フレッド・アステア

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フレッド・アステア
FredAstaire.jpg
某教団の尊師のごとき空中浮遊を見せるアステア
基本資料
本名 Frederick Austerlitz 
生没年 1899年5月11日1987年6月22日 
職業 俳優歌手ダンサー 
好物 タップダンス 
嫌物 自分の身長 
出身地 アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ 
所属 RKO,MGM
親戚等

アデール・アステア(姉)

フレッド・アステア(Fred Astaire)とは、アメリカ史上最大の紳士(とされている人物のこと)。

概要[編集]

1930年代から50年代初頭までのアメリカは、ミュージカル全盛期だった。その時代を代表する俳優であり、歌手であり、ダンサーであったのがフレッド・アステアである。

そこでウィキペディアにある彼の記事を覗いてみると、彼が異常に持ち上げられているのが分かる。ウィキペディアン曰く、こうだ。

Quote1.png アステアのエレガントなダンスには「洗練」という言葉が最も当てはまる。彼はダンスに洗練と品格の両方を備えさせることに成功した、二十世紀を代表するダンサーであり不世出の天才と言えるだろう。正統派のダンス・ファッション共々「粋」を極めたダンサーであった。

優れたダンサーとしての面ばかりが強調されがちだが、歌手としてもアステアは一流であり、(…中略…)しばしばヒットチャートをにぎわせた。

アメリカにおいてアステアは紳士の代名詞としても有名で、名実ともにミュージカル俳優の鑑であった。

プライベートでのアステアは、シャイで紳士的な人物だったという。社交界で派手に遊ぶタイプではなかった。

Quote2.png

ウィキペディアより

まとめると、「アステアのダンス最高!天才!歌もうまいし性格も紳士そのもの!20世紀最高の俳優!」とのことである(ウィキペディアが標榜する「中立的な視点」はどこに行ったのかと聞きたくなるような記述なのだが、ここではあえて問わない)。アステアに対する愛情というか偏執愛が画面から溢れ出てくるような文言の数々には恐ろしさすら感じられるが、ではウィキペディアン達が神聖視する「20世紀最高の紳士」であったアステアは、実際にはどうだったのであろうか。ここではアステアの(ウィキペディア曰く)紳士的な立ち振る舞いを一つづつ検証してみよう。

フレッド・アステアに学ぶ紳士の嗜み[編集]

身長を気にする[編集]

『バンド・ワゴン』(1953)の撮影時のことである。この映画の主人公は「既に衰退していたミュージカルの元スター」であり「1950年代にも関わらず30年代の燕尾服を着て踊る、過去の栄光から抜け出せない落ち目の俳優」だったので、脚本家たちはキャスティングの際にアステアを主人公に選ぶのをためらった。というのも、この人物像がそっくりそのままアステアに当てはまるからである(実際、ミュージカルの衰退と共に1960年代になるとアステアはヒット映画に殆ど出演しなくなってしまう)。だがアステアは脚本のユーモアを気に入り、出演を快諾した。これはウィキペディアン公認の紳士なので当然である。だが、もっと重大な問題があることをこの時はアステア以外の誰も気づかなかった。

アステアの出演が決定した後のキャスティングはアステア本人も含めての選考となった。ところが、脚本家とアステアの意見がかみ合わない。ヒロインを誰にするかということについて、脚本サイドはジーン・ケリーという女優を推していたのだがアステアはそれに反対する。なぜ反対するのか脚本家たちがアステアに聞いても曖昧な答えしか返ってこない。最終的にアステアが「実際に会ってみよう」と主張し、それが認められて会ってみたところアステアの意見が軟化し、ジーン・ケリーの出演が決まったというエピソードがあるのだ。

実はこれは当時の映画業界では有名な話で、アステアには共演者の身長を気にする癖があった。アステアは男女一組でダンスをする際にヒールを履いた女性の方が高身長だと見栄えが悪いことを過度に気にしていたため、『バンド・ワゴン』でもジーン・ケリーが自分より身長が低いことを確かめたかったのである。

病的な完璧主義[編集]

「紳士」であるアステアは、行き過ぎているとも言える完璧主義者としても有名だった。『有頂天時代』(1936)の撮影ではワンカットで3分近く続く「never gonna dance(ネバー・ゴナ・ダンス)」の準備として共演者を猛特訓に巻き込み、そのリハーサルの回数は48回に及んだ(およそ3分のダンスなので48回踊るとすれば144分、2時間半必要である。いくら主演者の希望と言えどもそれだけの長い間撮影を中止させることは現代ではあり得ない)。その結果、本番は1回でOKとなったのだが…よく考えてみれば、3分間のダンスがたったの本番1回で完璧に踊れる訳がない。完璧主義者の称号から考えてリハーサルのうち最後の10回くらいは既に完璧に踊れていた、と考えるのが妥当である。いずれにせよそれだけの長い間撮影を足止めし、延々とリハーサルを繰り返していたアステアの潔癖っぷりが伺えるエピソードである。

