ブラスト! (ミュージカル)

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ブラスト!(Blast!)とは、マーチングバンドに投資しすぎて倒産寸前になったアメリカの医療機器メーカーが経営を立て直すために始めたミュージカルである。

歴史[編集]

ドラムコー「Star of Indiana」[編集]

1984年アメリカのブルーミントンで、Cook Groupという医療機器メーカーの経営者ビル・クックが会社の資金100万ドルを投じてStar of Indiana(以下Star)というドラムコー(マーチングバンドの一種)を結成。Starはビル・クックの財力と、その財力で揃えた演出家ジェームズ・メイソンなどの超一流のスタッフの指導力を武器に急成長し、翌1985年には早くもアメリカのマーチング大会であるDCIに出場して全米10位を記録。その後も年を追うごとに成績を上げて1991年には結成わずか7年で全米制覇を果たし、そのスピード制覇劇はアメリカだけでなく発展途上にあった日本のマーチングシーンにまで大きな衝撃を与えた。

しかしその一方で「こんなに金がかかるのか」とビル・クックは嘆いていた。DCIが行われるアメフトの競技場で迫力のあるフィールドドリル(屋外競技場などのピッチ上で行うドリル演奏)を行うには少なくとも100人前後のメンバーが必要であり、その人数分の楽器と衣装、超一流の指導者たちへのギャラ、練習場所確保、移動費などで年間数百万ドルとも言われる活動資金が必要であった。

また親会社を持たないクラブ型団体が多いアメリカのドラムコーの世界では、湯水のようにお金を出してくれる親会社が居るStarの存在は異質であり、Starの成績と比例するようにStarとCook Groupに対して「成金バンド」「金持ちの節操なき道楽」などと批判する声が大きくなっていた。特にDCIは「青少年の健全な育成」を目的の1つとして大会を開催していたことから、「Starが居ると、ドラムコーを志した青少年達は『世の中はお金が全て』と覚えてしまう」と大会関係者が眉をしかめるようにもなっていた。

1993年頃になるとCook Groupのキャッシュフローが底を尽きかけるまでになったが、そこまでして投資を行って得られたものはStarとCook Groupに対する批判の嵐だけであった。Cook Groupの役員からは「これじゃあStarはStarでもウチの会社への隕石だ」と嘆く声が出ていた。

Brass Theater時代[編集]

そこでビル・クックは1993年を以てあっさりDCIから撤退し、アメリカの金管アンサンブル団体カナディアン・ブラスと手を組んで同団体の演奏会に金魚の糞のように付いて行き、カナディアンブラスの横でステージドリル(コンサートホールなどのステージを使ったドリル演奏)を披露しておひねりを頂戴する方針に転換。団体名をStarから「Brass Theater」に変えた上で1994年から公演を開始し、翌1995年にはアメリカの大規模フェスであるタングルウッド音楽祭にも出場するなど好評を博していた。そして出演料を得られたことでいくらか財務状況も改善した。

しかし、タッグを組んだ当初こそ両団体の知名度によってショーのプレミア感を醸し出せていたが、知名度にだけ頼っていたプレミア感が無くなるのは早かった。

よく見てみると狭いステージの上で100名近い人達があちこち動く姿はゴキブリ軍団の大移動にしか見えず、また綺麗なハーモニーを奏でる事を身上としていたカナディアン・ブラスと、「どこまでも通る音」が求められるドラムコーを前身としていたStarとの音楽性の違いが不協和音として現れ、ステージはお互いの長所を打ち消し合う凡作と化してしまっていた。いつしか「Starとカナディアン・ブラスが組んでいるのにどうしてこうなった」と別の意味で全米が泣くようになっていた。

その結果1996年のツアー「Brass Theater Ⅲ」を以てカナディアン・ブラスから手を切られてしまう。翌1997年と1998年はミズーリ州ブランソンの劇場で単独でBrass Theater公演を行っていたが、客はまばらで最早興行として成り立たなくなっていた。

「Blast!」の誕生[編集]

