由はフランス娘が非協力的だからとして、またフランス娘の事務所を8月10日に襲撃して、フランス娘を活動停止に追い込んだ。
共和制の成立[編集]

「GKI42」は一旦解散し、ファン投票によってメンバーチェンジを行い「かくめい7」に改名した。
そして、かくめい7はフランス娘をファンを裏切った罪を償うべきだとしてフランス娘を裁判に訴えた。罪は以下の通り
議会は王の処刑に紛糾した。結局は、多数決の魔法(俗に数の暴力とも)によって王の処刑を決定した。ルイルイはギロチン広場革命広場に連行され、2万人のファンに見守られながら天国に召されたのだ。10月にはルイアンも後ろ手に縛られ肥料運搬車を使った超SMプレイの後、結果はあなたのご想像の通りです。
恐怖政治[編集]
王処刑問題でかくめい7もさらに分裂し、「ジ・ロンドン(ジロンド派)[3]」と「じゃこパン(ジャコバン派)[4]」と「エロエロ派(エベール派)[5]」と「タンポン(ダントン派)[6]」と内ゲバしはじめた。
さらなる混乱が自分に及ぶのを恐れた、お笑い界、芸能界、ジャニーズ界、政治界、経済界等々は同盟を結成してアイドル界に進出した。「かくめい7」はこの危機を受けて「ファンよ!立ち上がのよ!立ち上がらないと死刑☆」と宣言するが、愛想を尽かした一部ファンは「付き合ってられるかよ!」と反乱を起こした。テロも頻発しただでさえカオス化していたアイドル界がさらにウルトラカオス状態になった。
そんなスーパーウルトラカオス・ステージの中、「ジ・ロンドン」はファンの萌え不足に対して何の対策も講じず写真集発売を延期した。怒ったファンたちはジ・ロンドンを見捨て最終的にはアイドル界を追放された。そして、じゃこパンが人気が上昇し、そのリーダー「ロベスピエール(愛称:ロペロペ)」がアイドル界のトップに君臨する事になる。
じゃこパンは「社会主義革命に萌えちゃった」的行動を起こす。まず、他のアイドルグループを非合法化し始めた。「か☆く☆め☆い☆さ☆い☆ば☆ん☆ツアー」を実施して「反革命分子をギロチンに送るわよ♪」とライバルの「エロエロ」と「タンポン」を児童ポルノ禁止法によって次々と追放し、ギロチンに送った。後のソ連の大スター「スターリン(愛称:スタリン)」に影響を与えたといわれる。
テルミドール反動[編集]
しかし、じゃこパンのリーダー「ロペロペ」もギロチンに送られた。私はギロチンに送られたくない!と考えた「アンチ・じゃこパン」たちはロペロペをギロチンに送ればいいじゃん!と逆転の発想(?)でまずロペロペと愉快な仲間たちの一味「サン=ジュスト(愛称:ジェスジェス)」を逮捕して、お仕置きのために「か☆く☆め☆い☆さ☆い☆ば☆ん☆ツアー」の怖さを実感させた。彼女の末路は察してください。しかし、リーダーを失ったアイドル界は迷走し始める。
その後[編集]
ロペロペの消滅の後は、アイドル界をリードする歌って踊れて戦争もできる、新アイドル「ナポレオン(愛称:ナポナポ)」が「革命フィーバー」をリリース。全ヨーロッパを席巻した。けれど、ロシア皇帝が「レッツゴー!ウィンターコマンダー!」をリリースした。ナポナポの歌はたちまちオリコンランク外になり、最後はアイドル界からスカンクを受けて引退した。しかし、新感覚の音楽はヨーロッパに強い影響を与え民主主義と民族主義が流行語となった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
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