略奪婚したり70歳で再婚したりする[編集]

ウィキペディア曰く「社交界で派手に遊ぶタイプではなかった」アステアの結婚はなかなか荒々しいものである。まず1933年にフィリス・ポッターという富豪の娘と結婚するのだが、この女性は元々人妻であった。つまり、アステアは結婚するためだけにわざわざこの女性に離婚までさせているのである。しかも当時は1920~30年代であり、アメリカにおいても貞節は女性の第一と考えられているような時代であるのを忘れてはならない。特にこの女性は富裕層の娘である。離婚は相当な勇気がいると思われる中でのえげつない略奪婚であった。

しかしそんな妻も20年も経たずして死んでしまう。アステアは悲しみに暮れたが、やがて独り身は中年を既に過ぎていたアステアの身に応えたのか、70歳にして婚活を始める。そして35歳の女性騎手を相手に見定めると71歳の時に再婚し、そして死ぬまでその妻と暮らしたという。

結論[編集]

つまり、アステアの性格から読み取れるウィキペディアン風紳士とは「身長を気にする病的な完璧主義者で、略奪婚した妻が死んだら爺さんになっても婚活しちゃう」ような人物のことらしい。これは世の中一般における「紳士」のイメージとかけ離れているように思えるのは筆者だけではないだろう。このような人物を「紳士」と褒め称えるウィキペディアンたちの異常性が垣間見える結果となってしまった。

Quote1.png アメリカにおいてアステアは紳士の代名詞としても有名で、名実ともにミュージカル俳優の鑑であった。

プライベートでのアステアは、シャイで紳士的な人物だったという。社交界で派手に遊ぶタイプではなかった。

Quote2.png

ウィキペディアより

教訓:ウィキペディアの記事を鵜呑みにしない

脚注[編集]

…と、本項目は散々にアステアをこき下ろしてきたが、一応アステア本人の名誉のためにもいくつか脚注を加えるべきだろう。

  • ダンスは確かに天才的である。そのため、マイケル・ジャクソンも子供の頃アステア主演の映画をいくつか見てそのステップなどを研究していた。後にマイケル・ジャクソンは最も尊敬する人物の一人としてアステアを挙げており、二人の仲は非常に良かったらしい。またアステア本人も死ぬ間際に「自分の後継者(=マイケル)を知らないまま死ぬことにならなくて良かった」と発言したという伝説がある。
  • アステアがヒロインの身長にこだわった映画「バンド・ワゴン」で着ている衣装は、30年後に発表されたSmooth Criminalでマイケルが着ている衣装の元ネタになっている。それ以外にもいくつかの舞台設定やダンスのステップはアステアのダンスの朴理である。
  • 「バンド・ワゴン」の共演者ジーン・ケリーとは最初アステアが共演を拒否するほど(アステアの身長癖のせいで)険悪な関係だったが、後に改善して生涯の友人となった。
  • ウィキペディアのフレッド・アステアの記事には間違いがある。ウィキペディアによれば1959年の映画『渚にて』ではアステアは医師の役で出演したことになっているが、実際には原子力科学者の役である。ついにウィキペディアは事実の捏造も始めたらしい。
  • 脚本家としても活動していた向田邦子は、自分と同じく数々の映画と関わりながらも遂に映画界の主流とはならなかったアステアを同じ境遇にある人と捉え、偏愛していた。哀れなおばさんの異常な愛情と言えよう。
  • 三谷幸喜の映画『有頂天ホテル』はアステア主演の1936年の映画「有頂天時代」から取られたものであり、舞台設定・音楽も1930年代のアメリカを意識したものとなっているとか、なっていないとか。
  • できるかなノッポさん立川談志が敬愛したことでも知られており、アステアのダンスは元より洗練されたしぐさとその立ち居振る舞いなどに魅せられ真似をした日本の芸能人はことのほか多い。のだけれども、彼らの後に続く人間がまったくいなかったおかげで、日本の映画もテレビもおっそろしいほど面白くなくなっていったことも確かである。

関連事項[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「フレッド・アステア」の項目を執筆しています。