このままでは未来がないと踏んだビル・クックはBrass Theaterをなかったことにして新たなステージショーの道を模索。全米でオーディションを行い精鋭メンバーを集め、人数もステージドリルが自然体で行える50名前後にまで絞った上でミュージカル作品「Blast!」の製作を開始し、1999年にイギリスロンドン、アポロ劇場で初演を果たす。初演をアメリカではなくイギリスにしたのはBrass Theaterの黒歴史に気づかれ、客足が引っ張られることを避けたかったためである。

この公演が好評を博し、Blast!は2001年にはアメリカのブロードウェイに進出してトニー賞(最優秀スペシャル・シアトリカル・イベント賞)とエミー賞(最優秀振付賞)を受賞。2003年には日本公演も開始して2009年までに519公演・805,237人を動員。公演メンバーの人数を絞ったことで1公演1500人程度でも収益が得られるビジネスモデルの構築に漸く成功し、赤字補填をする必要がなくなったCook Groupの経営状態が大幅に改善。さらにBlast!を通じてCook Group自体の日本進出にも成功した。

その様子を見届けたビル・クックは「これで思い残すことはない」と2011年に80歳で息を引き取った。

概要[編集]

「ドラムコーをミュージカル風にアレンジした舞台」と銘打たれているが、肝心の打楽器はごく一部の専用セッションを除いて隅に追いやられている。本来のドラムコーのように打楽器奏者が楽器を吊り下げて演奏しながら動き回ることは専用セッション以外では殆ど無い。またドラムコーの世界では「金管楽器15~20人に対してスネア1人、バスドラム0.5人」が適正とされているが、Blast!では30~40名の金管楽器に対してドラムセット1台のみで合わせる事がデフォルトであり、ドラムコーの原型はほとんど留めていないと言える。

小規模の吹奏楽部によるステージドリルのほうがイメージ的には近いが、そういう実態がわからない一般客が「ドラムの出番あまり無いけど、ドラムコーって言うんだね~」と勘違いしてしまい、ドラムコーの世界が分かる人達(経験者など)が「あれは別物だから!」と頭を抱えながら説諭する風景が公演会場で頻繁に繰り広げられている。

主な曲目[編集]

ボレロ(Bolero)[編集]

ラヴェルのバレエ楽曲をほぼそのままBlast!に適用。ステージの中心にいるスネアドラム奏者を金管楽器の人達がひたすら動き回って妨害するが、スネア奏者はその妨害にもめげずひたすら同じリズムを刻んでいく。「リズムマシンになるんだ」という強い意志の元ではどんな妨害工作も無力になるということを表現したステージである。

マラゲーニャ(Malaguena)[編集]

元々はラヴェルの「スペイン狂詩曲」の一楽章であった楽曲をドラムコー向けにアレンジしたもので、DCIの古豪団体Madison Scoutsの十八番であった。ジェームズ・メイソンはBlast!を立ち上げるにあたりStar時代に一度も演奏していなかったMalaguenaを堂々とパクり、Blast!のキーナンバーとして位置づけた。

曲の冒頭でトランペットに30秒近くもロングトーンを行わせたり、足を180度に開きながらソロ演奏をさせられるなど、現代の日本では体罰と見做される演技要素が多分に含まれていることが特徴。

バッテリーバトル(Battery Battle)[編集]

スネアドラムを中心とした打楽器によるセッション。鼻の下にスティックを乗せてスネアを演奏したり8人が目隠ししながら複数の打楽器を演奏するなど人智を超えた技術を披露するが、間近で見ないとその凄さが分かりづらいため、ステージから距離がある客席で見ている観客の大半からは「何かやってるっぽいけどよく分からない」としか思われない。それでも奏者は必死に演奏することで「世の中には報われない労働でも頑張らないといけないことがある」事をシュールにアピールしている。

トルコ風呂(Turkish Bath)[編集]

2002年の「Blast! II Shockwave」公演から加わった曲。「トルコ風呂」の名前の通りソープランドを題材とした楽曲で、ジェームズ・メイソンが風俗マニアだったことからラインナップに加わった。童貞だったジェームズが一念発起してソープで初体験を果たし、その後ソープの帝王となるまでの生き様が情熱的に表現されている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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外部リンク[編集]